05.16 毎月第3月曜日は、寺報の発送会でした。有志が集まって、寺報を発送してくれます。私は印刷までの仕事です。今日は9名でした。今日発送しました「いのちの学び
157号」アップします。
築地本願寺新報 1月号の、
同4月号アップします。探求社
よろこび7月号、アップします。
05.17 手紙の本(僧侶対象)を頼まれて、手紙の書きたかの本を図書館から借りてきて、目を通しています。実学という言葉があります。実際上の生活で使う学問のこと学問のことです。手紙を読んで、改めて感じたことは、「私は手紙の書き方をしらなかった」ということです。
たとえば、あたりまえのことではすかしいのですが、年賀状でも目上の人には「謹賀新年」といった、「賀正」という省略して書くべきでない。そんなことがふんだんにあります。
「いのちの学び157」の、座布団の座り方は、なんとか聞きかじって知っていますが、玄関での作法等々、実学が疎かです。寺報で、そんなことを学んでいこうと思っています。
がん患者・家族語らいの会通信
4月号原稿アップしておきました。
05.24
毎日のように電話を下さる青年がいます。「西原住職に相談があるのですが」で始まります。いつも電話を受けていて勉強になります。さまざまな質問を通して、私の中にある浄土真宗に触れることができるからです。
終末期にある方との会話で、もっとも得れらるものは、その方を通して私が浄土真宗に触れることができることでしょう。ではそこで触れることのできる浄土真宗とは何か。それを明かにし、人に伝えていくことが伝道なのだと思います。
さて先に戻って、では浄土真宗とは、自力無効にして満ち足りる世界があること(信心開発)、それは何の過不足のない今を生きることです。それは同時に、すべての因と縁の集合体の中に私を見出すことでもあります。
青年の問いに戻ります。「電車の事故でなくなられた方は、お浄土へ行くのですか」。私はこの青年が、興味や学問や知識として質問されているのでないはないと知っているので(もし自分のそのようになったろどうしようという不安がある)、私は「事故死の方々を、客観的に見て、浄土へ行ったか行かなかったかと考えないほうがいい。自分にとって、その人はどのような意味があったのかと考えたほうがいい。でないとしっくりと自分の心の収まってこないから‥‥」
信心の問題は、自分を度外視した所で模索されるべきではないと思います。