クオリアとは理屈や計算では無い本質的な質感に対する感動などのことである。
花畑や夕焼けを見て感動するとか、好きな音楽や絵画にふれ感動するなど心の中から湧き上がる気持ちを誰もが経験したことがあるだろう。
私がクオリアという言葉に出会ったとき、仕事のなかで追い求めていた表現を得た気持ちがした。
ヨーロッパへ旅行にいって中世の町並みの中へ入り体験するのは、年月がたった素材感を感じるだろう。
古びたレンガ壁や石作りの建築、石灰モルタルで造形されたディティール、石畳の道、古びた塗装の窓、ドアなど、素材の持ち味が経年変化により味わい深くなっていて、町並みがそこに存在することに感動を与える。
その感動を味わった人がテーマパークへ行って同じ思いを感じるだろうか。エージングという技法がセメントの上から有機溶剤で薄めた塗料で施工して表面だけが古びを再現している。
そこには物が持つ本質的な素材感は存在していない。雰囲気を味わう観光地では許されるが、生活空間にまで擬似的な塗装技術が入り込むことに嫌悪感を感じる。
クオリアを意識した建築、造形はその空間にいる人々に至福の感動を与えることができる付加価値のある物になりえるであろう。
本来、左官技術は土とか石灰、砂などの自然素材を建築に提供してきたはずなのに企業が作る擬似的な塗料を工夫して自然素材風に見せる努力をすることは不自然である。
またヨーロッパからなどの輸入既製品を日本の建築にそのまま施工するのは賢いとはいえない。完成品をそのまま使っているのではただ真似をしているだけであって技術とか文化は育たない。
クオリアを感じてもらえる空間を作り出すにはどうすればよいのだろうか。
それは今後のテーマであり課題である。