2000.8.21. 『北里マドンナ』(氷室冴子/集英社/コバルト文庫)

『北里マドンナ』は単一作品ではない。『なぎさボーイ』『多恵子ガール』と続いてきた、
幼なじみ四人組の恋とか友情とか情愛を描く連作の、その最後を飾った単行本の文庫化だ。

陸上選手として敏捷さと気の強さと努力家気質を備えながら、小柄で女顔で、下の名前が
「なぎさ」ということを根深いコンプレックスに抱える、中三の雨城なぎさくんがいる。
なぎさくんと喧嘩ばかりしている、気の強い同級生原田多恵子もまた、自分に惑っている。

そして、なぎさと森北里は幼稚園からの親友、北里の従姉妹麻生野枝と多恵子もまた親友。
そんな四人組の関係は居心地よくて、安心できて、容赦なくて、北里は漠然と、いつまでも
ずっとこのままでいられるものだと感じていた。本当はそうであってほしいと望んでいた。
ところがなぎさはなぎさの道を行く。多恵子もまたなぎさと同じ道を歩くことを選んだ。
野枝は中学生にしてすでに、自分も周囲の人間も見きって、自分の望みの為に戦っている。
北里は高校に入ってそういう仲間達の姿を認識した時、慄然とする。自分は何なんだろう。

そして、彼は親友なぎさに片思いをして多恵子を辛い目にあわせた牧修子を憎みながら、
同じ敗北感をそこに見出し、共感する部分があると知ることで、自分を知っていくのだ。
自他共に認めるハンサムで女ったらしで、日舞家元分家の息子で、何にも不自由せずに、
ちやほやと育ち、負けてでも貫くという選択を一度もしてこなかった自分というものに。
結局は、意気地なしなのだ。だから北里は誰よりもなぎさに対し、深い敗北感を味わう。

けれど、そうしたけつまずきから立ち上がっていくのは、なぎさではない、ここにいる
自分だけにしかできないことなんだと、牧の毅然とした頑固さから、北里は学んでいく。
ただのちゃらちゃらしたぼんぼんが、そんなふうな力を溜め込めるているわけがない。
でも北里はわかっていない。ばかな道楽息子なら、なぎさが親友として十年以上大事に
してくれただろうか。なぎさは誰よりも北里を信用している。もうすでに彼の助けの手を
必要とはしてない一人前の青年になっても、信頼は他人で肩代わりできるものじゃない。
北里はそこを理解してはじめて、幸福な気持ちを自覚する。そして、なぎさとは違う道を
見据えるられるようになっていく。親友依存からの脱却でもあり、惑いへの道でもある。

この連作を読んだ時、私は北里たちより年下で、一生懸命でも努力家でもないものだから
しっかり北里に共感していた。だから、『北里マドンナ』の中身というのはかなり手痛い
しろものだったような記憶がある。作中でもまた、『走れメロス』がひきあいに出され、
親友を残して走るメロスを応援するなぎさと、人質として指名されたセリヌンティウスに
同情する北里が描かれるのが印象的である。今読むと、氷室さんの意図は明快なものだ。
つまり、なぎさと北里と多恵子と野枝と修子、その他の登場人物達、誰に思い入れるかは
読み手の写し鑑なんだよというお話だ。でも、そこまで当時は気が付かない。読みながら
ざっくり痛い思いをした分、記憶に残った。つまる所、氷室さんの思惑通りなんだろう。

今読むともう痛くはないけれど、痛がっていた自分が蘇る。そういう一冊もあるのです。

『蕨ヶ丘物語』