先代著作について
三共建築設計事務所開設者 五十嵐昇は、建築家法制定に奔走し、生前「建築家の職能」についての執筆中に他界しました。原稿は脱稿していましたが、読んでみると、内容の濃度にムラがあり、今後手を入れて完成版を目指していたものと私には思われました。それで原稿の公表を控えていましたが、読み返してみると、資料としての価値は高く、捨て置くのはもったいという思いにいたり、今年没後10年になるのを期して公表することとしました。pdfにしてあります。ごらんになる方は上記「建築家の職能」をクリックしてください。
目次
建築家の職能 五十嵐 昇
・地方建築家からの展望
・建築家のプロフェッションは成立するか

目次
1.1.はじめに
2.日本の建築設計事務所と団体
3.  設計事務所
4.  日本建築士会の創立
2.1.建築家職能運動の歴史
2.  主として団体活動
3.1.建築基準法・建築士法制定の前後
2.  できるまでとできてから
4.1.建築家職能の危機
2.  再び団体の問題
3.  職能制定運動始まる
4.  鹿島論争
5.  公取問題
5.  日本建築設計監理協会連合会の設立
6.  新日本建築家協会の設立まで
7.  もう一度建築設計監理業務法の立法趣旨並びに要点
著者略歴(主に団体活動)
・大正12年(1923) 高槻市で生まれる(本籍:山形県)
・昭和24年(1949)3月 名古屋専門学校卒業 卒業と同時に先代死亡により事務所を継承
・昭和24年(1949) 名古屋建築設計士会 入会
・昭和26年(1951) 愛知建築士会設立に参加  建築設計士会は解散
           建築士会理事を延べ20年、常務理事を2年間務める
・昭和29年(1954) 推薦を得て、日本建築家協会 入会
          建築家協会本部の主な役職
           職能委員、定款改正委員、企画委員、会員委員
           その他大会員など歴任(支部役職は省略)
           理事2年、理事支部長を2年(昭和51,52年)
・昭和53年(1978) 愛知建築設計監理協会設立に参加
           副会長4年 その他
・昭和61年(1986) 発病のためすべての役職を辞めた