03.11.23
10月に、宇佐にご門主のお供で、組巡教に行った時のことです。法座でご門主ご臨席もと、話し合いが行われました。あるご門徒が質問されました。「法事というのは、命日より早いほうが良いのか遅い方が良いのか」。
私はこう答えました。「住職の私としては、ご法事は、命日より遅くても早くても同じです。しっかりとお布施がお寺に届くことが肝心です」。その時私は、冗談ぎみで言いましたが、これは私の本心でもあります。また住職としてはそうあるべきだとも思います。
しっかりと志を頂いて、寺を整え法座活動をする。その原資がご門徒から頂く志です。以前「真剣」ということについて書きましたが、「住職が真剣に法を伝える」。これを住職のあるべき姿としてしまうと、無理があります。「阿弥陀仏が真剣であった」ということが浄土真宗の全てです。阿弥陀仏は、私を救うのに、私の真剣さを当てにせず、欲望や愚痴・怒りの全ての上に、その働きをおよぼしていて下さいます。人間が真剣になるのは、ごくごく一部の時間にしか過ぎません。
03.11.21
昨日の続きです。最初の川田組のおじゃました折りのことです。講師部屋で控えているの、昨年、ご巡回した寺院の住職が来られ、「昨年は有り難うございました。お子さんを失われたご門徒が、それまではお寺に来ても所在のない様子でしたが、先生のご法話を聞いて、それから毎回参詣されるようになりました。ただそのお礼が言いたくて来ました」とのこと。
おそらく、そのご住職も、お子さんを失われたご門徒のことをいつも気にしておられてに違いありません。そのご門徒が、ご門主のお言葉や、私の法話から何かを感じ、お寺の法座に前向きに足を運ぶようになった。そのことが嬉しく、お礼の来られたのだと思います。
03.11.20
17.18.19日と北九州に行っていました。昨年のご門主組巡教の記念法座で、法話と話し合い法座が2組で行われました。
収穫は小倉のネオンと友人に会えたこと。それと下記のことです。
1日目の話し合い法座は、常のごとく運びました。2日目です。ご門徒が次々に発言をし、あるご門徒が、「住職のお経が短く早く、あっという間に終わってしまう」という率直な常日頃の思い(苦情)を吐露されました。それから、うちの住職は一緒にお経を読んでくれるだの、毎月、本願寺のカレンダーの言葉の解説をしてくれるだのと盛り上がりました。
私はそれらの話し合いを聞きながら、「月忌って何だろう?」という思いが胸の中に始終ありました。真面目な方は伝道の場であるから「短くともお取り次ぎを」というかも知れません。
私の思い(応答)は、こうでした。「あれは(月忌)、住職はお布施を頂戴しに行くのです。住職として一番有り難い月忌は、ご門徒が自分でお勤めして、後でお布施だけお寺に届けてくれることです…」。
その時の返答が、少し言葉足らずだったので、聞いておられた住職方に叱られるのではないかという思いが、今でもあります。今のところ非難は来ていません。言葉足らずと言うよりも、短い時間の中で、、何が問題なのかを自分なりに深めることが出来ないままに返答したというところです。
その時もお話ししましたが、なぜ家庭にお仏壇を安置するか。それは私がお念仏称えやすい環境が整えるということです。お仏壇の前に行くと、自然に念仏が出る。だからお仏壇を家庭に置くのです。お仏壇が大切なのではなく、出て下さるお念仏が尊いのです。だから、腹が立ったことを縁として念仏申せば、腹が立つこととお仏壇は、同じ位です。
月忌において、一番重要なのは、お経の長短ではなく、どのようにお念仏のご縁となっているかです。
月忌に対して、出勤した僧侶の側の論理と、門信徒の受け止め方とは別だと思います。門信徒としては、「今日は主人の月忌、命日を縁として今日はゆっくりとお経を読み、お念仏を申し、ご住職が常日頃から、お寺を中心として門信徒がお念仏申し易い環境を整えるべくご苦労されているから、その幾分かの足しにでもなればありがたい」と、後でお寺に志をお届けにいく。
ところが優しいご住職は、自分には時間があるからと、わざわざ家まで、志を受け取りに来て下さった。住職は折角のご縁だからと仏壇の前に坐り、自らの喜びの上から、短い短いお経をサーと暗唱し、お念仏のご縁とされて返られた。ご法義の上から言えば、それが本筋ではないでしょうか。
この論理だと、短いお経でも良いのです。しかし出勤した僧侶の側の論理はと言えば、自らのお念仏申すご縁とさせて頂く事が何よりも大切です。それと阿弥陀仏のお慈悲が、どうご門徒の上に展開されているのかを見届ける事もあります。それと自分が育てられる場であると言うことです。
今日、私は3件月忌に行きました。ある家庭でのことです。一緒に正信偈を読みお茶を飲んでいると、お年寄りが「夜いったん起きると寝付けなくて困ります」と言われます。「それじゃー、今度お説教のテープを持ってきてあげます。法話を聞いていると、よく寝られるから…」と私。
無理のないところで良いのではないでしょうか。あまり真剣に教化しようとすると、門信徒は出勤した者を教化者と思い、出勤した者が育てられるという部分が少なくなってしまうような気がします。それといつも出勤していると、何かの法話会の折りに「いつも来て頂いているから義理参りでもしようか」と、法座に連なることもあります。
浄土真宗の法は、真剣に教化したから伝わるというものではない。それが私の腹です。まだまだ月忌について考えなければならないこともありましょうが、今日思いついたことだけ記します。
03.11.12
● 今月の1〜2日は「がん患者・家族の語らいの会」秋の一泊旅行でした。私は夕飯に間に合って、朝一で帰る日程でした。茨城県大洗なので助かりました。
夕食を終え、グループに分かれ語り合う時間がありました。その中で、なぜ「がん患者ーー」に参加されるようになったのかという、参加動機が話題になりました。
「西原さんはー」となり、私は自分の場合はと心を巡らし出た言葉は、「暇だったから…」と正直(?)に口をついて出ました。笑いとなりましたが、自分の正直な気持ちでした。
一昨日、電話で世話人とその時の話しとなり、「暇だったから」は、生き死にのぎりぎりのことが話題となる場に「暇だから参加した」では不誠実の思う人もいる。とのこと。
「ほー」と私は考えました。目先のことに振り回されている私ですが、その時(17年前)、本当に暇があったのです。一般家屋を借り、布教活動に出たばかりの頃でした。なぜがん患者の会に参加するようになったかといえば、「がん患者のため」とは「布教活動」とかではなく、何かしなければと言う時間があったのです。
それともう1つ「暇だったから」と答えた背景に、この会で学んだことが「人間の真剣さは当てにならない」事を学んだからだと思います。死という現実を受け入れるのは、「人間の真剣さは役に立たない」ということです。
生死の問題を取り扱う活動に、がんという当事者でなくて「真剣に取り組んでいる」としたら、うさんくさささえ感じます。人間が真剣になるのはお金儲けや欲望の世界です。
そんな私だからこそ、そうした真剣の場所に身を置き、耳を傾けるのではないでしょうか。
「真剣なことが語り合われる場所」と「私自身真剣である」ということを混同してはならない。そう思います。
03.11.6
昨日書こうと思って書かなかったことですが、鈴木善隆師から夕食会で聞いた話です。
江戸時代の話しです。滋賀県に覚エイ寺(?)という寺での出来事です。あると年に飢饉があったものか、報恩講のおときに出す野菜が不足した。考えたあげく韮(にら)を、出すことになった。報恩講のおときは精進です。にらやネギはタブーです。
するとにら料理に出すことに反対する人たちが手を挙げた。どこまでも形を守れとの一群です。互いに反目して、にら反対派は、折り合いが付かず、その後、全く同じ様式の本堂を造り、念仏を相続した。その両者のお堂を、がまん堂、じまん堂というそうです。どちらががまん堂で、どちらがじまん堂かは聞き損ねたが、ご講師は、その二ヶ寺とも報恩講のご縁があるとのことでした。
何時の時代でも、どこまでも形式を守ろうとする人たちと、形式にとらわれず、中身を大切にしようとする人たちとがあります。
釈尊が入滅した後、部派仏教と大衆部との亀裂が生じます。かたや戒律を中心とするグループ、その中から、形式にとらわれず、釈尊の精神を大切にしようとするグループが生まれたのです。
どちらが良いかの問題ではなく、どちらも真剣に法を求めたことは、学ばなければならないと思う。
03.11.5
3日、西方寺報恩講も無事終え、一息。
ご講師は滋賀県の鈴木善隆師、いつもながら前日の夕食の折りは、盛り沢山のご法義話しとなりました。
ある地方に報恩講のおときに、大根・にんじん・ゴボウ・厚揚げ・かんぴょう・さといも・椎茸の8品を出す地方があるとのこと。
大根は親鸞聖人の越後でのご苦労を、雪の白さに重ねて味わう。にんじんはわらじのひもからしたたる血の赤さを。ゴボウは杖を、厚揚げはお衣を、かんぴょうは修多羅(袈裟を着るときのひも状のもの)を、里芋は石の枕を、椎茸は傘をのとのこと。
滋賀県の門徒気質、報恩講への思い入れの強さも伺うことも出来ました。年間250〜280日出向しているとのことで、色々の地方でもエピソードも伺うことが出来ました。
下記の下記の日付けに書いていましたが、掲載を見送っていました。
(03.10.26)
今日、ご法事である墓地へ行きました。その墓苑で偶然、先週49日と納骨をされた当寺とご縁のあるSさん(20代・女性)が、ご主人とお子さんの家族一同で、墓石の手入れをし花を挿している光景に出会いました。Sさんとバッタリと会い、「こんにちは」とお互いに挨拶して別れましたが、私には、この光景はただ事でなく、何度も何度も「Sさんは偉いな、ご主人はえらいなー」と口ずさんでいました。
それには次のような理由があったのです。
平成7年4月のことでした。ご葬儀のご縁を頂き出勤しました。N家の24歳になるご子息が、10月に結婚を控えている矢先の交通事故死でした。そのNさんの婚約者がSさんだったのです。通夜・葬儀・ご法事とSさんは、涙と失意の中で参詣されていました。Sさんのお母さんも、同様に参詣されていたようです。それからもS家とN家は家族での親密なつきあいが続いたようです。
それから婚約者であったSさんは、失意の中、現在のパートナーと出会い、現在のご主人は、婚約の話し等、全てを了解して、結婚され、子どもさんに恵まれ現代に至っていました。
この7月のことです。Nさんより、知人が逝去したので葬儀をとのご依頼がありました。S家のお母さんが癌を患いご逝去されたのでした。生前、私のことをご法事で知っていたらしく、葬儀は「西方寺さんに」、それとお墓は、交通事故死したN家の墓石がある墓所にと遺言してあったようです。
そんな事情を 知らないままに枕経に伺いました。葬儀までの4日間、通夜があったので、枕経に私が出勤した折り、形の如く読経・ご法話をさせて頂き、本通夜までの2日間は、長女(二人姉妹で妹が先の婚約者)の人が、調声でお勤めできるように、長女の方に調声になってもらいお経の練習もしました。そんな枕経でした。
私は、「こうしてお経を読むことが、どのような意味があり、どのような大切な内容を含んでいることなのか、後から知ることもあるでしょう」と、形を大事にしました。
本通夜の折り聞くと、N家のご主人が調声を勤め、みんなで仮通夜のお経を読んだと聞きました。
葬儀も終え、墓所は遺言通り、N家の場所のある墓地に建て、49日、埋葬を勤めました。それは先週のことです。そして今日です。
元婚約者で交通事故死したNさんのお墓を、家族でさも楽しげに掃除をし、参拝されていたのです。私は驚きました。Sさんの自分お気持ちを大切にされる心、そのSさんの思いを受け止めておられるご主人の心の広さと暖かさ。素直に私には出来ないことだと思いました。
それと同時に、交通事故で死亡されたNさんは、やっぱり仏さまだったんだと深く頷きました。Nさんの死により、ご両親は、阿弥陀仏とのご縁が出来、仏の教えに耳を傾ける人となりました。
そして婚約所であったSさんのお母さんの死、私とのご縁。Sさんの仏縁。そしてSさんのご主人、子どもさんまでが、手を合わせるご縁が恵まれています。その全てが、突然逝去されたNさんの存在から始まっているのです。
私にはSさんがどんな思いで、N家のお墓に参拝されているのかは分かりません。いま、Nさんを仏さまと仰ぐ気持ちがなかったとしても、いつかきっと、仏に手を合わせ、「南無阿弥陀仏」と称えることが、どんな意味があり、どれほど希有で重大な意味を持っているのかを深く味わえるという中に、Sさんも、Nさんを仏さまと仰ぐ日が来るのではないかと思われます。