04.1.25
インターネットのつなぐモデムが不調で書き込みが出来ませんでした。
ある門信徒から、金仏壇の金箔が変色してきたというお尋ねがありました。この仏壇は10年ほど前、どうせお迎えするのならば、何十年の使うのですから、良い品をとの私の薦めにより、はり込んで求めた仏壇でした。買ったお店と他に伝統のある仏壇店とに相談しました。
そうな騒動があって私も初めて知ったのが金箔についてでした。
純金箔は、純金をベースに、微量の銀、銅を加えた合金を、1万分の1〜2ミリの薄さにまで均一に打ち延ばします。1グラムの金合金からおよそ60センチ角分の箔まで打ちのばすのです。ひとくちに純金箔といっても、この合金率の違いによってさまざまな種類があります。
純金箔の種類(合金率)は、ひとことで純金箔と言っても、合金率によって呼び名が変わります。
1.純金箔五毛色(23.74金)金98.91%・銀0.49% ・銅0.59%
2.純金箔一号色(23.44金)金97.66%・銀1.35% ・銅0.97%
3.純金箔二号色(23.21金)4.純金箔三号色(22.99金)5.純金箔四号色(22.66金)6.純金箔梅色(21.68金)7.純金箔三歩色(18.12金)
8.純金箔定色(14.12金)金58.82%・銅41.17%
と言った具合です。
どうも先の仏壇の金箔は、少し質の悪いものだったのでしょう。新しい内は、専門家が見ても分からないと言います。ところが年数が経つと、時間がその本質を表しだしてくれます。
10数年前、NHK第2放送の宗教の時間に出たことがあります。30分の録音番組でした。担当の金光さんが言うには、浄土真宗本願寺派と言ってしまうと、わが宗派は何回しか出ていないと数を数えクレームを言ってくるので、浄土真宗という紹介にします。とのことでした。私が新興宗教系の出演はどうなっているかと聞いたとき、「新興宗教は歴史の波をくぐっていないので…」とのことでした。
時間の経過と共に変質した金箔のことを思っていたときに、ふと思い出した話しです。
04.1.13
● 父が死んで、少しこだわって考えている言葉が、この「死ぬ」という言葉です。以前次のようなコラムを書いたことがあります。
二,三年前、寺報に身内に対しては「亡くなった」ではなく「死んだ」という表現がよいという文章を紹介したことがあります。
過日、「日本語練習帳」(大野晋著・岩波新書)を読んでいたら、その理由が出ていました。
「亡くなる」「お召しになる」「ご覧になる」などの「なる」という言葉が尊敬語なのだそうです。「なる」は、「寒くなる」「木の実がなる」などと使うように、自然的成立を意味する言葉。古代の人は「自然のこと→遠いことと扱う→自分は立ち入らない→手を加えていない」とするのが、最高の敬意を表明した言葉となったのだそうです。
そんなことで、「父が亡くなりました」と使わないようにしていますが、「父が亡くなった」と言っても、私の中で違和感がないので少し困っています。それほど「亡くなる」という言葉が、私の中では、当たり前になっているようです。
と言って「往生しました」は、父の死の一面しか表していない気がします。死別の悲しい部分が欠落した言葉です。浄土に生まれましたも同じ事。
こうしてこだわりながら、思いを深めていっていることを私は知っています。答えが大切なのではないことを知りながら、こだわっています。
● 今朝、車に乗ってラジオをつけていると、次のような投書を披露し、スタジオでああだこうだと当たり前のことを語っていました。
投書はこうです。題は「お礼を言えなかった高校生へ」
朝、電車のホームで、一人の高校生が靴をホームに落としてしまいました。周りの者は、どうなるかと見ていると、駅員さんが来て、長い棒で上手いこと靴を拾い上げ高校生に手渡した。その高校生は、靴を受け取ると礼も会釈もせず、立ち去った。
そんな内容でした。当然、お礼も会釈もしない高校生への批判が出ていました。投書された方の趣旨も同じ事でした。
私は、この話を聞きながら、阿弥陀仏が無条件の救いを語られた中には、こんな高校生もいたはずと考えました。無条件の救いとは、人間のあり方や理想を告げないと言うことです。人間のあり方理想とは、先の場合だと、「お礼くらいは言え」と言うことです。
私は色々とこの高校生のことを想像しました。礼が言えなかった事情があったという想像です。その1つとして、この高校生は、その朝、自殺をしようと思って家を出た。電車に飛び込むつもりでホームに立ち、電車に飛び込む前に、履いていた靴をホームに投げ入れて見た。するとすぐ駅員が来て、お節介にも長い棒で靴を拾い、自分にさも、誇らしげに靴を返してくれた。高校生は、「よけいなことすんなー」と思いながら靴を受け取った。
阿弥陀仏の無条件お救いとは、お礼を言えない高校生の心情を理解し、その高校生も、救いから漏らさないと言うことです。人間の可能性の中には、お礼が言えない状況もあると言うことです。
04.1.4
新しい年になりました。今年も飲んで・食っての正月を過ごしています。12月下旬に原稿を5本頼まれ、昨年の内に、送信しました。四季社で不慮の事故や病死等の法話集(概論 法話4編)を出すとのことでした。これをアップしておきます。
3日は法話会、50名くらいの人が集まり、私の拙い話しに耳を傾けてくれました。話しは横着をして父の話でした。
04.1.8
いのちの学び148号アップしました。19日発送ですが、暇なときに思い、本日書き上げ、コピーしています。
発送は、門信徒会日程の中に「発送の日」があり、私がいなくても、みんな来て発送してくれます。私の寺で、自慢できることは、私が居なくても、法要とか新年会、セミナー、団参等、世話人が力を合わせやってくれると言うことです。本願寺のご正忌も、人数は少ないのですが、世話人が声をかけ、出かけていきます。
父の往生に際して、臨終のさなかであっても、一緒に喜べる世界があるという体験は、父が私に残してくれていったものの1つです。この体験をきっかけに、はっきりと私の中で繋がったことがあります。
それは「どんな生き様であっても、無条件に救われることに心が定まる」ということは、「今という時は、どん命の在りようであっても、無条件に仏に成る程の値打ちを持っている今であることが明らかになる」ことです。
その思いは昔からありましたが、この度鮮明になったのは、ビハーラ活動、特に終末期に関わるということは、人はたとえ臨終時であっても、無条件に仏に成る程の値打ちを持っている今を生きていることに安心して、出来ればそのことを、共に分かち会えることに関心を持ちながら一緒に歩む活動であると言うことです。