単行本 紹介



株の天才投資家をマンガで描いたこの2作。詳しくは大投資家との邂逅のページへ
この書籍の詳細及び通販についてはバフェットさんはこちらへ
「本間宗久翁秘録」はこちら
「ジム・ロジャーズ」はこちら
http://www.tradersshop.com/bin/showprod?a=2420&c=9784775930090

田無ロ-タリ-クラブから、石原都知事の「心の東京革命」をテーマになにか書いてと頼まれていたお仕事。ロータリーの地区HPに50ページ一挙掲載されています。お父さんのは帰宅をしてもなんとなく居心地悪く、会話が噛み合わない所から物語は始まります。タイトルは「絆」(きずな)デス。
http://www.rid2580.org/ 開けましたら、左側の社会奉仕委員会を開いてください。中央の枠で囲ってあるところにPDF版と、WEB版が載っています。お読みになったら、ロータリーの掲示板に感想など書き込んであげて下さい。
![]()
文庫本紹介
![]()
「子育てまんが」の草分け
結婚てなんなの(文庫)学陽書房、女性文庫シリーズより
森生文乃著/1、2、3、巻/各520円(全部マンガです)

1巻目(生まれる編) 1420グラムで生まれた超低体重児の出産、育児まんが
結婚幻想、イラツキ、自己批判、孤立無縁の孤独、
その中で、自分の幼児期、自分の親との関係にさかのぼってもう一度自分を見つめ直す心の旅
巻末に中編「月とブランコ」も収録。この作品は「生まれる編」より前に描いたものですが、アーサー・ヤノフ著「原初からの叫び」サブタイトル<抑圧された心のための原初理論>を読んで衝撃を受け、自分の体験、自分の原初からの叫びを表現したものです。今にして思えば、この本を読んだことが、いだきしん(齋藤忠光)氏との出会いへの助走になりました。
発表当時の新聞評 読売新聞 ’93年12月??日 家庭とくらし欄より
育児漫画の草分け、森生文乃さんが、一児の母親としての自分の体験や悩みを中心に描いた漫画集「結婚手なんなの!?」をこの程自費出版した。「ヒステリー・ウォーズ」など六作品が掲載されている。前作の「主婦ってなんなの!?」に続く二作目。
内容は未熟児だった子供を育てる不安、母乳、母親の孤独、育児中のイライラ、夫婦げんかなど。母親の日常生活と心理が生き生きと描かれている。
注文はxxxx(作者の住所)云々
こんなちっちゃい記事なのに一週間で500册程注文のはがきが来て、あらためて子育てにみんな苦しんでいるんだなという現実を実感したものでした。
第1巻生まれる編、最初の自費出版の時の後書きより
**************
あとがき
三年ほど前、少年画報社より発行された「シヤボン玉の日々」という本がありました。絶版になってしまったにもかかわらず欲しいと言つてくださる方がたくさんいらっしやったので、また子供が「これはわたしの宝物なの」と言つて繰り返し繰り返し読むので、もう一度本にしようと決めました。気に入らないところをかき直ししているうちに、結婚そのものを間うような本にしたくなつて、全三巻におよぷことになりました。
この巻に描いたのは、子供から毎日自分の本性をあぱかれ、まいっていた頃のことてす。子供の頃、自分の親を見て、ああいう大人にだけはなりたくないと思っていたのに、現実の自分の姿、本性は、親から受け継いだ反応パターン、行動パターンとまつたく変わらないものでした。自分の意志ではどうにもならないジレンマに苦しんでいました。
そんな時、そんな時期に、齋藤忠光という方に出会いました。齋藤氏はピアノの昔を即興で出しておられましたが、その音は聞いている人の、お腹や胸にためこんで閉じ込めてしまった苦しみや悲しみや恐怖を自覚する音でした。齋藤氏は、聞く人ひとりひとりのために、個々にその音を出す仕事をされていたので、私も自分の音を出していただけるチヤンスに恵まれました。それは、お腹や胸の中が初めて新鮮な空気に触れたような、ハラワタや心臓などがよみがえる音だったのです。
その音を出して聞かせてくださつた齋藤氏に、感謝の意を述べさせていただくと共に、以前(関西のタウン誌に掲載された齋藤氏の記事を紹介したいと思います。というのは、私がいいたかったことも含めて、いろいろなこと全て凝縮されているからです。何度読んでも新しい発見がありますので、ぜひ繰り返し読んでみて下さい。
****子供の感受性を受けとめられるだけの親になっているか***
齋藤忠光氏が語る
(月刊すぺえす・ぱる編集工房 発行)
月刊すぺえす・ぱる54号より転載
齋藤忠光「音は、私の体肉から生命そのものの光と感応して出されてゆく、聴く人の意識が透明化してゆく。といいう現象を得て、演奏活動をはじめました。頭を働かせるのは本質的な自分だから、その自分の本質に目覚めなければならない。頭ではなく、体の感受性を取り戻すことが中心だと思う。自分自身の感受性が動かなくなって生きている、その自分をもうひとリの自分が、はねかえしてくれたら、…そのお手伝いをさせていただいているのが、私のピアノの普です。深く自然に根源的な自分に回帰して、体肉から呼びさまされる一瞬に、意識の健康を取り戻してゆける。
花や木の精気に気付き、花や木から発する光を見つけることができる。語り合うこともできる。自然と一体に生きている自分を見つけることができる。感受性が回復してくると、自分の本当の生命力、本質に戻って
てゆける。そのことが大切なのであって、表面的なストレス解消をしても、解決してゆかない。現代社会の失われた感性を取り戻すことは、自分自身の根源に立ち帰ってゆける日常がなくてはならないと思います。
子供の感受性を受けとめられるだけの親になっているか、どうか。大人は子供に、理屈や言葉での押し付けの毎日ではないだろうか。もしそうだとしたら、バットでなぐられても仕方がないと思う。子供の心が自然(原始)の状態でいるのに、現代社会の理屈を押し付けてばかりいて、子供の心がすくすくと成長してゆくだろうか。やらせるだけの大人になってしまっていたと、私は思いました。子供の感受性が受けとめられているか、親の心が澄んだ時、子供の心は受けとめられる。大人(親)が、子供を育てられる親になれば、子供は変わる。問題なのは親であると思います。
大人の感受性が純くなっていて、心の交流が家庭内で持てなくなっていて、物ばかりあふれている状態で、子供の成長にとって、危機を感じたことが、私のこの仕事の動機ともなりました。私のピアノの音を聴く人が、本質的な自分に立ち戻って、子供たちのように、毎日を発見の喜びで満ちていくのなら、一緒に生きている実感が、足もとからわいてくるのじゃないかしら、それが生命の活性です。すべてが当たり前になって、感受性も純くなってしまっている今、逆に、自分自身を見つけるチャンスじゃないでしょうか。そんなお手伝いが、私のピアノの即興演奏でさせていただけたら、そういう使命を覚えている毎日なのです。」
結婚てなんなの(森生文乃)に戻ります
2巻目(自立編) 自分の感覚とか、世の中の常識とかが「なんか変じゃない?」と気付きはじめたことから始まって、夫と別居に踏み切る
までの事が描いてあります
3巻目(行動編)主婦の目で見た世の中のエッセイ風まんが。
1、2巻と違って、ごく普通の家庭の主婦「たんぽぽさん」が主人公。
他に女性、仕事、社会学、老人問題を含めてスペシャルゲスト4人の文章を収録
ゲスト執筆者名……橘由子、チョン・ヨンヘ、市場恵子、斎藤忠光
現在絶版になっていますが、作者の所に、文庫の元になっている自費出版本の残部があります。下記メールあて、お知らせいただければお送りします(一冊520円/送料別)
森生文乃
学陽書房の3巻目巻末の文章より、齋藤氏の文章をアップさせていただきました。(齋藤氏にお願いして語っていただことを、森生がまとめたものです。実際に語っていただいたことはもっともっと深い内容だったと思いますが、私の理解力文章力不足で正確にお伝えできなかった所もあるかと思います。あしからず)
結婚について
斎藤忠光
私は中学校から自分なりの結婚観をもっていました。私の親はあまり仲のよい夫婦ではなかったし、ほかの仲のよさそうに見える夫婦にしても、それほどピンとくる感じではなかったのです。それで、そういうのではなく、家庭が開かれた環境をつくりたいと思っていました。夫婦、子どもだけで生活する、という感じじやなくて、隣人や友人たちとダンスパーティーや食事パーティーが気楽にできて、できるかぎり大勢の人と生きることをイメージしていました。
そして、大学受験の帰りのバスのなかでたまたま出会った人がいて、その人と四年後に結婚しました。出会ったとき、「あ、この人と結婚するな」と感じました。結婚するためにつきあったわけではないのですが、たまたま出会ったときの直感が実現してしまいました。
先ほど申し上げましたように、私は開かれた家庭をつくろうとしたわけですが、結婚というのは相手だけではなく、価値観の違う親もいます。親はじやまにはできません。
親の問題以外にも、結婚生活というのはさまざまな問題がでてきます。しかし、どんなことでもぜんぶー緒に乗り越えていくことのできる相手が、きっといるのではないかと、昔からそう感じていました。打算的だと、打算できないことがらになるとパニックになってしまいます。でも、トコトン好きになれる相手だったら、どんなことにも命がけで対処できる、だからこそ、ほんとうに好きな相手でなければと考えていました。
結婚というのは、一つの制度だし、そうでなくても人間は「ワク」にはまりやすいから、自分たちが一番大事な、相手を好きだ、一緒に人生を歩みたい、暮らしたいというところから始めないとおかしくなります。
親の問題にもどりますが、私はかみさんに親をみてくれと頼んだことはないのです。でも、かみさんは率先して同居して、親の面倒を見てくれました。ダメならダメと言ってくれる人ですから、ダメな場合には、親にそのように言うつもりでした。そして、親のことは自分でなんとかしなければと思っていました。
ただ、一緒に暮らすなら、半端にしてはいけないとかみさんと話し合いました。半端なことをしたら、みんなつらくなるから、半端にするなら最初からやらないほうがいいと話し合いました。
周囲の人が、親のことで、死んでから後梅したり、バタバタしているのを見ていましたから、親の老後のことは中学時代からわかっていることでした。わかってることは先に手を打つ。ある日突然、「お前が面倒みてくれ」では、好きな相手もいやになってしまうでしょう。
私は単身東京で仕事をすることが多かったのですが、かえってかみさんに同情があつまって、親とはうまくやっていました。子どもは生活のなかで大人のやることを見ていて、両親の生き方をありのまま身につけます。かみさんが両親と仲良くしているのをみて、子どもたちは私の両親になついてくれました。
私の親の場合、東京で同居ということは、親を自分たちの生活にはめるということになるので、田舎に家を建てて暮らすということをやりました。かみさんと同居といっても、生まれ、育っていく子どものために、家は別々につくり、親は新しく建てた家にきてもらって、親なりに自由に生きてもらうことにしました。
私は老人ホームに勤めていたことがありますが、自分たちのことで精いっぱいになっていることが、いまの老人問題をつくっていると恩います。
いまはたいてい結婚すると夫婦だけの家庭をつくります。親を切り放している。自分たちだけで、楽しいかどうかわからないけれど、暮らしていくうちに、確実に自分も親も年をとって、ある日突然、親が倒れて一緒に住むことになる。慣らしの期間もなにもなく、突然地獄がくるようなもんです。こんなことやってられませんよ。国も、社会制度も、この問題に対してバックアップできない。
いままで一生懸命生きて年老いた人たちが、安心してその生涯を終えることができるように考えたい。結婚というのは、そうやって、生まれてから死ぬまでのことを、まるごと体験していくものでしょう。そのなかで子どもたちが、自分の未来をどうつくっていくか、考えられるような生き方を、大人がしなくてはいけない。
部分的に、自分の生きているところだけ見ているとわからなくなります。長い目で見ないと本当の未来はつくれません。
(さいとうただみつ 即興演奏家)