「他力」ということ

既に恵まれてある≠アとへの気付き

西原祐治 会員

 


 昨年11月、「がん患者・家族語らいの会」の旅行会の折りのことでした。夕食の後のグループ・ワークとき、話題は、なぜ「がん患者・家族語らいの会」に参加するようになったか≠ニいう参加動機の話になりました。

 「西原さんは?」となって、17年前のことが思い出されました。そして口をついて出た言葉が、「暇だったから…」でした。その場は笑いに包まれましたが、しかしそれは、当時の私の正直な気持ちでした。

旅行の数日後、ある世話人の方と電話で話しているとき、あのとき思わず口をついて出た言葉について、「生と死のぎりぎりのことが話題となる真剣な場に暇だから参加した≠ナは、あまりに不誠実ではないか」との指摘を頂きました。私は虚を突かれた思いがしました。目先のことに振り回されている私ではありますが、その頃17年前)は本当に暇があったのです。戸建て住宅を借り、新しく寺を開くべく布教活動を始めたばかりの頃でした。早朝、ご近所に法話会のチラシを配り終えると、もうすることはほとんどなく、あまりの手持ち無沙汰に、何でもいい何かをしなければ、と気持ちが落ち着かず毎日を重い気分で過ごしていました。

なぜ、「がん患者の会」に参加するようになったかといえば、「がん患者のため」とか「布教活動」とかいったことではなく、ただ、何かをしていなければ間が持たないというほど時間があったのです。

 それともうひとつ、「暇だったから」と答えた背景には、この会で学んだことに「人間の真剣さは当てにはならない」ということがあったからです。死という現実を受け入れるには、「人間の真剣さは役に立たない」ということです。

生死の問題をテーマとする活動では、「ボランティアはすべからく真剣(誠実?)であらねばならない」という思い込みがあるとしたら、それはある種の驕りの心ではないかと感じます。

人間が真剣になるのは、金儲けや欲望の世界ではないでしょうか。じつはそんな私だからこそ、生死のことが真剣に話し合われるそうした場所に身を置き、耳を傾けることが大切なのだと思います。「真剣なことが語り合われる場所」と「私は真剣である」ということとは違うのではないかと思うのです。私は、常に真剣であることよりも、自分に対して正直であることのほうが重要であるという思いがあって、「暇だったから」と咄嗟に答えたのだと思います。

他力について

 親鸞聖人は仏道に二つの道があると言われます。それは「自力」と「他力」です。「自力」について親鸞聖人は、「自力といふは、わが身をたのみ、わがこころをたのむ、わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり」と示されました。自分の力で真剣に修行に取組むというこの自力の道の根底には、自分の真剣さは役に立ち、自分の心は当てになる≠ニいう人間理解があります。

また「他力」については、親鸞聖人は「他力といふは如来の本願力なり」と示され、これは阿弥陀仏の働きのことであって、他人を当てにする≠ニいったことではないと仰っています。その阿弥陀仏の苦しみ悩む凡ゆる者を救わずにはおかない≠ニいう願いのことを「本願」といい、その本願の働きは、この私に、教えや念仏、更にはその念仏を悦ぶ心として成就させているといわれます。

念仏を申すことを他力と受け入れる背景には、「自分の中には仏に近づける可能性なし」という人間理解があります。だからこそ、この私にいささかでも仏さまの香りのするものがあれば、それは私の手柄などではなく、偏に仏さまの働きのゆえと仰いでゆきます。他力とは、阿弥陀仏が無条件に私を救って下さるということです。その阿弥陀仏の救いを受け入れることは、私自身の本質は救われなければならない存在であることが、明らかになるということでもあります。

 

■キリスト教と浄土真宗

 キリスト教と浄土真宗はある面でよく似ていると言われます。共に救いを語るからです。

  十数年前、石川左門さんのお宅を訪ねたことがあります。左門さんは当時、「筋ジストロフイー父母の会」の会長をされていたと思います(現在は「生と死を考える会」理事長)。左門さんは、石川正一君のお父さんでした。正一君は筋ジストロフイーを患い、二十三歳で逝去されました。当時、その正一君の詩や文章が出版され話題となっていました。

 正一君は八歳のときこんな詩を書いています。

 ものすごく足が疲れるんだよ

  疲れ足がボローン

 疲れ  足がボローン

 黄色っぽい 

 甘酸っぱい涙がポローンポ ローン

 それほど僕の足は 疲れるんだ 

  すでに病気はかなり進行していたようです。

14歳のとき、父に訊ねたそうです。「ぼくはどれくらい生きられる?」。左門さんはいつか問われると覚悟していたと言います。「20歳か、24、5歳くらいだろう」と答えると、正一君は「では明日からどう生きるかが問題だね」と応えたそうです。そしてその日から猛烈に勉強を始め、詩を書き、精一杯生きたそうです。

その14歳のときの詩です。

 たとえ短い命でも

 生きる意味があるとすれば

 それは何だろう

 働けぬ体で一生を過ごす人生にも

 生きる価値があると知れば

 それは何だろう

 もしも人間の生きる価値が 

 社会に役立つことで決まるのなら

 ぼくたちには 生きる価値も権利もない

 しかしどんな人間にも差別なく 

 生きる資格があるのなら

 それは何によるのだようか

  そして二十二歳のときの詩です。

 ある日突然熱が出て

 父も 母も緊張した

 わたしの心は波一つ立たぬ水面のよう

 生きるも死ぬるのも

 ただみ心のまま

 ゆだねる生活とはありがたきかな

  大いなるいのちにゆだねた生活、生と死をゆだねた安らぎが詠われています。

 左門さんに私は、「正一君は、いつから宗教に目を向けられるようになりましたか」と訊ねました。すると左門さんは「正一は、悔いなく生き、完全燃焼する。それが死を受け入れていける唯一の生き方であるという哲学を持っていました。ところがあるとき、悔いなく生きようとしても悔いてしまう人間の弱さ、完全燃焼しようとしても完全燃焼出来ない人間の不完全さを発見した。正一は発見した≠ニ言いました」と言われました。

以下は私の推測です。

キリスト教徒となった正一君にとって、自分の不完全さを発見したということは、神が「罪人よ」と呼びかけられたことの意味、罪人としての自分の発見だったのでしょう。その罪人としての自分の発見は、弱きが故に、不完全なるが故に、神の愛にゆだねるという、神の愛との出会いでもあったことでしょう。

 救われなければならない自分が明らかになる。ここに救いを語る宗教の面目があります。それは、神の愛や仏の慈悲の中にある自分が明らかになることでもあります。

■キリスト教と浄土真宗と

 キリスト教と浄土真宗の相違点を見てみましょう。と言いましても、キリスト教を学んだことはありませんので、私が垣間見たキリスト教ということになります。そこで、浄土真宗の「他力」の教えを本において考えてみます。

キリスト教は、神を絶対者と位置付け、人間は神の創造によって生まれたと説かれています。一方、浄土真宗は、人間の苦悩によって阿弥陀仏の大悲は起こされたと示されます。

親鸞聖人のお作『正像末和讃』のなかにこうあります。

  如来の作願をたづぬれば

 苦悩の有情をすてずして

 回向を首としたまひて

 大悲心をば成就せり   

 どこに相違があるかと言えば、最も大切な根本はどこにあるか、神が根本か、人が根本か、最終的に大切なのは神≠ゥ私≠ゥという相違です。

 仏の慈悲は私の苦悩から起こされた≠ニいうことについてもう少し補足しましましょう。「チンダル現象」というのがあります。暗闇に光が通ると、その光のなかに塵や埃の粒子が見える現象です。これは粒子に光が反射して光が光の姿を現し、塵が塵として見えるのです。この塵と光の関係は、私と如来の関係に似ています。如来によって私の凡夫性が明らかにされ、その凡夫性によって如来の大慈悲は姿を現します。塵のない宇宙では、光線がそのまま通り過ぎてしまいますので暗闇にしか見えないのです。

 「一期一会」という禅語があります。これは、「明日があるから」と暮らしている人の上に「一期一会ですよ」と仏が言葉となって姿を現して下さったのです。「一期一会」という言葉で姿を現さなければならない闇が、私たち凡夫のなかにはあるのです。しかし、「一期一会で暮らそう」とその言葉を真剣に理解しようとすると、それは自力の教えとなり、「一期一会」は自力奨励の仏さまとなります。他力ではそこを、「一期一会」で現れなければならない闇が私の上にあったと頂きます。すると「一期一会」が他力の仏さまとなります。私の闇を照らす光の仏さまです。この違いは人間の本質をどう理解するかの相違でもあります。

 浄土真宗の他力は、救われなかればならない存在である私を、そのまま認めていこうとする教えです。

 「大きないのちに包まれて」という言葉をよく聞きます。私はこの言葉に少し違和感を持っています。「大きないのち(神・仏)」と「小さないのち(私)」の関係が不明確だからです。

 浄土真宗を学ぶとき、「浄土宗鎮西派(法然上人の弟子弁阿を派祖とするグループ)」と、「浄土宗西山派(同・証空を派祖とするグループ)」の相違が解説されます。たとえば「称(念仏を称えること)」をどう理解するかというとき、鎮西派は「トナエル」と読みます。「トナエル」ことを積み重ねることによって仏と出遇うのです。同じ他力でも、一の自力と九の他力≠ノよって救われると言います。

 西山派では、「称」を「カナウ」と読みます。「仏の願いにカナウ」ことで、念仏を通して仏と私が出遇うのです。救いたい≠ニいう仏の願いと、救われたい≠ニいう私の願いがひとつになるということです。「浄土真宗(同・親鸞を派祖とするグループ)」では、「称」を「ハカリ」と読みます。「ハカリ」とは「秤」のことで、目盛りが動いた分だけ力が加わったことが分かる計器のことです。私が念仏を称えることは、私に念仏を称えさせようとする他の力が加わった≠ニいう理解です。

「トナエル」とは、大きないのちと小さないのちが、努力して一つになることです。「カナウ」とは、大きないのちと小さないのちが一つに出遇っていくことです。「ハカリ」とは、大きないのちと小さないのちが一つになるということではなく、本来、一つであった≠アとに心が開かれていくことです。この違いは、人間の可能性の理解の相違でもあります。

私のなかに、大きないのちに近づける可能性を認めるか、大きないのちにゆだねる可能性を認めるか、一切の可能性無し≠ニ可能性の断念を通して既に恵まれてあった≠アとへの気づきを得るかの相違です。

 キリスト教は、浄土真宗というよりも、西山派の救いに近いように私には思えます。祈りや懺悔(さんげ)を人間の可能性として認め、祈りや懺悔を通して大きないのち(神の救い)に出遇っていくからです。しかし浄土真宗の他力は、私の側の可能性というものを認めません。念仏や懺悔を通して大きないのちの働きを知り、大きないのち(救い)そのものを生きていたことを知るのです。

 浄土真宗の他力とは、小さないのちは大きないのちそのものであった≠ニいうことで、その媒体となるのが自力無効≠ニいう「悪の自覚」です。私が違和感を覚えるのは、この点の気づきを明確にしないままに「大きないのちに包まれている」と一言のもとに口にしてしまい、それで分かったつもりになってしまってはいないかということです。

 

■拙い体験から

浄土真宗の他力について、もう少し私の拙い体験を通して話してみたいと思います。24歳の折りのことでした。当時の私は築地本願寺に籍を置き、本堂でお経を読む部署に配属されていました。読経すべく、仏前に向かいますと、正面の懇志受けの函の前にホームレス風の人が正座していました。昼間からお酒を飲んでいた様子です。私は、「そんなところに座っていては参拝者の邪魔になります。帰ってください」と追い払うように声をかけました。その後座につき、読経を始めました。拝読したのは『大無量寿経』でした。そのなかの「五十三仏」といいまして阿弥陀仏がこの世に出現される遥か以前から、既に五十三の仏さま方が出現されていたことが物語られている箇所に差しかかったときでした。次から次に如来の名前を読み上げていましたら、突然涙が溢れてきました。如来さま方の名前を通して、仏さまの声が聴こえてきたような気がしたのです。

「今、あなたがこうしてお経を読み、念仏を称え、仏前に頭を垂れるその背景には、このような途方もない諸仏の働きと願いがあったのですよ。同じように、ホームレス風のあの人がきょう仏前に座るには、やはり同じように諸仏の願いが、働きが届いてあの人の身の上に成就したということですよ」と。

私は申し訳ない思いと、有難いという思いとが重なり、涙が止まらなくなりました。何とか読経を終え、一言でも謝りたいと思い境内を探しましたが、その姿は既にありませんでした。後年、電車の中でふとその時のことを思い出したとき、身なりや姿だけでこの方は篤信者、この方は…≠ニ差別してやまない私の闇を破るために、じつは仏さまが、あのホームレス風の姿になってこの世に現れて下さったのではないか、あの方は本当は仏さまであったのかもしれないという思いが込み上げてきて、厳粛な気持ちになったことがありました。

 

■阿弥陀仏の願い

 浄土真宗の他力は、阿弥陀仏の願いとしてお経に説かれています。阿弥陀仏の願いがなぜ起こされたかということを通して、その願いの背景にある私の本当の姿に心が開かれていく教えです。

昨年6月のことでした。ある県立がんセンターに入院しているAさんから、私に「会いたい」という連絡を受けました。そのころは既に、セデーションが行われつつありました。1週間の間に3度お尋ねしましたが、3度目にはもう意識はありませんでした。2回目のとき、Aさんは横になったまま、私に「阿弥陀仏の四十八願とはどんな願いですか」とお訊ねになりました。

私は耳元でこんな話しをしました。

「ある日お釈迦さまがお弟子に問われたそうです。今まで人々が流した涙と、大海の水とどちらが多いと思うか≠ニ。日頃から話を聴いているお弟子は、はい、涙だと思います≠ニ答えました。お釈迦さまはその通りだよ≠ニ仰せられたそうです。その大海の水のごとき悲しみ、苦しみの涙のなかに終わっていった人たちを阿弥陀仏がご覧になったとき、苦しみの涙のなかに終わっていった無数の人を、すべて救いたいと思われたのだそうです。そしてその結論は、人々に願うことを止められたのだそうです。頑張りなさい、正しく生きなさい、人のために尽くしなさい、念仏を称えなさい、精進しなさい、と、人としてあるべき理想の姿を示した上で、そうなれ≠ニ願うのは止められたのだそうです。そして涙のなかに終わっていった存在を、そのまま受け入れていける慈しみの深さを問題にされたのだそうです。頑張れない人も、正しく生きられない人も、人のために尽くせない人も、念仏を称えられない人も、全てのいのちを抱き取っていけるお慈悲の仏さま、南無阿弥陀仏と称えられる仏さまに成られたのだそうです。南無阿弥陀仏とは、あなたの生き方を問わない慈しみの仏さまです。その仏さまが、あなたにご一緒して下さっているのです」と。

 そのときの私の心境は、私も一緒に阿弥陀仏のお慈悲のご相伴に預かるといった心持ちでした。命の終わりにあって、一緒に喜んでいける道がある。それは偏に他力≠ナす。

 この他力によって、無条件に浄土に生まれることに心が定まる(「信心獲得=しんじんぎゃくとく」)ことは、どのような命のありようであっても、無条件で浄土に生まれさせていただくことができる仏性(ぶっしょう=仏と成れる資質)を持った私であるということに、私の心が開かれることでもあります。

2004年1月例会講話より)