浄土の風 築地本願寺07.5月号掲載

浄土からの風

西原祐治

1000の風になって」という曲が多くの人に歌われている。築地別院本堂の小コーナーhideにも1998年5月から1000の風の詩が置かれている。

十年前の五月七日、別院は、多くの若者の悲鳴・慟哭に包まれていた。元XJAPANhide(本名・松本秀人)というひとりの青年の葬儀が行なわれたのです。

 当日、別院の会議室にいた私の耳にも、その悲鳴が届いていました。多くの少年少女たちの悲鳴に接して、ふと『涅槃経』の言葉が浮かんできた。

 釈尊は弟子に「今まで人々が流した涙と、大海の水とどちらがおおいと思う」と問います。仏弟子は「それは涙だと思います」と答える。釈尊は、人の流し涙は大海の潮より多く、苦しみの中に流した血液は大海の潮より多いと仰せられたのです。その釈尊の言葉と、若者たちが流す涙とが重なりました。

この少年少女たちの慟哭は、阿弥陀如来の大悲の発動とは無縁ではありません。人類の歴史は、弱肉強食、強き者の歴史です。生命の営み自体が、弱肉強食の連鎖によって今に至っています。しかし、涙と共に力無く終わっていった生命の営みは、涙と共に力無く終わって行くものを、ありのまま受け入れていくという慈しみを生み出していったのです。   人は涙を通して苦しみや悲しみの底に流れている一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし」という人としての真実に触れていくのです。その「清浄の心なし」の体験こそが、苦悩の衆生海にあって巧みに凡夫の私に呼びかけ続けている阿弥陀如来の働きの賜物でもあります。

 先の葬儀の折、ビハーラ世話人の手によって、涙に打ちひしがれた若者へ1000の風の詩が配られました。そして翌日、本堂にhideを追悼するノートが置かれたのです。そのノートは今でも置かれています。そのノートと共に置かれているのが1000の風の詩です。

 1000の風は、1995年三五舘から『あとに残された人へ 1000の風』というすばらしい風景写真の上に、詩の言葉を載せた本として出版されたことに始まります。この詩は、IRA(アイルランド共和軍)のテロで命を落とした24歳の青年が 私が死んだときに開封してください 両親に託した手紙の中に 入っていたものだとも言われていますが真偽のほどは定かではありません。

A THOUSAND WINDS

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am a thousand winds that blow,
I am the diamond glints on snow,
I am the sunlight on ripened grain,
I am the gentle autumn's rain.
When you awake in the morning hush,
I am the swift uplifting rush of quiet in circled flight.
I am the soft star that shines at night.
Do not stand at my grave and cry.
I am not there, I did not die.



「あとに残された人へ  千の風になって

私のお墓の前で泣かないでください

そこにはわたしはいません

永遠に眠ってなんかいません

ほらもういまはもう世界中に吹く

1000の風の中です

雪にきらめくダイヤモンドのように

世界中を照らす光のうちにいます

実りの穀物を照らす陽の光となり

あきにはやさしく降る雨となって

すべてのものを包んでいます

あなたが朝、窓を開ければ

風となってあなたの髪を

さらさらとなびかせます

夜あなたが眠るとき

星となっていつもあなたを見守っています

だからどうぞお墓の前で泣かないでください

私はそこにはいません

私は死んではいないのです

新しく生まれたのですか

 書き綴られたhideノートには、残念ながら「浄土」という言葉はありません。空、そっち、雲の上、それぞれの自由なイメージでhideのいる場所を語り会話をし、心の軌跡を綴られています。

 当初、綴られた言葉で一番多かった言葉は「ありがとう」でした。勇気をくれてありがとう等など色々なありがとうがありました。その次に多かったのが「永遠に私の心に生き続けます」に類する言葉でした。

しかし半年過ぎた頃より「お元気ですか」という言葉が記されるようになっていきます。そして次に自分の近況を書き込みます。故人との出会いの場は、そのまま亡き人から見られている自分との出会いの場でもあるのです。

最近のノートを開いて見ました。

「まだ弾きたいのなら、俺の指をつかっていいぞ!」

「ヒデの歌にいっぱいいっぱいささえられました。ありがとう」

「私は元気です。私はあなたにちゃんと胸をはって“私は生きてるよ!!”と言える自分でありたくて日々生きています。まだまだ未熟な私だけど、これからも前を向いて生きていくから、空から見ていてね。私もさびしい時、つらい時、空を見上げてあなたのことを思い出します。私は大丈夫だよ!!いままでありがとう。そしてこれからもよろしくね」

1000の風の「死んでなんかいません」という一節がhideノートに綴られた多くの人たちの言葉から伝わってきます。

  別院第一伝道会館ブッデストホールロビーに掛けられてある「寂静−hideh1000人のありがとうー」と題する岩絵の具による120号の日本画をご存知でしょうか。菩薩が阿弥陀如来により添っている構図で、その余白に目を向けると、色づけられる前の素地に若者の執筆による「ありがとう」という文字がうっすら見えます。この絵はhideさんの一周忌のとき別院に参拝し若者たちの手で、思い思いのありがとうを描き入れてもらい、新美術協会会員の大畑久子さんらによって仕上げていただいた画です。死別の悲しみが阿弥陀さまに繋がっていることを象徴したものです。

 仏画では、浄土の風を胸部の肌に一本の線を入れることのよって表現します。その線で力を表し、その力によって唇から浄土の微風が起こるのです。浄土の風は仏力そのものなのです。

浄土からよせられる風は、決して心地よいものばかりではありません。如来の催促とも言える思い通りにならないという苦しみや悲しみ、その心の痛みを通して人は人としての真実に出遇っていくのです。苦しみを通してあきらかになっていく自我の愚かさは、迷いを生きていることの苦悩であり、浄土の風によって捲き起こされる凡夫の音色でもあります。

hideのコーナーは、亡き人を通して自分に出会っていく場であり、そのままが浄土からの風に触れる空間なのでしょう。

清風宝樹をふくときは

 いつつの音声いだしつつ

 宮商和して自然なり

 清浄勲を礼すべし

親鸞聖人の『浄土和讃』に、浄土の風を讃えておられます。

浄土から届けられる清らかな風に触れると、苦しみや悲しみ中で虚しく終わらせず、凡夫の私を仏にするという阿弥陀さまのぬくもりがあります。