オーディオやオートバイ、スキー、カメラ、俳句など、趣味のひろさでも知られている。 そんな趣味に関する体験談は、しばしば「まくら」にも登場し、聴衆を泣き笑いの渦に巻き込んできた。 2001年夏、藍川由美と岡田知子がウィーンで録音した『ラジオから生まれた歌』のCDが発売され、 このアルバムを聴いた小三治は、「まくら」で思い出を語り、歌を披露するようになったという。 ならばいっそのことコンサートと「まくら」を合体させてしまおう! というわけで、この筋書きもプログラムもないコンサート、いったい何が飛び出しますやら!? |
演奏予定曲
山小舎の灯 (米山正夫)
さくら貝の歌 (土屋花情・八洲秀章)
山の煙 (大倉芳郎・八洲秀章)
夏の思い出 (江間章子・中田喜直)
あの人とっても困るのよ (高田敏子・中田喜直)
ちいさい秋みつけた (サトウハチロー・中田喜直)
こもりうた (野上 彰・團 伊玖磨) ほか
うたかたの歌とはいかにも語呂が悪い。だが、「ラジオ歌謡」は今まさにうたかたの夢のごとく消え去ろうとしている。 ラジオしかなかった時代、そしてテレビの出始めた時代、人々はNHKラジオが発信する歌に耳を傾け、ともに口ずさんでいた。その数は、「國民歌謠」約200曲、「われらのうた」での新作36曲、「國民合唱」86曲、戦後の「ラジオ歌謡」約800曲とされているが、それらの総てがレコード化されたり、楽譜出版されたわけではない。だから、ほとんどの歌はそれを記憶している人々とともに消えゆく運命にある。 これは、日本の歌をドイツ・リートに匹敵する芸術として定着させたいと願う私にとって耐え難いことである。私は日本の歌を系統立てて録音してゆく中で、「ラジオ歌謡」というジャンルには、単独のアルバムは組めないまでも、日本の歌の流れの中で無視できない作曲家が含まれていることに気付いた。その代表格が、《さくら貝の歌》(昭和24年7月4日放送)、《あざみの歌》(同年8月8日放送)、《山の煙》(26年8月20日放送)、《チャペルの鐘》(27年12月22日放送)、《うるわしの虹》(29年6月21日放送)をヒットさせた八洲秀章であり、《たそがれの夢》(22年11月3日放送)、《白い花の咲く頃》(24年5月8日放送)、《リラの花咲く頃》(26年3月26日放送)の作曲で知られる田村しげるだ。 そして、「ラジオ歌謡」はまた、戦後、本格的な作曲活動に入ろうとしていた中田喜直や團伊玖磨らに活躍の場を与えた。中田の《夏の思い出》(24年6月13日放送)、《雪のふるまちを》(28年2月2日放送)は音楽の教科書に載ったことで放送後も広く歌われ、《ちいさい秋みつけた》(放送芸能祭)も日本の名歌の一つとして歌い継がれている。ただし團の場合は、「ラジオ歌謡」として書いた作品よりも、「NHKうたのおばさん」で発表された《ぞうさん》(昭和24年)や、「NHK婦人の時間」のために書いた《花の街》(昭和22年)、《こもりうた》(昭和26年)の方が有名になった。 さて、彼らや戦前から東京音楽学校教授として活躍していた橋本國彦のようなクラシック畑の作曲家の場合には、「ラジオ歌謡」といえども、歌曲集に楽譜が収録されるなど、後世に残る可能性が高い。ところが、古関裕而や服部良一といったポピュラー畑の作曲家の場合、伴奏付の楽譜を入手するのは難しい。同じように「ラジオ歌謡」として発表されながら、なぜこうも扱いが違うのだろうか。 昭和11年の「國民歌謠」から戦後の「ラジオ歌謡」に至る一連のNHKの歌の歴史において、古関は最も多くの作品を提供しており、同じく日本コロムビアの専属作曲家だった服部も「國民歌謠」時代から活躍していた。戦時中、悲愴なマーチを数多く書いた古関は、《三日月娘》(21年8月18日放送)を軽快な三拍子で作曲することで世間に時代の激変を知らしめ、《みどりの馬車》(28年5月25日放送)、《並木の街の時計台》(29年1月31日放送)などの名曲を世に出して、戦後も健筆ぶりを示した。 一方、橋本は、「國民歌謠」時代から戦時色の強い作品を書いていたことで、戦後は東京音楽学校を辞し、《朝はどこから》(21年5月12日放送)、《乙女雲》(23年2月22日放送)、《アカシヤの花》(同年7月11日放送)等の「ラジオ歌謡」を発表したのち、この世を去った。 なお、服部の《黒いパイプ》(23年7月24日放送)のレコードはすでに昭和21年9月にコロムビアから発売されていたが、「ラジオ歌謡」ではこうした流用は珍しくなかった。米山正夫が書いた《山小舎の灯》(22年10月6日放送)や《森の水車》(26年4月9日放送)といった「ラジオ歌謡」の代表作でさえも、実は戦争中に作曲されたものだった。 近年、「ラジオ歌謡」を特集した楽譜集が出版されたり、日本の歌の楽譜集に「ラジオ歌謡」が収録される機会が増えてきた。こうして楽譜が残るのは歓迎すべきことだが、たまに歌詞や音符が放送された時と違う場合がある。当時の資料を保管しているであろうNHKが、きちんとした楽譜集を出版し、ラジオから生まれた歌を後世に伝えてくれることを願うのは私一人ではないはずだ。 (藍川 由美)
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