ワールドウォーカー

_冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界を歩く_

(まんが製作日記/1ページ目)


はじめに

この度パンローリング社とジムさんの御好意により、天才投資家ジム・ロジャーズさんの本をマンガで書かせていただく事になり、描くに当たってジムさんが車で走り抜けた110カ国以上の国々を調べることにしました。そして最初のアイスランドを調べたのですが、筆者はワクワクしてしまい、知らない世界の事を知るこんな楽しい作業を1人でやっているのは勿体ないと感じてしまいました。それでその作業をネット上で公開しようと考えました。ジムさんの本には実際に行った現地の事が書かれている訳ですが、ネット上ではあえてそれらの国のごく一般的な情報を取り上げて行くことにしました。机上で調べた一般情報とのギャップがどれほどのものなのか、明らかになっていくのもそれはそれで面白いです。

そんなわけでこのページは、一日一カ国づつ調べて。3ヶ月近くかかりましたが、ジムさんは3年かけて回っています。世界は広い!千差万別色々有る!面白い!なのでした。


ジムさんについて。まず、ご本人のページ/ジム・ロジャーズ(ミレニアムドベンチャー)(英語) 

ジム・ロジャーズの本の御紹介/「冒険投資家 ジム・ロジャーズ 世界大発見」「世界バイク紀行
翻訳者/望月衛氏の翻訳作業後の感想のページ 


7月13日(一日目) アイスランド

こんな北の国に、こんな立派な都市があるなんて知らなかった。(すみません)。主都レイキャビク、名前は聞いた事あったけどアイスランドとは知らなかった。もう、大恥ばかり。

簡単な要約情報

アイスランドって北極に近いので寒いのかと思ったら、国内で利用する電気の大部分を地熱でまかなっているという。広大な温泉リゾート(ブルーラグーン)の写真を見たら皆水着なので吃驚。国民一人あたりの国内総生産(GDP)も先進国中でも高水準だそうで、治安も大変良いそうです。

水素燃料の実用実験を開始するなど、世界のパイオニアを目指したエネルギー政策を行っているという。再新技術をもった国なのか。でも軍隊はないんだそうで、米軍の駐留があるとのこと。

人口30万人弱。北方ゲルマン人。国語はアイスランド語。とのこと。宗教は福音ルーテル教。9世紀にノルウェ−のハラルド国王との政争に破れた貴族たち(ヴァイキングと書かれているサイトもある)が、逃れてこの島に移り住み、文化を作ったという。10世紀の初めに『アルシンギ』と呼ばれる世界最古の民主議会を設立したという事実がある。1262年以降、ノルウェ−、デンマーク、と支配され、1944年6月17日アイスランド共和国が誕生、現在に至る。

この国の文学…歴史物語『サガ』(日本の古事記に相当する)  『エッダ』も有名

サガのことはノルウェーのノーベル文学賞作家(詩人)ビョルンセンの本で聞いた事がありました。話は脱線しますが、ビョルンソンは筆者が以前「うたて」というインターネットまんが雑誌で紹介したことがある作家です。(岩波文庫に「アルネ」という名作があります。大変美しい格調高い小説でした。田山花袋や森鴎外などの大正時代作家が絶賛していました)たしか彼がアイスランドの古い詩を研究してたという記憶があります。妖精や山々の精が出てきそうな北欧であります。おっと、ノルウエーの話になってしまいましたね。失礼。

アイスランド航空のHPが写真が綺麗だったので下記に参考までに載せました。お暇でしたらどうぞ、北国の風景は大変美しい。

外務省 - アイスランド共和国

アイスランド航空

筆者/雑感… ところでジムさんが何故この国を出発に選んだかは今ここでは書きません。それよりも、第一国目で実はめげそうです。国を調べるってけっこう大変な情報量があって、それを簡潔にこなすってけっこう大変かも。こんなこと毎日やりながらマンガ製作も同時に進められるんだろうかと、はなはだ不安。取り合えず一日目、完了、です。


7月14日(2日目) アイルランド

今日は昨日と一字違いのアイルランド。イギリスの横にあります。しかしちょっと調べただけですがボーダイな情報が眠っていそうな国で頭がクラクラする。ケルト文明の地だそうです。ケルト…! 気にはなりつつまだあまり調べていないケルト文明。少しだけ了解しいるのはケルト人は死と再生の信仰(あるいは哲学)を持っていたということ。ここではこれ以上深入りしませんが、気になる文化です。

アイルランドは7000年前石器文化の先住民が住み、その後農耕民族が来て、家畜を育て、土を耕した。その新石器時代の定住者の後に、金属(鉄)をもった人たちが渡来したという。なにやら日本史と良く似ていますね。紀元前6世紀頃ケルト人がたくさん上陸。5世紀頃キリスト教が入っているらしい。中世は他の西ヨーロッパ地域と違って野蛮な侵略を経験する事がなく800年頃まで独自のアイルランド文化を作り上げていたと、ネット上には書いてあった。9世紀からバイキングの襲来を受け、12世紀にはノルマン人が侵入。その後イングランドとの関係が錯綜し、プロテスタントとカトリックが争い、擦った揉んだの複雑な状況はちょっとかじったくらいではわからない。それでもアイルランドはイギリスから共和国の独立を勝ち取る。

独立後はEC諸国から「ケルティックタイガー」と呼ばれる程の驚異的経済成長を遂げ、最近はそれほどの勢いは無くなったものの、一人当りのGDPは高い。特筆すべきは人口で、近年の人口の変化には目を見張るものがあります。1980年代まで続いた減少傾向に歯止めがかかり、最新ではかつての海外への移住者がUターンし、アイルランドの年齢構成は、全人口の半数以上が30歳以下の若年層で占められているという、驚くべき事実。

文化芸術は豊かで、文学者ではW.B.イェーツ、バーナード・ショウ、ジェームス・ジョイス、オスカー・ワイルドや、「ドラキュラ」のブラム・ストーカー、「ガリバーの冒険」のジョナサン・スイフト等がいる。ドイツのゲーテの名作「若きウェルテルの悩み」のクライマックスに出て来る「オシアンの歌」(主人公がロッテの前で読み上げる歌)はアイルランドの3世紀の盲目詩人の歌だという。昨日、アイスランドの章で紹介した「サガ」の研究をしたビョルンソンの詩にも感じた事ですが、身体の底からわくような狂おしい情熱を感じる詩だ。

アイルランド関連の公式HPは次の通りです。

外務省アイルランド 

在日アイルランド大使館

どの国を見ても美しい大自然の風景写真があります。でもそれを見るとなんだか泣きたくなります。地球はこんなに美しいのに…と。   

それから、実は北アイルランド紛争の事は全く書きませんでしたが、ちょっと調べて簡単に書くということはできなかったのです。あしからず。


7月15日(3日目) バルカン半島(旧ユーゴスラヴィア)

ジムさんの本では、ヨーロッパは殆ど素通りのように通過したように書かれていたので、私もヨーロッパを飛ばそうとしてユーゴスラヴィアを調べた。トロイ話で申し訳ないですが、まずは先日購入した地図帳で位置を確かめようとユーゴスラヴィアを探してしまった。…ない!!。そんな国はないのだ。今は。以前はあった。今は、スロヴェニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナそしてセルビア・モンテネグロという名前なのですね。私の頭の中にはまだユーゴスラヴィアという名前が残っていたので、一つの国の名前が失われたということと、その後こんなに沢山の国に別れたという事実に改めてぎくっとする。日本という国は、今まで「無くなる」という事がなかった…と改めて実感する。

この辺りの情報は20世紀の、最近の情報が圧倒的に多い。でも最近の事は、正直言ってわたしの頭では何が本当なのかわからない。すみません、お手上げ状態です。時間を下さい。なにしろ他の国からの干渉が多すぎて、何がなんだかわからないのです。公式ページには古い紀元前の事などは出ていない。簡単に6〜7世紀にスラヴ人が定住とか書いてある。他のいろんなサイトで調べるとギリシャ人が先住民としていて、その前はイリリア人(インド・ゲルマン語族だという)やトラヴィダ人だという。トラヴィダはヒンズ−教の元になっているとか、日本語の起源じゃないかという説まである。…さらにサズというシルクロードの琵琶の原型の楽器がサラエボにあるという。紛争の話よりこういう古代の話の方が私には面白いけれど、あまり情報は出ていないし、出ていても学会で通っている話ではないかもしれない。
13世紀にセルビア人のセルビア王国、14世紀にボスニア王国が立ち上がっている。どちらもオスマントルコがやって来て支配。その間にアルバニア人(イスラム教)が増える。クロアチア人は10世紀にクロアチア王国をたてているが、ハプスブルグ家支配下になる。その後オスマン‐トルコやオーストリアからの独立と共にソ連や中国、アメリカなどいろいろ介入しているらしい。あとはあの複雑な紛争に突入する。

ファド(ポルトガルの古い唄)を歌う日本女性がバルカン半島を旅していました。その方はサラエボ出身の歌手に惹かれてサラエボに行ったそうです。芸術は国境をこえる。そのサイトによると、バルカン半島は大変素晴らしい文化をもった国だそうです。(ファドの事は、筆者はフラメンコの先生から教えてもらった事があります。深い悲しみをたたえた唄で、奥深いカンテ(フラメンコの唄)にも通じる所があります。バルカン半島のことでファドに出会えるなんて不思議です。どこかで何かが繋がっている? 人の心は繋がっている…)

セルビア・モンテネグロ スロヴェニアクロアチアマケドニアボスニア・ヘルツェゴビナ

バルカン半島を行く(ファドを歌う日本人) 松田美緒

7月16日(4日目) トルコ

なんか凄い国だ。文化のルツボ。色々な人々(民族)がやって来ていろいろな国を作ったり消えたりするのだけれど、トルコではそれらの文化がどんどん融合しているみたいなのだ。

最初はどの国もそうですが石器時代があって最初の人々が住んで、そのあと農耕がはじまり金属をもった人たちが入ってくる。青銅時代でまっさきに歴史舞台に躍り出るこの地の華麗なるスタ−は「トロイ」だ。あまりにも有名。トロイの金細工が大変美しいそうでネットで画像を探したけれど、ちょっと出てこなかった。(どなたか御存じでしたら教えて) そのあとヒッタイトが入って来て大きな帝国を作る。ヒッタイトはなんと男女平等で、奴隷にも人権が法律で認められていたという。他から来た民族だけれど、先住民の文化、宗教を受け継ぎ、その上で独自の文化をつくったという。

その後ウラルトゥ王国、フリュギア王国などたつ。(フリュギアのミダス王は、手に触れるもの全てを黄金に変えてしまったという伝説で有名。こんな伝説があるくらいだから、かなり富み栄えたのだろう) それからリディア、ペルシャの征服を受け、アレクサンダ−大王以後、ヘレニズム文化へと融合して行く。リディアではサルディスという大都市が栄え、ヘレニズムの時はミレトス、エフェソス、テオスなどの都市が栄えている。4世紀からはビザンチン帝国になり、コンスタンチノープルの都市が輝く。キリスト教との融合だ。その後セルジュクトルコがビザンティンを倒し、それまでの文化にペルシャや中央アジアの文化を融合して新しい文化をつくる。オスマン‐トルコになると、それまでの文化をベースにさらにまた独自のオスマン様式を打ち立てる。

19世紀にオスマン‐トルコは衰退し、第一次大戦に参加して敗戦となる。戦勝国からの干渉を受けるが、ムスタファ・ケマルが「崇高なる平和」を国民に訴えて立ち上がり、国内を占拠していたギリシャ、イギリス、ロシア軍を撤退させ、独立を勝ち取る。この将軍の物語は小説にしたらきっと現代の「イリアス」のような読み物ができるのではないかしら。とてもドラマチック。

ちょっとだけジムさんの本にかかれている事を書くと、トルコは現在、かなり良い企業があるみたいです。最後に余談ですが、美大生のころ筆者は「カッパドキア」という遺跡の写真を見てドキッとしました。今回サイトでカッパドキアの良い写真はないかと探したのですが、数十年前に見たような衝撃を与えてくれる写真には残念ながら行き当たりませんでした。(探し方が足りないかもしれません)またもう一つ余談ですが、トルコのアララト山はノアの方舟が着いた陸地だといわれています。本当に不思議な国。

人口は約6,800万人弱 言語はトルコ語(公用語).宗教は大部分がイスラム教。

トルコ共和国大使館

写真がたくさんあったトルコのサイト/幻想のトルコ、写真が綺麗だったインターソルという旅行会社のトルコのページ

個人ページでトルコのサイトは大変多かったので、とくに絞り込む事が出来かねました。すみません。トルコって日本人にとても人気のある国なんですね。


7月17日(5日目) イラン

イランは、ジムさんが是非訪ねてみたいと書いてあった国ですが、「世界大発見」の本では諸事情で結局行く事が出来なかったようです。でもジムさんの意志を活かして、ネット上ではイランを調べる事にしました。

ところがここ数日、まだたった4カ国ですが、私は自分が書いている事は表面的なことでしかなイ事を感じていてがっくりしていました。『現地に行かなければその国の事はゼッタイわからない、いくら本を読んだってゼッタイわからない』と、以前ある方から言われていた事も思い出していました。何もわからないくせに、知識的な情報を書く事の罪も感じていました。

そんな折に、ふと、何気ないイラン在住の主婦のページを訪ねてみました。日本人ですがイランの方と結婚されて、言葉も習慣もよくわからないまま単身イランに飛び込んだのだそうです。そのページは、とても真摯で、正直で誠実だったので、思わず胸が熱くなってしまいました。人間の本来の交流の原点は、1人の人と1人の人の出会いからはじまるんだよな、と思い、何気ないページですがその方の心に触れてせつなくなりました。

略史です。

先住民はアジア系民族エラム人だといいます。紀元前2000年頃インド・ヨーロッパ語族のアーリア民族がイランに侵入してきました。アーリア民族といっても、メディヤ人、ペルシャ人、パルティア人と、びみょ〜に違うんだそうですが(すみません、このあたりはまだ全然勉強不足)、最初に統治し王国を造ったのはメディア人どそうです。(BC712)。BC550にキュロス大王がメディアを倒しアケメネス帝国誕生。460の民族・部族がそれぞれの言葉・習慣・法律のもと自由に暮らした、世界最初で最古の民主主義国家だと、書かれていました。(460とは恐れ入りますね。凄い!)大きな国をまとめるとき、たいていそこには優れた宗教があったのが人類ですが、ペルシャではその元になっているのはゾロアスター教らしい。ニーチェが「ツァラトウストラかく語りき」という本を書いていますが、私はまだそのゾロアスターの教祖のツァラトウストラの本を読んでいません…。

イランの神話は以前読みました。「王の書」が大変エキサイティング。悪の権化の王の娘と正義の味方の英雄が恋をして、万難を排して恋を成就するの。(是非マンガにしたいと思ったのですが実現していません)その他、ペルシャには晴らしい文学がいっぱい。在日イラン人の方でイランの文学などを紹介しているページを見つけましたので、詳しくはそちらへ。イランの紹介 芸術関係を調べはじめたらキリが無さそうです。シルクロードを通って日本に渡って来た文化がここにいっぱい見出せる。
話は戻りますがアーリア人はササン朝時代まであわせて1280年間イランを支配。その後アラブ人がイランを征服、イスラム教に変わりました。さたにモンゴル、トルコ等の異民族支配がありましたが、ペルシャ人としてのアイデンティティーは保持され、1925年にパフラヴィ(パーレビ)朝がたちました。1979年、ホメイニ師のイスラム革命により現体制となる。

人口 6,490万人、若い人たちが多いそうです(高齢者会ではない!)
言語 はペルシャ語、トルコ語、クルド語等が話され、宗教はイスラム教(主にシーア派)、キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教

取り合えず今日はこれにて。

ペルシャ旅行案内センター

在日本イラン大使館ホームページ


7/19(6番目の国) グルジア

グルジアという名を知ったのは数十年前でした、(古い話ですみません)。当時のソビエト連邦からバレエ団(たしかモイーエフ)が来て各地の民俗舞踊を披露したとき、中でもひときわ美しかったのがグルジアの踊りだったと記憶している。それでどんな民族なのか興味を持ちながら、今日まで調べもせず来てしまった。今日調べてみて、大変な苦難を乗り越えてきた民族だとはじめて知った。(もっとも世界中、何処へ行っても苦難だらけだということも分かってきたのだけれど)数々の侵略を受けながら民族の誇りを失わない事、侵略下で自分達の文化を受け継ぎ守り次へ伝える事は、並み大抵の事ではない。どんな状況にあっても、潰されそうになっても潰されずに己の光をともし続ける人々、先祖からの精神、魂を絶やさず生きて行く人々がいるってすごい。

グルジアの神話では、神が自分で住むつもりだったとっておきの土地をグルジアの人に与えたという。それほどこの土地の人は自分達の土地を誇りに思っている。この神話は「遥かカフカズの風」というサイトに載っています。このサイトは1988年にある企業のPR映画を撮影するキャラバンの一員としてグルジアにいった人がつくっていて、古めの写真がかっこいい。

グルジアは豊穣の地で、欧米ワイン界の巨匠たちが必ず訪れるワインの聖地でもあるという。豊かな事が、しかしいろいろな侵略を受ける事にもなり、ペルシャ、モンゴル、トルコ、ロシアなどなど沢山の異民族支配を受けた。いろんな血が混ざりすぎたのか、もともとのグルジア人についてはよく分からないそうだ。

ところで突然ですが、グルジア各地区の長は、地元住民から成る独自の武装部隊を有している、という。それの他に、グルジア保安省の構成下に特殊支隊が正式に存在し、グルジア国防省の配下にはSS特殊軍2個大隊が存在し、2000年に米国で訓練されたシェワルナゼの警護約100人が存在する、という。日本人からみるとものものしいけれど、それだけこの国が今まで置かれてきた状況を物語っている。自分の事は自分で防衛するのが常識なのだろう…。(日本は…誰かがやってくれると思ってる?)

グルジアについて書いているサイトでしっかりしたものがありましたので下に御紹介しておきます

写真とエッセイでつづる歴史の道GATI

日本グルジア文化協会


7/20(7番目の国) アゼルバイジャン

アゼルバイジャンの前に、昨日書いたグルジアについてちょっと書きます。実は今日、ジム・ロジャーズさんの本を再読してグルジアの所を読んだのですが、笑ってしまった。私がネットに書いた情報と、ぜんぜん違うから。つまり公的な、観光的なサイトから来る情報と、現状の情報の間にものすごいギャップがあるって事。とくにジムさんは投資家の目で見ているから、普通の人が気がつかない事が一杯かかれている。このギャップはあればある程楽しめます。

私のサイトではあくまでフツーの情報を中心に書いて行きます。内容的にかなり表面的ですが、それでいいです。むしろ、ジムさんの本とのギャップを楽しんで下さい。

という訳で今日はアゼルバイジャンに来ました。なんとサイトによってはこの国を「ゾロアスター教の国」と紹介している所もありました。明確なことはわかりません。公式なサイト荷よるとイスラム教シーア派となっています。グルジアと同じように1991年、旧ソ連から独立しました。主都バクーは石油がでるという事で旧ソビエトでも重要な場所でした。ノーベル賞のノーベル強大もここの出身だそうです。

イランとトルコの文化の影響が強く、言語的にもトルコ語と良く似ている(アゼルバイジャン語を喋るとトルコの人に通じる)そうです。こんかいネットを検索していて驚いたのは、美しい日本の女性でアゼルバイジャンの研究家という方がいらっしゃいました。戸言う訳で詳しい事はそちらへ…(笑) 「カスピ海の風に吹かれて」というタイトルで 廣瀬陽子教授がつくっていらっしゃいます。


7/21(8,9番目の国) トルクメニスタン、ウズベキスタン そしてカスピ海、アラル海

アゼルバイジャンからカスピ海をこえて対岸に有るトルクメニスタン。その情報は最初少ないと思われた。知られざる中央アジアで、旅行会社も少ないみたい。中央アジアの旅行会社というサイトで少し写真が見れた。民俗衣装の写真を見たら、夢のように美しい。サマルカンドという都がトルクメニスタンの隣のウズベキスタンという国にあって、そこも「青の都」とか「東方の真珠」とか云われ、その美しさは夢のようだとたたえられてきた。紀元前4世紀にアレクサンダー大王が、サマルカンドの美しさにおどろき、7世紀に玄奘三蔵法師も訪れてその美しさをたたえているそうだ。それほどの美しいものがある中央アジアだった。

でも、ふとカスピ海が気になってサイトで検索したら、驚愕してしまった。水の汚染に関わる地球規模の危機を知る。

カスピ海では、油田掘削に伴う環境破壊の他に、天然資源をめぐる争奪戦が続き、かなり深刻な環境破壊が進行しているという。カスピ海環境保護枠組み条約というのがあって、カスピ海を囲む5カ国のうち、トルクメニスタンは条約調印を拒否。拒否の理由は不明だという。

ついでながらウズベキスタンにあるアラル海を調べてさらに愕然。2020年にはアラル海は消滅してしまうとさえいわれている。人工的に灌漑に利用した結果、一時的に作物がとれるようになって良かったかのごとく見えたものが、今では「塩害」となり、土地は砂漠化し、魚はいなくなり、湖の水はすでにその4分の3が失われたという。周辺の土地は汚染されて奇形児の出生率が増えているという。アラル海特有の毒物が南極のペンギンの血液から検出されもしているらしい。汚染は世界中に広がる。

20世紀は石油をめぐる戦争の時代であったが、21世紀は水をめぐる争いの時代になるであろう、と国連のレポートでいわれていたのですってね。筆者もどこかで聞いていたはずの事なのだけれど、今回やっとリアルにドキッとしました。(今までは正直いって、水の豊かな日本に居てピンときていなかった。)御参考までにこんなサイトも御紹介しておきます。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科:インターネット講座消える湖、アラル海/ 環境規制が厳しいカスピ海上流事業/  水資源の危機 

余談ですが、第二次大戦のとき、ソ連に抑留された日本人のうちウズベキスタン各地で強制労働のためにつれてこられた人達がいて
812人の日本人がウズベキスタン国内に葬られているそうです。その日本人抑留者がアリシェル・ナヴォイ劇場という建設に携わったのですが、強制労働にもかかわらず大変立派な建物をつく作り上げた、というので日本人は信頼されているそうです。タシケントに日本人の慰霊碑がつくられています。(この情報は「私の外国旅行/タシケント」というサイトで見つけました)。いきなリ日本人の慰霊碑が出て来たのでちょっと驚きました。

7/22(10番目の国) モンゴル

ほんとうは中国に入るのだけれど、中国を検索したらサイトが星の数程あり、圧倒されてしまった。特に投資関連の中国サイトはすごい活気でたくさんあふれていた。エネルギーがとぐろを巻いている感じ。原作(?)のジムさんの旅では中国、韓国、日本、ロシアと続くのですがこれらの国はあまりにも近い存在で、中学高校でも馴染み深い所なので、今さら歴史を書いてもなあ…と思った。それでちょっと飛ばしてモンゴルに行ってみました。

モンゴルは、なにやら親しい感じがする。赤ちゃんのお尻に蒙古斑があるからかしら。身体の記憶は消せない?!

モンゴルの歴史はこちらが詳しかった。モンゴルの歴史

匈奴とかフン族とかって一体何者だったんだろう。ずいぶん世界中駆け巡っている感じ。フン族はハンガリーに行ってるらしい。ゲルマン民族大移動の原因をつくったそうだ。いろんな民族が侵略されたり移動したり消えて行ったり…。

7/23(11番目の国) 中国 タクラマカン沙漠

ウイグル自治区に有るタクラマカン砂漠を追加します。沙漠ってやっぱりすごい。こんな所をわざわざ通る人がいることが凄い。でも、行きたくなる気持ちも分かる気がする。シルクロードの旅(大谷探検隊)沙漠横断の旅写真が沢山見れて、堪能できた。探検隊なのである程度人数がまとまっての沙漠横断。ジムロジャーズさんは少人数でよくこんな所(道も無い、目印も無い、風邪が吹けば地形が変わる砂の海)行ったな、よく生きて帰れたなと、あらためて思う。「私のどこでも散策記録」というサイトにも、タクラマカン沙漠の写真が見れた。もっともグーグルのイメージというので検索すると一発でいろんなの出て来るんですね。知らなかった(笑)

7/23(11番目の国) 中国 (イーニン)

中国をすっとばすなんて乱暴だったな、と反省してまた中国へ逆戻り。ウィグル自治区のイーニンをまず探しました。いきなり「富山は故郷のイーニンににているんです」というのが目に入って来た。イーニンからきてトヤマに住んでいる琵琶に似た楽器の名手の方がいらっしゃる。北陸駐日新聞  琵琶に似た楽器って聞いてみたいですね。  

中国写真館目次方がここでイーニンの写真を見ましたが、中国ってなにやらやっぱり繋がっている感じがしてしまう。中国の歴史が5000年なら、日本はこの国と5000年もつきあってきたことになる。長い付き合いの国なのだ。なのに私は今だ中国の事よく分かってない。お隣の韓国も。日本の事だって歴史がいろいろ隠されているみたいでよく分からなくなっている。でも、自分の国の事、特に古い歴史についてわからなくなっているのは、案外世界共通なのかもしれない。

7/24 突然の挿入 (日本の東北/平泉)

敦厚を検索していて、なぜか「外国人ドナルド・キーン氏が見た平泉」というページに出会ってしまった。あんまりショックな文章(素晴らしいと言う意味で)だったので御紹介してしまいます。ドナルドキーンは中尊寺の中に入って震えたと言います。その震えが伝わって来る文章でした。縄文とも繋がっていると感じました。また、その後に別の方が「平泉という都市も、極楽浄土をこの地に実現しようということを基本コンセプトとして設計された中世都市であった」という文章を付け加えられていました。これもびっくり。

何が起るか分からないのが冒険旅行ですから、突然このページの流れから外れてますが、お許しいただければ幸いです。旅の目的は「驚き」と「感動」ですもの。

しかしよく考えたら、22日に書いたモンゴルのシンギスカンと義経が同一人物というとんでもない説がありましたっけ。その義経は中尊寺まで逃げて来ていたんでしたね。なにやらビミョ〜にこの数日がちゃんと繋がっている。源義経=ジンギスカン説についてのサイトも面白かったです。お好きな方はどうぞ。


7/24 漢民族 敦厚を検索しても平涼という所を探しても、ピンと来るページが見つからなかい。中国を調べると、自分の感覚が上滑りしてしまって定まらない。

結局、漢民族そのものがわからないと思ったので、漢民俗を検索してみた。すると、漢民族というのは南方型言語を話す民族と北方型言語を話す民族とが融合して、新たな民族すなわち漢民族が生まれた、と書いてあるサイトがあった。牧畜型と農耕型の異質文化の合体なんだそうだ。また他のサイトによると、黄河周辺の系統を異にした諸民族が相互に接触、文化摩擦のエネルギーで相互の文化が融合し、変容して高文化を作り出した、と書いてあった。文化の要は「文字」の創造だったらしい。文字発明のおかげで色々な文化が交流できるようになったらしい(話し言葉はいろいろで、文字の方が通じたらしい)。その集団のなかから特別な傑物が現れ、多数の人を統一、支配して大きな国となっていったのだという。

また中国のイスラム教もちょっと気になった。中国の西域との交流は古く、紀元200年、漢の時代からイスラム文化と交流していたと書いてあるサイトがあった。(でも今調べたらイスラム教が始まったのは7世紀だから、これは記述が変ですね)ただ「胡弓」とか「胡瓜」とか「胡」と名のつくものは西域からきたものであるのは確かで、西域との文化交流は相当あったらしい。

ジムさんの旅を辿ろう思っていたのに、妙な所にばかり飛んでしまった。せっかく大投資家の旅をなぞっているのに、とちょっと反省。

それで「中国経済」をちょっと散歩してみた。最近のニュースから自動車を見てみましたが、びっくり。中国の自動車メーカー各社の生産能力の増強はすごい。生産目標の数字を見るとがんがんと、平気で倍の目標をたてている。日本と全然違う。

7/25 韓国

長い付き合いの、そして多分とても親密な付き合いの韓国と日本。ちょっと調べはじめたけれど、どうも自分の気持ちがヒットするサイトには行き当たらない。

ジムさんは本の中で、韓国の男の子の数が異様に多く、女の子がやたら少ない、という事実に出会って驚いていたことを書いていた。それで私は韓国の「女性」という事で検索を始めてみた。すると韓国では、女性の地位向上の情熱的努力がなされているようで、どうやら日本女性は遅れを取りはじめているらしいことがわかった。女性企業支援法なる法律も出来ているそうで、官民一体になって取り組んでいる。視察にいった日本の人たちが皆、韓国にに学ぶべき物があるといっているサイトも見た。

「第6回 日本の一歩先行く韓国の女性就業・起業支援」

きゃりあぷれす【特集企画】女性と仕事に関する韓国視察レポート

また韓国の女性と経済に関しての、こんな面白い記事が有った。韓国に進出した多国籍企業が手強い韓国女性の顔色をうかがっている、というのだ。韓国の女性たちは大変几帳面で、世界的製品の品質を見極めるからだそうだ。例えば韓国女性の化粧知識や水準は専門家顔負けだそうで、韓国の女性がOKサインを出す商品なら「世界で売れる」とマーケティング戦略をたてる企業もあるという。

私などはレディスコミック畑の出身なので、韓国の女性がOKサインを出すようなレディコミってどんなんだろう、とふと思ってしまった。


7/26 ロシア

実はロシアのこと全然知らなかった。特にソビエトからロシアになってからはどうなってるのかプッツンしてた。お恥ずかしいですけど。今回初めて自分からロシアのこと調べた。

まずロシアの経済って、石油・ガスに依存しているんだと書いてあった。工業先進国のイメージだったのでてっきり工業生産が経済を支えていると思ったので驚いた。何にも知らない私だったのね。

今ロシアの大きな問題の一つに貧困化があるという。富裕層と貧困層の所得格差がすごくあるというのは、アメリカの事と思っていたら、ロシアでは今、富裕層10%と貧困層10%の所得格差は現在27倍、首都モスクワでは50倍にもなる、と書いてあった。日本はどうなのかなと調べてみたら、1994年2.82倍から2002年に3.07倍に拡大している、という記事を見つけた。(2004年はわからなかった)日本も格差が急速に拡大しているようです。

 ロシアでは人口の約4分の1以上が貧困層に属しているという。年金受給資格者は女性55歳、男性60歳であるが、なんと現在、ロシア男性の平均寿命は59.8歳なんだそうです!!(自殺者がかなり増えたのですって)この計算からいくと、平均ロシア男性は年金をもらわずに死ぬことになってしまう、とのこと。驚きの連続でした。日本だって、他人事ではないと思う。

ロシア情報ステーション

7/27 ロシア バイカル湖

今日はイギリスへ飛ぶつもりだったけれど、なにか気になって「バイカル湖」を検索してみた。そして、またびっくり。日本の縄文人のふるさとはバイカル湖のほとりではないかと言われている、という記事が出て来てしまった。(何でもDNAからしらべたそうな)現地の人々のあいだでも「神様がバイカル湖を創るとき,掘った土で日本を造ったためその形が似ていて,日本とバイカル湖は古い兄弟である」という伝説もあるとか。

筆者も、バイカル湖付近に縄文土器に近い土器が発掘されたというのはどっかで聞いた記憶があったのですが。いよいよ研究が進むにつれてその可能性大?!

淡水湖のバイカル湖は、面積は世界で第7位。その深さは世界で一番だそうです。透明度も日本の摩周湖と同率とか。とても美しい湖らしい。でも汚染が進んでいる。(摩周湖も同じ)

神秘のバイカル湖

7/30 モスクワ 

7/28、このページ休んでしまってすみません。7/29の夜中、モスクワを調べようとしていて、ちょっと眠気がさして来たとおもったら意識不明になって朝まで寝てた(笑)。日付けはもう7/30になってしまった。

モスクワの歴史は川から始まっているのですね。(良く考えるとどこの古代文明も川から始まったんでしたっけ)。で、歴史を調べようとして双頭のワシの紋章がふと目に入った。それを辿るとビザンチンだった。ロシアのお手本はビザンチンだったとのこと。でも、じゃあ、ビザンチンの双頭…のイメージはどこから、というと、、今ちょっと調べたくらいでは出てこなかった。

ジム・ロジャーズさんの本では、ビザンチンは「迷宮」の意味があって、現在もその土地に行くと迷宮みたいな感じが有るような事が書いてあった。そして、私も今、その紋章のルーツを調べようとしてなんだか迷宮の雰囲気で、時間切れになってしまった。「謎」というところで今日の所は終わりにせざるを得ない。この辺は深入りするなということか?(笑)。

モスクワの歴史についてはロシア史の一夜漬け  ロシア正教については ロシアンカルチャー  あたりを見ました。

7/30  イギリス

イギリスの事、全く知らなかった、という自分にびっくり。「数字が示す英国ってどんな国」という、英国大使館のページが面白かった。イギリスにはイギリス人がいっぱいいるのかと思っていたら(笑)、色んな人種がいるのだと知って驚いた。移民を受け入れる伝統がある国なのだそうだ。1999年には7万人以上の移民を受け入れたそうです。日本ではそんな多くの移民受け入れの経験してないけれど、これからはそうなる可能性もある…?。

気になってネットで「移民/受け入れ」と検索してみたらいろいろ出て来た。これからの日本は移民受け入れが必須であると説いている記事と、それに対してとんでもない事だと反対しているサイトとがあった。参考までに欧州では移民はどういう事になっているかというのは欧州移民コミュニティ見聞録  また、「日本とイタリアでは、かつてない規模の移民受け入れが必要となる」というのは国連の研究報告で言われているのでした。

話はちょっと変わりますが、家に「どの民族が戦争に強いのか」(三野正洋著)という本があって、ほっぽらかしてあった。今日イギリスの項目が出て来たので読む気になった。その本の最初にイギリス人と戦争の事が書いてあったのです。その本によると、近代、現代でもっとも多く戦争を経験しているのはイギリス人だと言う。そして、イギリスはどの戦争でも決定的な敗北を喫した事がない、のだそうです。イギリス人には本気で取り組む事が2つあるそうで、一つはスポーツ、そしてもう一つは戦争、と言われているんだそうです。イギリスの外交、交渉力の巧妙さは大変なもので、それにくらべると日本などまったく赤子のようであるらしい。

それにしても、イギリスの作家とか精神医学学者とかは、大変興味深いです。シェイクスピアをはじめとして、チャタレイ夫人のD.H.ロレンスとか。精神分裂の事を書いたレインという人の本を昔読んだ事があったのですが、ちょっと読み返してみたくなった…。