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正月のおかざり 正月の初詣は所属寺のお寺へ行きましょう

お正月を迎える前に、整える諸準備について教えてください。

通常、お仏壇のお荘厳は三十一日にするのを「一夜飾り」といってさける慣わしがあります。あわただしく正月を迎えることを避けることからきた習慣だと思います。しかし西本願寺は、三十一日のお正月の荘厳を整えていますから、「ねばならない」ということではありません。二十九日に立てるのは、「九松」といって「苦待つ」に通ずるということから嫌われていますが、これは迷信です。私が以前勤めていた東京の築地別院は、三十日にお身拭う(本尊のほこりを落とす)の後、正月の荘厳を整えていました。日にこだわらず、正月を前に三十、三十一に整えたらよいでしょう。


 お正月のお荘厳は。

正月のお仏壇の荘厳は、人の心も新たになる時なので、仏壇を特にきれいに荘厳すべきです。三具足(花、香炉、ローソク)か五具足(花一対、香炉、ローッソク一対)かは、どちらでも結構ですが、一般には三具足が多いです。

お供えは鏡餅を供え、鏡餅の上に橙を載せます。ろうそくは朱でも白でもよく、打敷をかけます。お花は、松の真を用い、梅、南天、椿、水仙などをあしらいます。


鏡餅の由来は

鏡餅は、「お鏡」、「お供え」、「お重ね」などと呼ばれています。その由来は、古代の鏡が丸い形をしていたのでその名が残ったなどといわれます。本山や別院が供える鏡餅は、均等に厚みのあるコイン型の餅です。それを五重一対お供えします。まさに鏡型餅です。本願寺では、仏前は一枚五升のものを十枚で五重一対、祖師前は、一枚十升のものを十枚で五重一対の鏡餅を供えます。お供物としては、餅、菓子、果物の序列があり、餅を最上のお供えとするので、正月にはお餅を供えます。この鏡餅が床飾りとして発達したのは、室町時代以後床の間のある書院造りができてからきているようです。


正月のお荘厳は、いつまで飾りますか。

お寺によってまちまちです。通常、松の内とは、元日から、門松を取りはずす日までの期間をいいます。普通、七草の七日に取りはずすようですが、地方によっては、4日、6日あるいは15日までと様々です。

本願寺では、正月四日に、正月のお荘厳をといています。本願寺では、九日から親鸞聖人の御正忌報恩講が勤まるので、それ以前にはお荘厳をとく必要があるからです。それぞれの実情に合わせて、日取りを決めたらよいでしょう。


では鏡開きは。
お荘厳を平常に戻すと、鏡餅を下げることになります。本来は、一般には十一日まで飾って、飾りを取り除くと同時に鏡餅を食べるのがしきたりといわれます。 鏡開きの名称は、「切る」ということを嫌い、「開く」とめでたくいったことに由来するといわれています。一般には、鏡開きの餅を包丁などで切るのは禁物といわれますが、あまり縁起にこだわる必要はありません。

正月には、習慣や決め事が多くありますが、注意することがありますか。

正月は神道に関る習俗も多く、意味不明のまま習俗に流される必要はありません。その一番大きなものとして、門松としめ縄です。

門松は、いまではお正月飾りのように思われていますが、もとは歳神(としがみ)の依代(よりしろ)といわれ、歳神が宿る安息所であり、神霊が下界に降りてくる目標物と考えられていました。ですから、浄土真宗で飾る必要がありません。しかし門松は立てませんが、仏華としては松を用います。

しめ縄も同様です。広辞苑 第4版(岩波書店)に【しめなわ{標縄・注連縄・七五三縄}(シメは占めるの意)神前または神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄。一般には、新年に門戸に、また、神棚に張る。左捻(よ)りを定式とし、三筋・五筋・七筋と、順次に藁の茎を捻り放して垂れ、その間々に紙垂(かみしで)を下げる】とあるように、神の「なわばり」を示す印です。神代の時代、天照大神が天の岩戸からお出になった後、岩戸に縄を張り再び中に入れぬようにしたことに始まります。

浄不浄を問わない、阿弥陀如来の平等な慈悲を説く浄土真宗にはそぐわない慣わしです。


正月は縁起を担ぐ所作が多くありますが、どう考えたらよいでしょうか。

おせち料理が、その代表ですね。おせちとはお節句(せっく)からきた言葉です。本来は正月だけでなく、正月七日の人日(じんじつ)、三月三日の上巳(じょうし)、五月五日の端午(たんご)、七月七日の七夕(しちせき)、九月九日の重陽(ちょうよう)の五節句などの式日に用いる料理のことでしたが、今日では正月料理だけが「おせち」と呼ばれています。
 正月におせち料理が普及した理由のひとつには、おせち料理があるあいだは、家庭の主婦も台所仕事から解放されて、休養できるという意味あいがあったようです。
 おせち料理は地方の風習、家風よりさまざまですが、黒豆は「まめ(健康)」になる、田作は「田を作る」、昆布は「ひろまる」あるいは「よろこぶ」、また昆布、にんじん、こんにゃくなどを結ぶのは「むつみ合う」、といったように語呂合わせ的な縁起の由来があります。縁起を担ぐというよりも、語呂合わせを.楽しむ程度でよいのではないでしょうか。鏡餅の上に置く橙も、冬は黄色になり、春までそのままにしておくと、緑にかえる珍しい果物で、代々子孫繁栄を意味するところから鏡餅の上に載るに至った果物です。

 縁起を担ぐととの、語呂合わせを楽しむことの筋目をはっきりと立てたいものです。