聖人19歳の出来事
建久2年(1183)聖人19歳の時のことです。聖人は得度してより10年間、比叡山を中心に、修行と学問に専念していました。
それに反し比叡山の多くの僧は武力による権力権力闘争に明け暮れ、山での立身出世や愛と憎しみの中に埋没し、真実を求める環境とはほど遠い状況でした。そうした環境の中、聖人は修行に励み、学問を深めることに邁進していました。また修行や学問が面白く感じられ楽しくもありました。
比叡山僧「おい範宴、たまには俺たちと一緒にこい。三井寺の連中をぎゃふんと言わせてやろうじゃなかいか」
聖人「私は仏に使える身、争いや愛欲には興味がありません」
比叡山僧「なにー、確かにお前さんは、真面目に修行している。だが、どうだ。おれたちと比べて修行しているというおごる気持ちはないか。立派な修行者だと誉められて、まんざらではないと思っているのではないか。学問の問答をして、勝ったときの優越感はないのか。どーじゃ。答えてみろー」
親鸞「…」。
足早に走り去った聖人であったが、言われてみれば確かに、修行者としてのおごりや、権力に明け暮れている仲間を見下す心、学問上での優越感を持つことがある。10年間、修行と学問に励んできたが、果たしてその修行はなんだったのか。今まで積み上げてきた修行や学問が、否定されたような思いがわき起こってきました。
「今までの仏道修行も、私の欲望を一歩も離れていなかったのではないか」。
10年の修行の営みをに心を巡らしたとき、どうしゅうもない虚しさが身を包みました。あの権力闘争に明け暮れる僧と、何ら変わることのない自身の心の奥に巣くう闇と対面し、惨めさがこみあげてきたのです。武力によって勝ち取る優越感や人と比べて勝っているという奢りも、修行や学問による優越感や奢りも、五十歩百歩。同じ煩悩にまみれた我欲の心。その煩悩から解放されるための修行ではなかったのか。
求道の行き詰まりを感じた聖人は、かねて崇敬なされていた聖徳太子の御廟へ参籠されることとなりました。
聖徳太子は、日本のお釈迦様と讃えられておられるお方。当時、お釈迦様がこの世を去って1500年後或いは2000年後から、仏教の教えも、その教えに親しむ人の悟る人のないという末法という世の中になる。その末法の世になった時、末法の世の人を救う教え主が聖徳太子であるという信仰がありました。聖徳太子のご誕生は、釈尊御入滅後1521年で、聖人も太子こそ、この日本において、末法の世を救う方と仰いでおられたのです。
その聖徳太子の廟窟に3日間おこもりをなされた2日目の夜のことです。
眠りの中で、夢のように幻のように自ら石の戸を開いて聖徳太子が現れ、廟窟の中は、あかあかと光明に輝いきはじめました。
その輝きに驚いて見入っている親鸞聖人に、太子が姿をあらわし告げられました。
「この世は、仏の智慧と慈しみに充ち満ちています。その仏の教えを身に受けることのできる日本に生まれてよかったですね。
よく聞いて下さい。今から悲しい事実をあなた告げなければなりません。あなたの命はあと10年です。どうぞ命が尽きたとき浄土に生まれる道を求めて下さい。」
目を覚ました聖人は、余命10年のお告げに驚愕すると共に、死を告げられ驚く自分に、今まで比叡山に登って、確かなものに何も出会っていない現実が思い知らされました
聖人はこの聖徳太子のお告げにより「浄土に生まれる教えこそ、わが進むべき道」と心を決したのでした。そう決しても、余命10年という思いは、真実に出会っていない現実に、不安と恐れの影を落とし、なまりのように重く心の奥底にのしかかっていました。
御廟へ参籠を終え、比叡山へ帰る途中のできごとでした。あと10年の命であることに思い巡らし歩いていると、「ワン ワン ワン…」うなり声を挙げほえている野犬の鳴き声が聞こえてきました。聖人が、行く先を見上げると、道さきには老女が野犬にほえられて困っています。
「コラコラー」と野犬を追い払うと、若い生気のみなぎる範宴対して、衰弱した老女が手を合わせ拝むように云われます。
「ありがとうございました。どうなるかと思いました。歳を取ると犬にまで馬鹿にされ、かといって野犬のえさに身を挺するほどの殊勝な持ち合わせておりません…。生きることも死ぬことも、難儀なのとでございます」。
「老女よ、年寄りでも若者でも、平等に等しい命を与えられ生きているのですよ」と口にかけて、ふと聖人は「平等に等しい命」を生きているのならば、なぜ修行して、浄土に生まれる命を、わけて尊い命を思うのだろうか」と云う思いがよぎりました。
余命10年。自分は命の短さにとらわれているのではないか。かけがえのない命を1日より2日、2日より3日の方が素晴らしいと思うことは不遜なことだ。生命を一ヶ月二ヶ月という数量にしたとたん、一ヶ月より二ヶ月、二ヶ月より三ヶ月の生命の方が価値ありという生命が物に転落してしまうではないか。命の長いことに喜びを感じている自分がいた。命は、三日より二日、二日より一日と、短くなればなるほど、一日の重みが増していき、その極みが「今このひと時」。このひとときは永遠に巡り会うことのできない一時ではないか。たとえ10年でも、たとえ一日でもそれは同じ事。1日、1日を仏と共に歩んでいくしかない。
余命10年という思いが、ひとときの命の重さを知る手がかりとして尊く感じられました。
聖人「老女よ。あなたも私も同じ事。同じく迷いを重ねる命。どうかこの境涯の中で仏の光明にあうことが出来ますように」
老女「なにをおっしゃいます。あなたは尊いお坊さま。私ごときが、なにゆえ仏さまの光明に出会うことができましょうか…」
聖人「……」
聖人はこの老女を励ます言葉すら持ち得ていない自分に「この老女が救われていく教えでなければ、私は救われようがない」という思いを強くお持ちになられました。
叡山に帰った聖人は念仏常行三昧堂の修行者として、浄土の生まれる道を極まるべく修行に明け暮れて行かれました。