ワールドウォーカー

_冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界を歩く_

(まんが製作日記/その2) その1はこちら

ジムさんについて。まず、ご本人のページ/ジム・ロジャーズ(ミレニアムドベンチャー)(英語) ジム・ロジャーズの本の御紹介/「冒険投資家 ジム・ロジャーズ 世界大発見」「世界バイク紀行


7/31 スペイン

スペインにケルト文化が…北スペイン(ガリシア)にはケルト文化が残っているのですって。紀元前900年から500年頃にこの地にたどりついて、ローマ帝国の支配を受けながらも、生き残ったとのこと。筆者は数年まえ、ガリシアのサンティアゴ・コンポステーラにいった事があるけれど、その時はケルトのことは知らなかった。スペインは南へ行けばイスラム文化があるし、不思議な国だ。

ところでフラメンコ…数十年前日本に何度か来ていたマリオ・マヤの情報がのっていた。(サクロモンテ出身の生っ粋のジプシー。ジプシーが受けた迫害の歴史を舞台で表現し、社会的な問いかけをしたフラメンコの男性舞踊手)。グラナダで新しいフラメンコの学校を開校したとかで、日本人の留学レポートがネットでのっていた。マリオの消息が聞けて幸せ。すみません、個人的な事で。ですが、久々にマリオを見て、懐かしくてつい。素敵な踊り手でした。数十年前来日した時、筆者は喫茶店でマリオの目の前に座る機会にめぐまれ、目と目がバチっとあった。深い瞳。悲しみと優しさが強烈に身体に入って来た。ナチによるユダヤ人虐殺は有名ですが、ジプシーの迫害、虐殺もひどかったらしい。民族の歴史を背負ってる人でした。


8/1 モロッコ/西サハラ

いよいよアフリカ大陸。モロッコから検索を始めた。色々な日本人の旅行記があって、それぞれ面白かったのだけれど、どれか特に御紹介する気にもなれず今日は御紹介無しですみません。一人旅の方はかなり現地の人に「金」目当てでつきまとわれて大変なだったと書いてあるページがあるかと思うと、女性が一人旅なんかしてるページもあった。日本人て凄いなあ、と思う。家族連れの方や中年の方のモロッコ旅行もあって、それぞれ楽しそうに書かれていた。 確かにモロッコは写真をみているだけでも美しくて、魅了される所みたい。世界遺産が3つも有るし。サハラもある。

西サハラ事情は良く知らなかったので御参考までに。西サハラ紛争

ついでに西サハラに対する渡航情報(危険情報)というサイトを開けてみたら、生々しかった。だって書き方としてはまるで天気予報のような表現の仕方で、たんたんと書かれているのです。地雷が埋まっているので注意が必要でしょう、とか、デモに巻き込まれる可能性が有ります、とか、渡航は見合わせた方が良いでしょう、とか…。サハラ難民は数十万人といわれているそうですが、恥ずかしながら初めて知りました。検索していたら、アマチュア無線の愛好家が定年退職してから開発途上国援助のボランティア団体を作り上げてしまって、西サハラにいったという紹介があり、定年退職後のお父さん達の底力を感じて頼もしくなりました。

それにしても、サハラ砂漠はこのうえなく美しいらしい。

8/3 セネガル

アフリカ大陸巡りはまだ始まったばかりなのに、耳慣れない国がいっぱいで正直ちょっとシンドく感じている私。でもジムさんはかなり丁寧にアフリカを回り本に書いている。なぜ?と考える。ジムさんはアフリカに未来の地球をみているのかもしれない。これからはアフリカの時代が来ると。その前にアジアの時代が来るかもしれないし、南米が頑張るかも知れない。いずれにしても今までの「先進国」はもう下降線にいる。そんな事を考えながら気を取り直してアフリカをまたネット散策する。

海外青年協力隊(元協力隊も含めて)が頑張っていろいろHPを立ち上げていた。セネガルはわりと日本人が入っている方なのかも?

ダカールといえば思い出すのは、パリ・ダカールのラリーに日本人で高齢で(失礼)完走された女性で、癌におかされた身体を克服しながら「精神だけは健康よ」とニッコリおっしゃるスーパービジネスウーマン能城律子さん。最近消息を聞かないけれどお元気かしら。(ネットにも最近の情報は出てない)

アフリカ大陸に入ったとたん、日本人情報ばかり書いている気がする。それほど公のアフリカ情報が入ってきていないということなんでしょう。セネガルの魅力はいまいちネット上で表現されていない気がする。ほんとうはきっとなにか眠っているんだ。

8/4 マリ共和国

どうも調べていてスッキリしない、と思いながらも今日も検索作業を開始した。調べていたら前に戻る情報も出て来た。サハラを旅行して死んだ青年の本があるらしい。ちょっと読んでみたい気分。サハラに死すというタイトル。アフリカの事はどうも、専門書籍でも読まないと分からないのかなと思いはじめる。それから一般的なウェルカム トゥー マリ とかマリ共和国情報 とか見ていた。そしてトンブクトゥを発見。昔、凄い栄えた黄金の都市。でもやっぱりもうちょっと何か物足りない。奴隷市場についての記述を探したけれど、やっぱり詳しい事はわからない。いつ誰が始めたのか、白人による黒人の奴隷売買が有名だけれど、黒人による売買もあった訳で、はじめはアラブ商人が関与しているみたいなんだけど、その辺は詳しく分からない。セネガルにも奴隷市場の遺跡は有る。あちこちに残っている。

などなど探している内についに(笑)行き当たった。ドゴン族の神話。やっとアフリカに来た心地がする。シリウス星とドゴン族 ドゴン族の神話とシリウスの謎 

8/5 コートジボアール

調べていたらまたもや難民問題が出て来た。世界は難民、移民で溢れているらしい。知らなかった。コートジボアールではおよそ4万人のリベリアの難民が問題になっているらしい。リベリア国内の紛争を逃れてコートジボアールに逃げて来た難民が、今度はコートジ ボアール国内でも攻撃を受けているという。アムネスティの発表

コートジボアールの国内情勢も非常に不安定らしい。この国は「象牙の奇跡」(西アフリカの奇跡)と呼ばれる好景気時代があって、成長率10%にまでのぼったという。農業に力点をおいて改革を行って成功したそうだ。(他のアフリカ諸国は工業ばかりなんとかしようとしてて、それ程の成功を得る事が出来なかった)。経済発展した時の指導者は今は亡くなってしまった。内紛についてはこんなサイトもあった。ご参考までに。コートジボアール:クーデタの背景と今後の危険

コートジボアールの土地問題というのも出ていて、土地所有制度というのが重大な問題なのだとあらためて頭に入って来た。森林の消滅に従い、土地争いが各地で深刻な問題となっていて、農民による他所ものを追放する傾向が過激になりつつあるという。そしてコートジボアールは三分の一が周囲の国からの外国人なのだそうだ。(国境をこえていかに多くの人が流れていることか。)

8/6 ガーナ ザンビア

ガーナ古王国と現在のガーナ共和国とは関係ないんだそうです。

取り合えず古い方のガーナ王国は、3、4世紀からおこったセム系の人達の国で、金が沢山取れた大きな国だったようです。12世紀に滅びたそうです。アフリカの外務省のページを開くと、たいていのどこの国もこのような古代の歴史はまったくばっさり切り落として(まるで古代なんか無かったかのように)20世紀の独立当たりから自分の国の歴史を書いているのですが、とても残念な気がします。

しかし現在のガーナ共和国の日本大使館のページを見て吃驚しました。先ずは独立47周年なんだそうで。私の年より若い。(あ、言わなきゃよかったかな)。そしてガーナは政変もありましたが今はインフレも解消し、通貨も安定し、「絶好の投資対象国です」と大使自ら熱い口調で売り込みをかけているのです。こんなページ初めてで面白かった。大体公式ページってつまらないのが多いものですが、なんかすごい熱気。ガーナと日本は「野口英世」でつながっている、とも書いてありました。え、そうだったんだ、とあらためて私などは認識した次第で、お恥ずかしいです。

日本人でウィルス学専門の方でガーナに行った事のあるお医者さんのサイトを見た。最近のザンビア報告が大変深刻だったのでちょっと御紹介しておきます。女性の地位が大変低いために悲惨な事になっているらしい。アフリカ体験記というサイトの中のザンビアのHIV/AIDSを御参照下さい。凄い勢いでエイズが蔓延しているらしい。それも若い女性に…。

8/7 ナイジェリア

ナイジェリアは内紛が多いと聞いている。情勢についてはこんなサイトがあった…ナイジェリア時事その他。最近の話題としては、イスラムの差別的刑罰が問題になっているようです。例えば、ある女性が鞭打ちの刑にあい、世界的な非難を浴びています。刑罰の原因がひどいのです。父親の命令で3人の男生徒関係を持たされた少女が、イスラムの法に反するという理由で鞭打ち刑にあったのです。それでも180回が100回に減ったので少女はアラーの神に感謝したとかで。なんとも、はや…。でも、世界中から避難されて観光客が激減しているとのことです。同じサイトですが、ビアフラの記憶についてはこちら。中年以降の方はビアフラというと痩せこけた子供達の写真を思い出される事でしょう。そう、あのビアフラってナイジェリアだったのだそうです。

ナイジェリアのミュージシャンの方が日本で会社を作って経営されているのを見つけました。有限会社DDK。日本の他にカナダとイギリスにも会社があって母国とあわせて4カ国で経営しているとのこと。社長はカインソラさんという名前で、英語、フランス語、日本語、ナゴ語、そしてヨルバ語を話し、そのすべての言語を読み、書くことができるそうです。すごい。この会社のページが作っているナイジェリアについては、色々な部族や芸術についても書かれていました。

ちょっと話飛びますが調べていたら、アフリカの出版界についてのページがあったので、これは私個人の覚え書きとして此処に書いておきます。(一般の方にはあまり興味がないかもしれませんがすみません。)インターネットはアフリカ出版界の福音となるか

8/8 アンゴラ

アンゴラはポルトガルから独立。その前はここからブラジルへ100万人の奴隷が運ばれたという。独立後はマルクス主義を唱えたのでソ連とアメリカの東西冷戦、代理戦争の場と化してしまった。いったん資本主義を受け入れたが、また内乱状態に。石油とダイアモンドなど資源が豊かな国だそうだが、そういう所にかぎって内戦が多い。

アンゴラを検索すると、他の国に比べていろいろな支援活動のサイトが見つかる。色々有るという事は、実はそれほど悲惨という事でもあるのだろうか。以前TVでも見かけたドイツの平和村のサイトには特別にアンゴラレポートのページが作られていた。アンゴラは世界で一番地雷が多いのだという。2002年地球白書というページにはアンゴラの子どもたちの30%は、6歳になるまでに命を落とす、等々ショッキングなデータでいっぱいだ。

ところで突然ザイール(現・コンゴ民主共和国)の話で恐縮ですが「投擲的発話: アフリカの声の世界」というページがあった。コンゴのある人々は会話をする時、目の前にいる人にむかって話す話し方と、目の前に居ない人に向かって話す話し方があるそうなのです。そして村の人に「今、一緒にいる人は?」と聞くと数十メートル離れた人のことも「一緒にいる」と答えるのだそうです。私も、誰かに「今誰と一緒にいるの?」と聞かれた時、目に見える範囲の人達だけでなく、「世界中の人と一緒」と答えられたら、と思う。それにはもっと勉強しなくちゃ。

8/9 カメルーン、ベナン

順番からいくとちょっと逆戻りなのですが、今日はカメルーン。ジムさんの本にはカメルーンの元国王の王子に出会った、という記述がちょっと載っているだけだったんですが、なんとなく気になったので調べてみました。

公的サイトにはカメルーンは飢餓も内乱も無いと書かれていて、最近アフリカの暗い話題ばっかリ見ていたので、ちょっとびっくりしてしまった。ちゃんと明るい国もあるんですね。(もっとも何が明るくて何が暗いかなんて他所の人が勝手に決めれることではないと思うけど)

新婚旅行で世界一周をされた御夫婦のページもあった。カメルーンは楽しくて1ヶ月も滞在してしまったそうです。(カメルーンに一ヶ月も滞在できる世界旅行なんて、すごい。仕事は…どうしたんだろう、などと、貧乏な私はつい心配してしまうのでした)

あとジムさんの本によればアフリカ西側を歩いている説き、ブードゥー信仰が普通にあって驚いたという記述があったので、ブードゥーを調べてみましたが、ともすると怪しいサイトに見えるのでちょっとご紹介する勇気ないです(笑)。もともとは蛇の信仰とも関連あるみたい。「世界ふしぎ発見! の... 第731回 西アフリカ横断紀行 伝説の王国をもとめて」のページを一応ご紹介しておきます。(あまり深く突っ込んで無いけど、一般的なので)

ジムさんが行ってない国でベナンがあるのだけれど、ベナンのガンビエという所は「再び得た自由」という意味で奴隷になることを嫌って逃げてきた人々が作った町なんだそうです。大変美しい水上生活の都市。ここの王様は「敵よ、我が祖国に入るな。」と手を挙げて、奴隷貿易に反対したんだそうです。benanというページに写真がいっぱい出ていた。ちょっと前のTV番組で「ここが変だよ、日本人」に出ていたベナン出身のゾマホンさんは印象的でしたね。

8/10 ジンバブエ 南アフリカ

ジンバブエは、あのレンガ(?)を積んだ大きな遺跡で有名ですが、いろいろな方の日記がありました。けっこう日本人が住んでいらっしゃるのでしょうか。ある個人ページに、ジンバブエでの生活開始の記録があって、ジンバブエでメイドさんを雇おうとした時の日記が書かれ、現地の日常的様子が細やかに伝わって来て、日記を読み進むに連れて、沈黙してしまった。とにかく、日本の日常からいきなりこの状況を読むと、なんか甘ったれた事は言えなくなる感じ、だった。貧困とストレスのために泥棒、強盗は常識のようで、、、。

南アフリカというとマンデラ元大統領ばかりが気になるので、「マンデラ」で検索してみました。

なぜか「南アフリカのワインを飲む会」というのが出て来て、でも南アフリカの事を分かりやすくまとめてくれてました。

フリーの国際情勢解説者、田中宇という方のページもマンデラから検索出来ました。込み入った情報が欲しい時はいいかも。旅ゅ〜ん/ネルソン・マンデラ氏自伝「自由への長い道」の舞台(ロベン島)のページはちょっと息抜きでの感じで御紹介。

8/11 ボツワナ

ボツワナという国は民主主義で有名だとどこかに書いてあって、「え、なんで?」と思って調べてみた。「戦争の最高形態は対話である」ということわざがあるそうなのです。「立的見解に対しての寛容さは長い間に確立された伝統で、植民地時代以前からあります」とボツワナ大使館のページに紹介されていました。そのページにはボツワナの昔からの部族のリーダーや会議の事が紹介サれていて、昔ながらの自分達の文化、しっかりした価値基準を、ネット上に紹介していて、その内容がまたすばらしいのです。どんどんそのサイトのほかのページも見て行きましたが、大変充実しているので吃驚してしまった。

経済的にもボツワナは大変素晴らしいとジムさんの10年前の本にも書いてあった。ただ、最近出た本の方には、あまり熱心にボツワナの事は紹介していなかった。というか、殆ど記述がなかった。なぜだろう。既に10年前に紹介したから、かな。

さらにもう少しボツワナを調べていたらこんなサイトが出て来た…。ボツワナのブッシュマンの状況…。一般的な(学術的な)。ブッシュマンについてのインターネット講座というのもあったので一応ご参考までに。

8/12 タンザニア、エチオピア、スーダン

タンザニア、エチオピアは いだきしんさんのコンサートがあった時に両国とも入国させてもらいました。タンザニアの時はサファリ観光に行く事が出来、動植物大好きの私には夢のように幸せでした。道中のガタガタ道は強烈に体力消耗しましたけど、そんな事はナンノソノと思えるくらいの素晴らしい世界が広がっていたのです。アフリカの大地にぽつんぽつんとある掘っ建て小屋みたいなのを見ただけで遺伝子が騒ぐというか、感無量で、最後にアフリカの夕日を見てやっぱり泣けてしまいました。タンザニアの日本大使館ホームページも親切です。

エチオピアでは観光する時間は無かったのですがコンサートでエチオピア各地の民族ダンスがえんえんと披露され、バックの巨大スクリーンに、いだきさんが撮影されたエチオピア各地の素晴らしい映像がず〜っと写っていたので、もう、目一杯堪能して来ました。神秘的で深い国です。駐日エチオピア大使館のページもきれい。私は個人的に日本の大使館でエチオピアダンスを習ったりして大変お世話になりました。エチオピアの方ってステキなの。

昨日からの話題と関連しますが。ブッシュマン(ボツワナ)とマサイ族(タンザニア)に関してはちゃんした本を読んでみなきゃいけないなと思っています。ちょっとネット検索だけでは物足りなかったし、もっと深い何かがありそう。歴史についても、しかり。とくにエチオピアは古いキリスト教があって独特。

スーダンに関しては何もしらなかったので、980以上のピラミッドが有るのだと聞いて吃驚した。日本にはスーダンの情報はほとんど耳慣れない感じ。なぜだろう。海外渡航状況を見るとスーダン南部では5月にエボラ出血熱が発声して注意が呼び掛けられている。国内の紛争に関して、8月には国連が示した民兵組織の武装解除などの行動計画に合意した、と出ていた。なんだか私にはまだこの国の状況は雲をつかむように感じる。

ついでながらエチオピアでは7/31にアジスアベバでバス停の時間差爆破事件があったそうで、事件の背景詳細はまだ不明だそうです。(家の新聞には出ていなかったのか、このニュースは初めて知った。自分がいった事のある都市だからギョッとするけれど、行った事もない知らない国のニュースだったら、見ても何も感じないで無視したかもしれない)

8/13 エジプト 

エジプト(基本情報はエジプト大使館へ)は今さら私などが余計な事を書く事ないような気もしたけれど、それでも恐縮ながらちょっと書いてみます。エジプト王朝のはじまりが、王朝以前の北の国と南の国の統一から始まっているのだと書いてあって、これって中国の歴史にもそんなような事を書いたページがあったなと連想を呼び起こし、不思議な気がしました。異文化の統合が大きな国家の土台になっているとしたら、面白いのだけれど、決定的な事はわからない。

現状は、ムバラク大統領が1981年に就任してからそのままで、2005年までの政権を確保しているそうで、ずいぶん長いのですね。中東との関係などで重要な役割をしているそうなのですが、すみません、白状しますがちゃんと勉強した事のない私は、現状について読んでも、基本的に分かってないので理解できないという事が分かった。勉強して出直さなくちゃ。 ムバーラク・エジプト大統領のインタビュー  イラク情勢及びエジプト国内治安情勢 (去年までの情報しかなかったけれど)  エジプトより/駐エジプト特命全権大使 パレスチナ国家樹立を目指す  パレスチナ解放機構「PLO」  結局、中東問題がわからないと分からないのでありました。これらをにわかに読んでもよく分からない情けない森生でした。お粗末でした。

8/14 サウジアラビア

観光などあまり積極的に受け入れる国ではないと聞いていたので、閉じている国のイメージがあるけれど、在日大使館のページはちゃんとあって、情報は提供している。閉じていたのは、知ろうとしない私の方か、、、。女性の切り口は、やはり同性の私には入り易いので、アラビア純子という方のページリンク集をブックマークしてそこから辿ろうと思った。で、ページを見始めたのだけれど、昨日全然寝てないせいもあって、気付くと居眠りしている、という事の繰り返し状態になった…。スーダン辺りのイスラム圏から、どうも調べているうちに眠くなってしまう事が多い。イスラムの国が遠く感じる。いっそのこといきなりコーランから読んだ方が、むしろ眠くならないかもしれないと思って、実際「コーランの声をあなたに」というページで音を聞いてみたらガゼン目が覚めてきた。イスラムHP スーフィズムなど、いろいろ勉強できるサイトはある。しかし、見なれないアラビア文字を見て、ちょっと尻込みしてしまう。今まで触れる機会が少なかった事を学習しようとするのは、すごいエネルギーが必要なのかも。

世界中に人が住んでいて、みんな平等に自然の命を授かって同じ地球で住んでいるのに、ある国にはある特定の情報ばかり流れて、外の情報は流れないという偏りは、とても変だと感じる。とくに、その事で世界が平和じゃないというのだったら、変だ、ではすまない。無視し続けていたって、結局影響はやってくる。少しづつでも知りたい。本当の事。真実。

8/15 オマーン

オリンピックもサッカーも見てない私には耳慣れない国。で、まずは外務省を検索。アラブ人、で宗教はイスラム教、のあと「イバード派が主流」と書いてあった。イ、イバード派?。無学な私は初めて聞く名でした。イスラム教も良く分かってないのに、さらに色々な派があるといわれた日には混乱の私です。でも調べたら次のような文章がイバード派の事として出て来た。「彼らによって,イスラーム教徒の罪とは何であり,それは人間の責任であるのかという神学上の大問題が提起された」と。なんだかドキっとした。宗教の罪とその責任について考えている宗教があったなんて。

オマーンは16世紀にいったんポルトガルの支配下になり、17世紀にポルトガルを駆逐して復活、インド洋で大きな勢力を持っていた強国だったという。ザンジバルがオマーン領だったという下りを見て、え?と思った。ザンジバルってタンザニアのザンジバル?!。奴隷市場があったところ。ザンジバルが領土から切り離されて、オマーンは衰退したという。くわしくはオマーン大使館の歴史のページへ。

8/16 イエメン、パキスタン

イエメンは幸せのアラブと呼ばれているそうです。(シバの女王の国だったのね。)今は他のアラブ諸国にくらべれば貧しいんだそうですが、でも、この国へ来て始めてアラビアの良さが分かるような、昔ながらの面影の有る、良い国だそうです。(男性がアラビアンナイトに出て来るような彎曲した飾り刀を帯に付けてさっそうと歩いているんですって)情報としてはあまり無かった。イエメン旅行案内

パキスタンはもろインダス文明。しかしその後、ガンダーラ、ムガール帝国、インド・イスラム、イギリスなど、かなり入り組んで複雑みたい。カシミール問題についてはこのサイトが分かりやすかった。カシミール問題Q&A パキスタン等アジア、アフリカの貧困、経済についての研究者「黒崎卓のサイトへようこそ」には参考図書がいろいろ紹介されている。アマルティア・セン というインドの学者の本も紹介されていて(ジム・ロジャーズさんの本にも出て来る)それには『飢餓は自然災害ではない』こと、『政治的原因による事が多い』ことが述べられている。

8/17 インド

インドは、今さら私がなんか書くのも恥ずかしいです。もっともインドに限らず、今まで検索して来た国々について、ずっと偏見と個人的趣味で検索事項をピックアップしてしまったので、今更なんですが、私の思い込みや勘違いで偏狭な紹介になっていますことを、どうぞ広いお心でお許し下さいませ。

それにしてもインドはいろいろ雑多にありすぎて書きようがありません。ヒンズー教だからでしょうか。多様なものをよくまとめてあるサイトがありました。一般的な情報ですが「ナマステ 多様国家インドの魅力 」 日本の援助について現地からの正直な報告も見かけた。「南インド村の人達/援助って何

ヒンズー教も面白そうであれこれ検索してみましたが、ちゃんとした研究書を読んだ方が良いかも知れない。あえて、これという紹介サイトを見つけられなかった。(どれも面白そうなんだけど、如何せんあまりにも多種多様で…)しかしお釈迦様はインドで生まれたのに、王族だったのに、母国は仏教ではないのは何故だろう。ヒンズーの強さか。

インドで重要なのはもしかしてカースト制かも。紀元前1000年くらいに侵入したアーリア人が作ったと説明されている。そんな古い制度がそのまま現役で現代まで通用しているって驚異的。学生がカーストについて先生といろいろ談義しているページがありました。5/30授業の感想(山口大学のアジア文化論研究室の先生のページ)

8/18 ミャンマー

ミャンマーもかなり多様なのか、あるいは政治が安定していないからなのか、はたまたアジアの特性なのだろうか、「この国はこういう国です」と断言することが事が出来ない気がする。そりゃ一応仏教国だということはできるけど。ミャンマーの人は純粋で信仰深い人達であると、多くの人の意見も一致しているけれど。

川いるかとミャンマーの人の共同作業を見付けた。日本の「鵜飼い」よりもっと平和でのどかで、すてきな感じ。このページは後藤修身という写真家の方のサイト「ミャンマーの写真&情報」の中にあった。この方の他のページもぱらぱら見てると心惹かれる。ビルマに残った元日本兵のページも、なんだかしみじみしてしまった。

そう…「しみじみする」そんな感じがビルマにある。他の個人ページで、ミャンマーに魅せられた方のページが幾つもあり、どれも味がある。そしてどことなく、「しみじみ」する。不思議と言うより懐かしい感じなのかも。

政治不安定にもかかわらず、旅行情報によると案外安全ですと書かれていたりする。行ってみると魅了されてしまう国かも知れない。しかしどうも府に落ちないと言うかシャキッとしない感じがして、何だろうと更に検索してみる。東南アジア各国デジタル年表というのを開けて見て愕然とした。年表に出て来る昔の東南アジアの国の名前を見ても、まったく見当もつかないのだ。織田信長の時代には盛んな交易がビルマやジャワまで及んでいたらしいのに、東南アジアの事、本当になにも知らない私。アジア人なのに。とういわけで簡単ですが東南アジア史。しかし、東南アジアの歴史をわくわくするくらい面白く紹介したものになかなか出会えない。東南アジアの真価は、まだ埋もれているのかしら。

8/19 タイ、カンボジア(クメール)

タイの王様達のページになんとなく惹かれてしまった。「王様と私」のモデルはこの国だったのですね。(ビルマと勘違いしていた私。タイとビルマと実はよく区別できていない)タイの古式マッサージ、マノーラ(なんだか、癒し系の感じ)というサイトにはタイの歴史やタイの仏教について書かれていました。結局、その国を理解するにはその国の宗教を理解しないとわからないんだなぁ…と思う。タイの仏教は「小乗仏教」で日本の仏教とはまた違うそうですが、それについてもこのサイトにリンク(日本の仏教)など紹介されていました。(ずいぶん親切なサイトですね)

タイはクメール文化の影響も受けていると言のでクメールも検索始めた。クメールはカンボジア。アンコールワットの写真は見て圧倒された。(アンコールワットのサイトはいっぱい有るので特にしぼれなくてすみません)。乳海撹拌の神話を探してみましたが、インド神話というサイトに少し出ていました。綱引きをした神々の闘いで、勝った方は実は天女が踊った時に目をつむっていたから勝てたのだという話があったりして(天女に見とれてしまった方は負けちゃったんだって)興味は尽きないのですが、マハーバーラタをよく読まないといけないらしい。う〜ん。またしても勉強したい事だらけになってしまう。困ったなあ。

8/22 マレーシア

20、21、とマレーシアを検索し始めては、どうも作業が進まず、どうしたのかなあ、と思っていた。いまいち、ピンとくる事柄に当たらなかったので、ここにも何も書けなかった。今日、ヤケクソ(?)でマレーシアと米(コメ)で検索してみた。ちょっと興味を持ったのでここに書きます。先ず、マレーシアも安い外国産と高い国内米に悩んでいるという記事があった。質は国内の方がいいとか。日本と似ている?。米受給動向と密輸の問題  海外青年協力隊のサイトに「地球探検」のマレーシアのお米事情のページもありました。 しかし、米の栽培は植民地になってから盛んになったので昔はマレーシア農民は米に興味を示さなかったという記事も出て来た。どうなっているのでしょう。マレーシアの稲作と米   お米の貿易比率をみると、世界では日本の米はほとんど流通していないに等しくて、日本の米は大変特殊なのですね。あれ、日本の事になってしまった。すみません。お米に関する記事はちょっと混乱してしまった。でも食料について調べると、いろいろなことが分ってくるのかも知れない、と思えた。

8/26 シンガポール

シンガポールの罰金制度は聞いた事が有りましたが詳しく知らなかったので、紹介ページを見てみました。日本だったらそんなこと(ゴミの投げ捨てなど)平気で行われているので、知らないでシンガポール行くと大変かな…?。でも、どれも常識なので、当たり前と言えば当たり前だから、きちんとした人にとっては恐れる事は無い。罰金なんか無くたってこういう事が守られていれば最高。

シンガポールから見た日本。日本は一時シンガポールを占領したことがあるのですね。学校で習ったかなあ…?。申し訳ないけれど覚えていなかった私。シンガポールに行ってそんなこと言ったらタイヘンだ。「シンガポール歴史民族博物館」に「日本軍・降伏の間」というのがあるそうです。日本軍はこんなふうに海外で「展示」されている事を初めて知りました。

リー・クアンユーの回顧録という本がある事を知った。シンガポールの歴史を知るならこの本がいいかも。シンガポールの厳しい罰金制度はなんと日本軍から学んだとあるサイト(リークアンユー回顧録の紹介ページ)には出ていた。(森生はこのあと、リーさんの「目覚めよ日本」を読みました。日本の文化について本当に鋭く捕らえていて、教えられることいっぱいでした)
500年後には国民が絶滅の可能性?!というショッキングな記事も見た。(トピックシンガポール) 少子化の問題はこの国も深刻らしい。

8/28 インドネシア

インドネシアはジャワ原人の発祥地。古い歴史について書かれたものにはこんなサイトがあった。インドネシア歴史探訪 でも、結局よく分からない、ジャワ原人。アフリカから来て、発展して、自然消滅したのか、なにがあったのか分からない。

東ティモールのことは数年前、知人からでトツゼン「東ティモールの人々が虐殺されてタイヘンな状況になっている」というメールが来て吃驚した。その後ようやく独立とはなったけれど、その後よく調べる事もまく、今日まで来てしまった。いろいろなサイトがあったけれど次のサイトがわりとわかりやすかった。野次馬的アジア研究

結局何が争われていて、争う事でどんなメリットが欲しかったのだろう?誰が争ったんだろうか。日本の自衛隊が今も400人くらい行っているという。(自分の払った税金はこういう所にも使われている訳なのね。)

それにしても東ティモール(だけに限らず)「支援」をテーマにしているサイトを読んでいると、私には何故か訳が分からなくなって来るのは、私がおかしいのだろうか。読んでいると何が本質的な問題なのか分からなくなってくるのです。もちろん現実の助けなければならない切羽詰まった問題が有って、その事に取り組んでいらっしゃる方は皆立派な方なのです。でも、そういう事ではぐらかされる何かもある。何が動いているのだろう。

一旦植民地になったりした経験を持ってしまった国は、たとえそれが敵であってもなんらかの交流がおこり、影響され、微妙に解け合いはじめる。それがまた時代を経て別の国の侵入を受けたりしてそこでもまた他文化の影響を受け、近年になって独立を目指す時がきてもそれを利用してさらに別の国が介入してきたり、まあ複雑です。

8/28 オーストラリア

オートラリア、行った事はないけれど写真を見ただけでも自然が美しい。アボリジニの人たちは、風景を見る時、祖先の精霊たちがそれを作ったと言い、どんなふうにその谷や道をつくったかを神話として語り継いでいるという。そして景観の中には精霊が潜んでいるという。オ−ストラリア先住民  

エアーズロックの山に「登らないで下さい」という看板があり、それを見て悩んだ日本人のページもあった。アボリジニーの人たちはこの山に登らないのだそうです。ここは聖なる信仰の山ですから。それを考えるととても「観光」気分で登る気になれなったというのです。悩む人って人間的…。

それにしても、4〜5万年前からの原住民だとするとそのまま生き残っていたことは奇跡的なのかもしれない。だいたい1万3千年くらい前、各地で大きな異変が起きているらしい。その時期に世界的に人類は大きな変動があったみたい。旧石器時代から新石器時代に変化している。なにがあったんだろう。