葛さん
私の年齢は78歳です。すごく老人と言うほどではないですけれども、ある程度年齢はいってます。私は学校に通ったことがないので話はまとまらないと思います。もう60年も過ぎまして、亡くなった人の名前は、ある人は覚えていますが、ある人はどういう名前かは忘れました。ご理解下さい。
日本軍は当時、中国のために、まあ中国の百姓を改善するために来たと言ったのですけれども、しかし私たちから見ると殺人をしたり、家を焼いたり、物を奪ったりしてこれは決して良いことではなかったです。私は東区に住んでおりました。私の村は260人いまして、戦争が終わった時には80人しか残っていませんでした。
トウさんの説明
260人から80人に減ったということはどういうことかと言いますとこの方は廠溝というところに住んでいて、そこの人たちがここの白馬川というところの人圏に入れられたのです。そこの人口も含めて、殺されたり、病死やそれから餓死したりを含めて、つまり80人となりました。
葛さん
その時にそこから東の方の人がここの人圏に入れられたのですけれども、この辺りの河北庄に憲兵が駐在していまして、時々外に行って人を捜したりしています。行くと必ず毎回収穫があるというような感じで誰かが見つかる、ばれるというような感じでした。ある日東山というところに洞穴があって、洞穴の中には100人ぐらい入れるんですけれども、その日は2世帯の13人がその中にいました。
1人の日本人が、名前は知らないのですけれども、その人に中国人が付けた名前は「洋鼻子」という人ですけれども、その洋鼻子が兵士を率いてその洞穴に行ったのです。村民たちがよくその道を歩いて洞穴に行っていたので、その隠れ場所がばれたのです。で、軍がそこに来て「みんな出ろ!」と命令して、その13人が洞穴から出てみんな入り口のところでひざまづきました。それからたぶん機関銃を使って、その13人を殺したのです。日本軍が撤退したらしいということで、私たちはその銃声を聞いた後で山を下ってその洞穴のところに来てみたら、13人は全部死んでいました。それだけではなく背中に銃剣で刺された痕があって、私はそれを見てびっくりしました。
どの国でも土地を奪って、人間の命を奪うということが多いのですけれども、その ために戦争をやったりしていたのですけれども、私は、土地があれば資源がある、土地があれば食料ができる、しかし食料は誰が作るのかといえば人が作るのだと思います。だから普通はその土地を奪っても、その人間を生きさせて、食料を作らせて、それからその収穫物を奪うことがよくあるのですが、しかし人間そのものを殺すということは理解できません。
もう1つ知っていることは、双廟というところにカンさんというスパイがいて、憲兵のスパイですけれども、その人は憲兵を双廟に連れて行って2世帯11人を殺しました。ここの辺りで八路軍に食料を送るには、私が住んでいた村を通して送るのですが、ある年の旧暦の5月4日、そのことがばれて村民が捕まえられたのです。私のお爺さんとお母さんの兄弟のおじさん、それから自分のお姉さんの夫の義理のお兄さんが捕まえられたのです。それから大きな深い穴(殺人坑)を掘って、最初に殺されたのは私のお爺さんでした。その当時62歳で、身長は私と同じくらいのお爺さんでした。2番目はおじさん、3番目は義理のお兄さん、全部で16人殺されました。
お爺さんは頭の後ろの首のところから切られました。 おじさんは殺される時、どうせ死ぬのだからと思って、罵ったのです。「おまえらは何のために来たんだ。私たちのために来たと言ったじゃないか。何で殺すのか。私たちは誰も八路軍に入っていない。そんな私たちを殺して道徳観念が全然ないのか」というようなことを言って罵りました。日本軍の1人がやって来て、私に対して「お前はいいんだ。おまえは勇気があって」と何かそんなことを言って、「よし」と言って、私を殺さなかったのです。帰されて、この辺りに連れて来られて1年後に解放されました。
もう1つの事件ですが、王さんという3世帯ですけれども9人いまして、その3世帯の中の1つの世帯は独身の方です。3世帯とも王さんという9人ですが、ある日討伐された時に見つかって、山の中のワントゥリャンというところにあまり深くない洞穴があって、そこに追い込まれて、そこで9人が殺されたということがありました。この村の書記も知っている、今も生きてここに住んでいる人のお母さんもその9人の中の1人です。今、王(72歳)さんと話したのですが、王(72歳)さんも知っています。「あの人のお母さんもその時殺された」と言いました。殺されたのは朝のことでした。
もう1つの事件は、何年のことか覚えてないんですが、10月のことでした。ある日の朝、討伐の日本軍がやって来ました。その家族は山の上に隠れていました。だけどお爺さんが死んで、そこに残っていた人は8人でした。「日本軍がやってきたぞ」と気づいて、若者は足が速くてすぐ逃げましたが、そのおじさんの奥さん、お母さんの兄弟の奥さんですから叔母さん、それにお祖母さんの2人の女の人が足が遅いのであまり走れなくて、捕まって銃殺されました。2人をいっぺんに1つの銃弾で殺したというような感じで倒れたのです。日本軍が去ってから戻って来て亡くなった人を埋める時間がなくて、乾いたトウモロコシの殻にちょっと隠して、それから翌日にお墓を作って埋めようとしたのですけれども、翌日また日本軍が来たのです。それに気づいて、この若者たちはまた足が速くて逃げました。日本軍からその死体を見つけられて、日本軍はそれに火をつけて焼いてしまいました。戻った時に死体はなくなって、もう骨となっていました。
もう1つの事件ですが、ある日八路軍から、その八路軍は村の農民ですが、食料を運んでほしいという依頼があって、この村の30人が小横河というところに食料を運ぶことになりました。黄酒鋪の近くの小横河というところで日本軍と遭遇して、私の親戚1人ともう2人の3人が捕虜になったのです。私の義理のおじさんで、名前は白さんです。私のおじさんは捕まってから、大きな木を抱えなさいと言われて抱えたら、釘でその手を釘づけにされたのです。それで銃殺されたのです。もう2人も銃殺されたのですけれども、釘づけにはされませんでした。村の人から3人が死んだということを聞いて探し出してみたら自分のおじさんでした。悲惨なことがとても多くて、とても理解できませんでした。
もう1つの事件は、無人区ですからだれも住んではいけないところなんですけれど日本軍がそこに行って誰かいるかと探したのです。3人が見つかって、アンフーという人と、それからもう1人はチャンフィンシャン。チャンフィンシャンという人は殺されたのです。アンフーの妻も撃たれて、足が折れたのですけれども、それでも機会をみて山の上に逃げたのです。しかし足が折れているので、降りることができなくなって、その山の上で餓死したのです。この3人でした。
トウさんの説明
先ほどこのおじいさんが話してくれたことは、1つの背景としてつまりそこの村の人はそこに住んでいて、ここで、今私たちがいる白馬川のところで、人圏が作られて、そこは無人区として誰も住んではいけないんですね。ただこの辺りに駐留している日本軍が、この近くに駐在している憲兵と警察署を率いて何回もこの無人区のところに行って、誰が住んでるかチェックするわけです。チェックして誰かがばれて見つかったら、殺したりそういうふうなことがあるということです。葛さんが言っていたように、そこに住んでいた方は260人です。ですけれども最後には80人になったということです。葛さんはさっき7つの事件を言ったのですけれど合わせて54人が死んだということです。
これから王さんに話をしていただきます。