国際対立の激化
◆第一次世界大戦
1890 ドイツでビスマルクが引退しヴィルヘルム2世が親政
→ロシアとの二重保証条約の更新を拒否
→ロシアはフランスと露仏同盟
→英仏協商・英露協商→三国協商(イギリス・フランス・ロシア)
→一方、ドイツは近東を狙って3B政策(ベルリン・ビザンティウム・バグダード)
→バルカン半島でパン=スラブ主義(ロシアが支援)vsパン=ゲルマン主義(ドイツが支援)
1912 第1次バルカン戦争 ロシアがトルコを破る
1913 第2次バルカン戦争 セルビアなどがブルガリアを破る
→結果として、トルコの領土は減り、セルビアとオーストリアが一触即発の状態に
1914 サラエボ事件(オーストリアの皇太子がセルビアの青年に暗殺)
→連合国(ドイツ・オーストリア・イタリア)vs同盟国(フランス・ロシア・イギリス・日本など)で第一次世界大戦
→ドイツは無制限潜水艦戦などを始めるが国内で反戦活動
→キール軍港の水兵が暴動
→ドイツ皇帝は逃亡
1918 →ドイツは共和国となり連合国と休戦
◆ロシア革命
1917 大戦中のロシアのペトログラードでストライキ
→労働者の間に「ソビエト」が組織
→三月革命(皇帝ニコライ2世がとらえられ退位)
→レーニンが亡命地から帰国し、ボリシェビキを率いて反政府運動。
→11月革命(レーニン・トロツキーの指導で政府を倒す)
→ボリシェビキの一党独裁
→大戦中のドイツと単独講和
→ボリシェビキは「共産党」と改称し、首都をモスクワに。
→世界革命の達成をめざしてコミンテルン(第3インターナショナル)を設置→失敗
1922 →ソビエト社会主義共和国連邦が成立
◆ベルサイユ体制
1919 パリ講和会議→ベルサイユ条約
→ウィルソン(アメリカ大統領)の十四カ条により国際連盟の設置(本部:ジュネーブ)
→民族自決と国際協調の原則
1921 ワシントン会議 →@海軍軍備制限条約、
A九カ国条約(中国の主権尊重・領土保全)、
B日・米・英・仏間に四カ国条約→日英同盟は廃棄
1925 ロカルノ条約
1930 ロンドン会議 米・英・日の補助艦を制限
<イギリス>
1918 第四回選挙法改正(ロイド=ジョージ内閣)→普通選挙
1928 第五回選挙法改正→すべての青年男女に選挙権
1929 大戦による不況で自由党が内部分裂→労働党のマクドナルド内閣誕生
<フランス>
対独強攻策をとりルール出兵→失敗
→外相ブリアンがドイツとの強調をはかり、ロカルノ条約
<ドイツ>
1919 カール=リープクネヒトとローザ=ルクセンブルクの革命運動→失敗
→ワイマール憲法が制定され、エーベルトが初代大統領
→フランス・ベルギーなどの侵攻に対してストライキ
→激しいインフレ
→シュトレーゼマンが首相に
→シュトレーゼマンの死後ヒンデンブルクが第二代大統領に