作曲者自身の言葉

1994年11月12日、サントリーホールにて行われたホーカン・ハーデンベルガーとサイモン・プレストンのデュオリサイタルに作曲者自身がコメントを寄せているので、それを最初に引用したい。

「トランペット独奏のための<径>は、〜[中略]〜ルトスワフスキの死を悼んでのファンファーレである。1992年の春、ワルシャワでルトスワフスキと会った際に、彼が、『私たち(現代の)作曲家はもっと旋律のことを真剣に考えるべきだし、新しい旋律を生むための努力を惜しんではならない。』と語っていたのが、強い印象として残っていた。<径>では、単純な(旋律的)動機が、ちょうど庭園の小径のように、風景の微妙な変化の中を進んで行く。この作品は、ホーカン・ハーデンベルガーに献呈されている。」*2)

この文中にあるように、晩年の武満氏の作品には伝統的回遊式日本庭園の発想や構造を作品の中に取り込んだ作品が数多く見られる。例えば、ピアノとオーケストラのための「アーク」や、「ドリーム・ウインドウ」(Dream Window/そのまま庭園作家である夢窓国師の名前からその題名を取ったと思われる)、クラリネットとオーケストラのための「ファンタズマ・カントス」がある。この「ファンタズマ・カントス」について、初演者であるリチャード・ストルツマンが語っている文章も、大変興味深い内容と思われるので、ここに引用したい。

「この作品は、日本の回遊式庭園にヒントを得ています。小径に沿ってあちこちに立ち止まりながら瞑想に耽りつつ歩いている内に、出発した場所に戻ってきます。しかし、そこは決して出発した場所と同じではないのです。」*3)

文中に「小径」とあったように、「ファンタズマ・カントス」と、この「径」とは、非常に近い関係にある作品ということが言える。

回遊式庭園では一カ所から庭園全てを見渡すことは出来ない。「小径」を歩きながら、しばしば開けてくる視界を通して庭園の部分部分を鑑賞してゆくわけである。つまり、「小径」を歩くという時間の行為と「庭園」という空間が互いに影響し合いながら進んでゆくという日本独特の時間と空間に対する概念をそこに読みとることが出来る。

さらに、武満自身が、自著「時間の園丁」の中で、日本の庭と音楽について触れている文章をそのまま引用する。

「音楽を作曲する(形づくる)際に、私は、日本の庭園の作庭の仕方から随分多くのヒントを得ている。特に、室町の禅僧、夢窓がしつらえた庭(西芳寺、天龍寺、瑞泉寺等)からは、その形成(フォーメーション)の深さと拡がりによって、つねに汲み尽くせぬほどの多様な啓示を受けている。

庭は、自然そのもののようでありながら、だが或る意味では、きわめて人工的なものである。人為によって、自然は、さらに奥深い、無限ともいえる変化の様態を顕す。人間の眼にはその人為の痕跡(あと)は必ずしも明瞭(あきらか)ではないのだが、仔細に観察すれば、どの隅々にも作者の認識が及んでいるのが分かり、その認識の深さに応じて空間の質、密度もそれぞれ異なったものになっている。この場合、作庭者の認識とは、人間の生・死はもちろん、時間や歴史の推移を含む、万象に向けられた思慮というものである。

庭は空間的な芸術であると同時に時間芸術であり、その点で、音楽に大変近いように思う。庭は時々刻々その貌(すがた)を変えている。だがその変化の様態は目に立つほどに激しいものではない。穏やかな円環的な時間の中で、完結することない、無限の変化を生き続けている。

ヨーロッパ庭園の多くが、幾何学的シンメトリを尊重しているのとは違って、日本の庭は、一見、アシンメトリな不均衡を作庭の基本においているようだが、どの隅々も明晰で、小さな石の配置ひとつにも、広大な宇宙の仕組みを暗示するような仕掛けがほどこされている。自然の中に設けられた別の人為的空間によって、その全体が示す多義性は、私たち人間に、庭がたんに美しいものであるという以上の感慨をもたらしている。

私は、自分が作曲する音楽が少しでもそういうものに近いものでありたいと思い、機会ある度に、夢窓の庭を訪ねている。」*4)

この「径」では、そういった時間と空間の概念がどのように表現されているのだろう。

私なりの分析を試みるにあたって、その要素として大きく項目をわけて考えることにする。

1 音程構造

2 リズムの特殊性

3 速度と速度変化

4 音量変化(ミュートの使用)

これら一つ一つは互いに絡み合いながら、一つの音世界を作って行く。旋律的ということと、風景の微妙な変化ということに注目して、この作品について、考えてみることにしよう。


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