いのちの学び06.2月号(162号)
1項 表紙
下段
念仏者の言葉
足利浄円(明治11年〜昭和35)
*信心獲得とは、私が信心をつかんだということではなく、仏の慈悲に私がつかまれていることの心安さです。
。
*如来は人間を救うための存在であって、それ以外に如来の存在に何等の意義もない。
*光と暗の交渉を見て行くと、われらはねてもさめても光の如来を御名のうちに拝むことができる。われらは光をみることは光のみになって光を見るのではなく、罪深き人間であって光の如来を拝む。聖人の光に対する特別な見方は、御名号の内容として光を拝まれたと言うこと。御名号を通さずしては光は拝まれない。
2項
ミニ説法
霊長類研究の大家の杉山幸丸さんがラジオに出演していました。この方は元京大霊長類研究所の教授ですが、大学院生のとき大発見をしています。
当時、動物は食うか食われるかの厳しい世界に住んでいるが同種で意味もなく他殺したり、また同種で殺しあうことはないと思われていました。まして同種の動物の子殺しなどはまったくありえないと思われていたのです。
しかし、1962年、杉山幸丸さんが、インドのハヌマン・ラングールというサルを観察・研究していたところ、ある事件がおこった。
このサルは一頭のオスザルが数頭のメスザルとその子供たちでハーレムを作って縄張りの中で暮らしている。だから、オスの子供は適齢になるとハーレムを出て行かなくてはならず、若いオスザルが自分の子孫を残したければ、どこかのハーレムのオスザルを追い出しで乗っ取らなければならない。
ハーレムの周囲は乗っ取りをたくらむ若いオスザルが機会を狙いながら、群れをなしている。
事件はある縄張りで、乗っ取りが行われた後に起こったのです。
戦いに勝って新しくハーレムの主になったオスザルが真っ先にしたことは、そのハーレムの子供を次々と殺すことだった。はじめはメス達も子供をかばうのだが、とうていオスにはかなわず、一頭残らず殺されてしまう。すると、メスザルは発情しこの新しいオスザルと交尾し、また子供を産んでいく。
これは特別なことではなく、乗っ取りが行われたとき、常に子殺しが行われていることが分かったのでした。
はじめは衝撃的に伝えられたこの事実もその後、ライオンやゴリラ、チンパンジーにも観察されているといいます。
弱肉強食のいのちの連鎖は、花の美しさから、果物の美味、そして腕力の強さまでゆきわたり、強い種として受け継がれ今日に至りました。
人間も経済から学問まで、この弱肉強食のいのちの連鎖の輪の中で生活を営んでいます。
では力なく終わっていった弱い存在から何が生まれたのか。自らの存在に涙するしかなく、虚しく終わっていった無数のいのちの連鎖から阿弥陀如来の願いは生まれたとお経にあります。涙の中に虚しく終わっていったいのちに対して、強くあれと条件をつけず、涙の沈む虚しく終わっていく存在を、そのまま育み満たすという精神の領域が姿を現していったのです。それが阿弥陀仏の本願として説かれている「大無量寿経」の風光です。
「南無阿弥陀仏」の念仏は、私が阿弥陀仏に近づくための手段ではありません。 逆に阿弥陀如来が仏の存在を私に告げようとする働きの賜物です。だから「南無阿弥陀仏」を名号といいます。名は、「三日月」の薄暗やみのかなで自分の存在を声で告げるという会意文字です。号は「大声で叫ぶ」という意味です。
煩悩に沈む私の只中で、阿弥陀仏が「ここに慈しみの阿弥陀あり」と名乗り出てくださったものなので名号というのです。
3項 仏事アラカルト
Q,真宗では、木魚を使わないのですか。
A,木魚は、現在、天台・禅・浄土などの各宗において、読経のとき、打ち鳴らすもので、その名前が示すように、気をくりぬいた団円中空な、魚に似せた仏具のことです。なぜ、魚に似せているかといえば、魚は昼夜常にパッチリとしたまぶたを開き、油断も隙もなく勇猛精進の姿が、修行者にとって好模範であるので魚の形を持って戒めとしたようです。
昔は儀式や規律を伝える合図に用いていましたが、近年は、読経にリズムをつけ、また励ますために鳴らします。
浄土宗では、お経を長くよみ、念仏を多く称えることが重要なので、調子をつけるために木魚が必要となります。ところが浄土真宗では、経を長く読むことよりも、その心を頂くことが主であり、念仏を多く称えることより、念仏に寄せられている阿弥陀如来の願いを頂くこと主ですから、別段、木魚を用いて、励ますこともないわけです。
江戸時代に浄土真宗の和文のお聖教に精通されていた賢蔵(大谷派嗣講・越前浄願寺)という和上がおられました。この和上が真宗の木魚について、「持ち前の三毒五欲を木魚として称名を相続させよ」と語っておられます。腹が立ったらそれを縁として念仏し、欲が起こればそれをご縁に念仏する。行住座臥(いつでも)、時と場所を選ぶことなく用いることの出来る木魚だとのことです。
4項 上段 集い案内
下段
住職雑感
● 当寺の本堂にある説教台は、ミシンの台を改良し、法輪をあしらってつくったものです。布教所のときの原点を大切にと思い、そのまま使っています。
台の部分が少し小さいので、ご文章箱とそのふたを開いて置くと、ご講師の聖典が置けなくなるので、法話会では、御文章の蓋は、あらかじめ開いたものを置いています。
坊守は、いずれ、ミシンの台にもどして、ミシンの台として処分したいといいます。私は、ミシンの台がお説教の台になったんだから、ミシンの台も喜んでいると言ったら、ミシンの台よりも、お説教の台の方が偉いのか。とかみつかれました。痛いところをつかれました。浄土真宗の教えは、ミシンの台はミシンの台のまま成仏する教えです。
● 私(住職)も、一月で五十二歳になりました。年配の方は、まだまだ若いと思われるかもしれませんが、今、国会議員なら「首相になる」と思ってもありえることですが、今から国会議員になって首相になるという願望は、許されない年齢です。新しい事業を始めるには少し無理のある年齢です。
許されるならあと10年、世話人の皆さんと相談しながら、西方寺の繁盛に寄与したいと思っています。
今年からは、西方寺の組織の充実に視点を移し西方寺を盛り立てていきます。
● この2月に大阪の朱鷺書房から「浄土真宗の常識」が出版予定です。私が書いたものですが、この本はお盆のお扱いにする予定ですので、会員の方は、購入しなくても大丈夫です。お楽しみに。
合掌