興隆の旅アルバム1998年

 

1998年8月17日〜23日 興隆県を訪ねた授業交流団の写真集です。

詳しくは会報1998秋を御覧ください。

CONTENTS

 

   

  万人求

日中戦争証言・万人求

今も残る人圏の壁を見る

この後、「皆さんよくいらっしゃいました」と日本語を話す、式服(黒)を着たおじいさんがあらわれた

万人求

村の概況を語る呂さん

万人求

抗議する人(赤シャツ)

昔悪いことをいっぱいした

日本人が今更なんだ

教育局の狄さんがなだめている

万人求

私たちをぐるりと取り囲んで、村中の人が集まって来た

万人求

日中戦争当時の証言に来て下さった古老たち

万人求

銃弾の跡を見せる人

6ヶ所ある

義理の弟が説明

本人は耳が不自由でしゃべれない

万人求

川の反対側で見守る人々

万人求

任さんは、父、母、姉、弟の4名を殺された

たった一人残された苦労があなたたちにわかるかと、身をよじるように訴えた

万人求

6歳のときから一人だったと泣き出した任さん

当時のことを思い出すと、感情を抑えることは出来ない

万人求

団長のNさんが「つらかったでしょう」と語りかけた

万人求

緊迫した雰囲気を察してトウさんは演説を始めた。かつての日本軍は本当に殺したいほど憎い
しかし、ここにいる人々は、その事実を日本に伝えるためにやって来た朋友である
団長のNさんの著書をかざして

モクイ

日中戦争証言・・・モクイ

モクイの朝

この橋(1997造)の向こうが趙の人圏の跡

モクイ

人圏の中の討伐隊跡地の石碑

モクイ

日偽殺人場遺址

無人区、無人禁作地帯にいる人は、ゲリラに通じる者として捕えられ村外れのこの場所で殺され、大きな穴に捨てられた。

モクイ

殺人坑跡

右の段々畑からは、戦後1トンもの白骨が掘り出された

モクイ

教育交流・・・モクイ中学

リコーダーを使って、音楽の授業

モクイ

リコーダーは、日本の子どもたちが使わなくなったものをきれいに手入れして持ち込んだ

モクイ

1時間余りの練習で「かっこう」 が吹けるようになった

モクイ

教育交流・・・モクイ中学

顕微鏡を使った生物の授業
モクイ

教材には千葉の海から生きたウミホタルを持ち込んだ

ウミホタルの発光にはびっくり

モクイ

顕微鏡で観察

顕微鏡は昨年、埼玉から持ち込んだもの

モクイ

夜はキャンプファイヤーで交流会

村中の人が集まって、まるで村祭りのようだった

モクイ

モクイの子どもたちの合唱

向こうに見える建物は郵政省のボランティア貯金の配分で建てられ、97年に完成したもの

モクイ

リズム感のある、子どもたちのおどり

モクイ

あざやかな民族衣装を着て

モクイ

日本側も「花」を合唱した

モクイ

じゃんけんは同じ、キャンプファイヤーを囲んでゲームに興じた

モクイ

モクイでの教材の贈呈式

リコーダー、算数セット、カセットテープレコーダーなどを贈った

大水泉

出来上がった、大水泉中学校舎

外務省小規模無償援助資金による

大水泉

大水泉での昼食後村の子どもたちと

 

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