「浄土三部経」の千回読誦

流罪の地にある越後に居住して5年、40才〈建暦元年・1211〉になった秋のことです。親鸞聖人の元に、罪を勅免する知らせがありました。その知らせと共に、法然上人が帰郷されたとの師の動向も伝えられました。聖人は、師にまた会えることに心が弾みます。しかし幼い子どもを抱えた雪の北国道の旅は考えられません。春になれば都へ帰ろう。そう思って雪の解けるのを待っておられた聖人の元に、建暦二年(1212)1月25日法然上人寂すとの悲報がとどきました。

その知らせからしばらくして、都で法然上人の「選択本願念仏集」が版行(1212.9)されたこと、明恵高弁が「摧邪輪」を著し(1212.11)法然上人の念仏の教えは仏道にあらずと非難していることなどが聖人の耳に入ってきました。

聖人の心には師を失った寂しさと共に、法然上人の弟子としての新しい使命感と大きな責任が次第次第に育っていきました。

罪を許された後、2年ほど越後で過ごした聖人は、妻子と一緒に関東へ移ることを決意されました。 

関東への道中でのことです。
この年は、鎌倉で大地震(1213.5)が起きて、天地が裂け多くの家屋が倒壊し沢山の死者がでました。また関東はひどい飢饉に襲われて、どこもかしこも惨憺たる状態でした。行き交うと人は、僧の姿を見れば、不安と飢餓をぶつけ、神仏の加護や雨乞いを懇願してきます。聖人は、何もすることも出来ない状況の中で、生きていることが申し訳なく感じられました。

聖人「かわいそうに。あわれな」と目を背け関東を目指しました。

丁度佐貫という在所に至ったときです。旅を急いでいると、道ばたの一人の村人が倒れていました。聖人は抱え込むと、かすかな息があり、聖人を最後の力を振り絞るようにカッと目を見開き、恨めしそうな表情でにらみ付けるとガックと息絶えました。一言も言葉はありませんでしたが、「自分はどんな悪いことをしたのだ」という自分の存在を呪う心と、地獄に堕ちるのではという不安な思いが、最後に見開いた目を通して読みとれました。

聖人は「私はこの現実を見ずに、逃げようとしていたのではないか」を心の声が聞こえてきました。そう思うと、一行を留め置き、少し朽ちた太子堂には入り、聖人は衆生済度の為に「浄土三部経」の千回読誦を発願されたのです。

一心に経典を読誦し始めて、朝焼けに冷気が身を引き締める時刻でした。
丁度大経の五十三の如来が出現し阿弥陀仏の前身である法蔵菩薩が現れ出てくる箇所にさしかかったときです。次から次に如来の名を口にしていると、聖人の心に口をついて出てくる如来たちの声が響いてきました。

「親鸞よ。あなたが今、このように『南無阿弥陀仏』の念仏に出遇うにあたっては、このような途方もない如来たちのお育てと働きがあったのですよ。その無量の諸仏方の功徳の極まりである念仏の他に、何か不足があるのですか」。

聖人は「はっ」としました。すると全身の力がスウーと抜けていくのと共に、涙が溢れるように出てきたのです。口には今までのリズムを失った教典が、とぎれとぎれ口をついて出ます。「そうであった。そうであった…、私の上に、今このように『南無阿弥陀仏』の念仏として阿弥陀如来のご本願は整えられている」

その背後にある諸仏方の途方もない働きを思う気持ちが、心の奥底から洪水のようにわき出てきました。

三部経読誦

述懐「私にはまだ心の底に、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむという自分の力を当てにする思いあがりの心があったのか。そうであった。今生に、どれほどいとほし不便とおもふとも、たすけがたい、慈悲の心しか持ち得ていない私であった。無慚無愧(むざんむぎ)のこの身、誠の心のない私が何をしようとしていたのか。「自信教人信 難中転更難 大悲弘普化 真成報佛恩」(自ら信じ、人を教へて信ぜしむること、かたし 難きなかにうたたまた難し。大悲弘く、あまねく化するは、まことに佛恩を報ずるに成る)、阿弥陀仏の働きに身を任せて生きていこう」

三部経読誦

述懐「考えてみると、過日、私の腕の中で事切れたあの村人こそ、阿弥陀仏の救いの目当て。私は、裕福に暮らす都人にくらべて、この悲惨な状況の中で死んで逝く者たちを哀れんでいたのではないか。本当に哀れむべきは、阿弥陀仏の慈しみに出会うことなく終わっていく者たちではないか」

三部経読誦

述懐「『南無阿弥陀仏』に出会いながら、念仏を誤解し、誹謗し、人々を誤った道に誘う人のなんと大いいことか。私は、この念仏の教えを人々に伝え、念仏の理解の誤解を解き、法然さまの教えの真意を明らかにすることを生涯の仕事としたい」

三部経読誦は、いつの間にか「南無阿弥陀仏……」と称名念仏に変わっていた。

述懐「小慈小悲もなき身、これからは有情利益(うじょう りやく)はおもうまい、如来の願船が、唯一この娑婆という苦海を渡ることの出来る道、ひょっとしたら私の腕の中で事切れたあの村人は、私の闇を破るために、この世に現れた仏様であったかも知れない」

聖人「南無阿弥陀仏……」

お堂から出てきた聖人の顔は、生きる方向や使命を自覚した者がもつ落ち着きと力強さがみなぎっていた。

聖人「鹿島神宮には、大蔵経がある。教典の上に師が教えて下さった念仏の教えを伺いたい」とつぶやくと家族に「では先を急ごう」と声をかけまた歩き出した。