浄土真宗のしきたりの今日的意味

しきたりが生まれる2つの要素

 しきたりとは、社会におけるならわしや慣例のことです。世の中には、色々なしきたりがあります。しきたりと言えば、形式的側面ばかりを重視しがちです。しかし宗教は悲しみや悩み、よろこびといった体験に即した営みなので、形式や人付き合いといった表層的なことがらとは違った側面を多分に持っています。

 在家仏教である浄土真宗は、さまざまな人たちのによって伝承されてきました。また長い歴史の中で各時代の人間関係の営みの中で多種多様なしきたりが生まれてきました。その長い歴史の中で育まれてきたしたしきたりは、2つの要素によって生まれたとも言えます。

 その二つは、社会との交わりの中で外的動機付けにとって生まれるしきたりと、念仏者自身の内的な動機付けから生まれるしきたりです。

 まずは社会の交わりの中で生まれるしきたりを考えてみましょう。浄土真宗本願寺派において本願寺第14代宗主・寂如上人(1651〜1592)(*註1)は本願寺派勤式作法の上に、読経作法や荘厳形式、法式全般に再検討を加え、天台魚山声明を取り入れ、本願寺派法式の上で多大な功績を残された宗主です。

 この時代は、幕府は4代将軍家綱(1641〜1680)(*註2)の頃に当たります。各宗共通の諸宗法度が発布された頃で、幕府の宗教政策が、寺院ごのと個別的統制から、画一的統制への移行していったのです。

 従来の本願寺門徒の性格は、時代や地域による差はあっても、一貫する特性として、宗祖親鸞聖人の経説と人格を中心に集まった人々です。信心の沙汰をすることが中心課題となっていたのです。幕府の宗教統制以後、寺と門徒の関係は、念仏による結合から、葬儀年回へと重心が移っていきました。そして1671年(寛文11年)に、全住民が宗旨人別帳に記載し、それを僧侶が証明するという檀家制度(*註3)が確立します。

 こうした幕府の画一的統制の流れなのかで、寺院の規格や形式、作法・行儀などが画一的なしきたりとして整えられていったのです。これは社会との交わりの中で、しきたりが形づけられていった一例です。このように1つの形式やしきたりは、時代の要求や時の流れなど、外部からの働きかけや社会との交わりの中で生まれてくる側面があります。

 1つの宗教が社会的な役割を持って次の時代に伝承されるために教義、儀礼、教団の要素が必要だといわれます。この3つの要素は、それぞれ社会との交流の中で、教団特有の時代に即したしきたりを生み出していったのです。

 それともう一つの要素。それは、信仰がもつ本来の生命ともいうべき、信仰の喜びや供恭のこころ・つつしみといった宗教体験から生まれるしきたりです。宗教の生命は宗教体験です。念仏者の喜びやつつしみ、敬いなどの信心の歩みと無関係に伝承されるしきたりは本質的な部分が欠落してるとも言えます。様々な形で伝承されるしきたりは、最終的にはこの宗教体験に集約していくべきものです。単なる形だけのしきたりは、古くさい旧時代的なお荷物になりかねません。一つのしきたりを通して、そのしきたりが生み出された、念仏者の喜びや敬いといった信仰のもつ生命というべき如来の真実に触れていくことが重要です。

 東京の銀座にある某デパートの屋上で、毎月縁日があり法話会が開かれています。過般、その法話会に出向しました。その時、その主催者である銀座商店街連合会の会長から、次のような話を伺いました。その会長は、生粋の銀ざっ子で、会長職を20年以上にわたって務められている方でした。

話しというのは、外国の要人を連れて銀座の高級料亭に会食に行った時のことだそうです。その折り最初に出された食材の話しです。生の蓮の葉の上に、ピンクの蓮の花びらが7.8枚置かれ、その花びらに、キャピヤなど、高級食材が盛りつけされてあったそうです。その会長さんの話を伺いながら、ピンクの花びらに盛りつけされた食材の情景が浮かびました。初夏のことです。その日本的な器(?)に外国の方も悦ばれたそうです。私はこの蓮の花びらの話を聞きながら、仏さまにご飯をお供えする仏飯器のことが思われました。

仏のご飯を供える器具を仏飯器と言います。この仏具は蓮華の形をしていて、品物によっては蓮華の花びらが彫刻されています。その仏飯器にご飯を蓮華の実(註4)に模して盛りつけます。

 過去に篤信の方がお給仕する折、先の料亭のように蓮華の花びらにご飯を載せてお供えしたこともあったかも知れません。それが真鍮で蓮華に似せた器具を作り、蓮華模様をほどこし、蓮華の果の様に盛りつけてお仏飯を供えするという具合の形が整っていったのです。

 キャビアでも、食べるだけなら、皿でも、椀でもよいはずです。ところが、その料亭では、お客様にもっと食を楽しんで頂きたいと、蓮の花びらに食材を盛りつけてお出ししたのです。

 お仏飯も同様です。お供えするのですから、茶碗でも皿でも良いはずです。しかし、お供えすることをもっと楽しみたいと思った篤信者が、お供えの器具を、蓮華に似せ、蓮華の模様をほどこし、ご飯を蓮の実に模してお供えし、お供えそのものを楽しんだのです。このように信仰の喜びやつつしみ、敬いといった宗教的感情から一つのしきたりが生まれていきます。その行為を通してしきたりの中にある、喜びやつつしみといった宗教本来のものがらを追体験していく。しきたりの中に込められている宗教体験こそがしきたりのもつ重要な要素なのです。その重要な要素が正しく伝わっていないと、しきたりは弊害ともなりかねません。しきたりは、しきたりそんものが最終的な目的ではなく、しきたりを通して阿弥陀如来の真実に触れ真実の出会う。その媒介となるものなのです。

 しきたりがその時代に即しているか。またしきたりが単に形骸化した形式だけに止まっていないか。私たちは現代という時代の中で、常に問い続けていかねければならない問題です。


二つの弊害
 しきたりが生み出されていく、この二つの要素は、二つの弊害も生み出します。その弊害の一つは、しきたりの形骸化です。

 社会との関わりの中で生まれるしきたりは、社会が流動的である以上、常に変化し新しい時代に適したしきたりであることが求められます。その時代や常識とかけ離れてしまっているしきたりは、浄土真宗の教えが次の時代に伝承され、また人がみ教えと出会っていく妨げともなります。社会が流動的である以上、しきたりも柔軟に対応すべきです。

 先に触れた門徒制度ということで言えば、この門徒制度が私たちの宗門寺院を支えてきたのは事実です。しかし現在のように、過疎化と家制度が崩壊した時代にあっては、門徒制度が、み教えが伝搬する弊害となる場合もあります。たとえば保育園を経営していて、あの子は他宗の檀家だから入園を拒否するということはありません。保育園の公営性から考えて許されるはずはありません。ところが地域の共同体の中で、「あの人は○寺の檀家だから」と、教えを伝える機縁があっても古くからある門徒制度というしきたりが、教えが伝わる弊害となる場合もあります。浄土真宗の教えの公益性から考えて、保育園のように、所属が何宗であっても、教えに出会って頂くことが本来のありようです。しきたりは常に時代の流れ中で考え時代と共に変化して行かなくては、しきたりそのものが教えが伝わる弊害となってしまうのです。

 宇佐市地区の寺院(本願寺派大分教区宇佐組)では、浄土真宗・聞法カード「お寺へ参ろうえ」を作っています。地域29ヵ寺が協力して法座の折りに、参詣した寺院でスタンプを押してもらい、そのスタンプが30たまると記念品がもらえるという運動です。お寺の垣根をどう越えていくか。そのための新しいしきたりの取り組みです。山陰地方のご寺院でも地域寺院の報恩講を、沢山の方に参ってもらう目的で、同様のカードの作り取り組んでいます。これも社会との交わりの中で生まれてくる新しいしきたりです。逆に、しきらりが形骸化されてしまうと弊害ともなりかねないのです。

 もう一つの弊害は、しきたりを身につけている人イコール篤信者という構図です。先にしきたりは宗教体験に即したものであることをお伝えしました。宗教的体験、すなわち信仰の喜びがなくても、浄土真宗のしきたりを身につけていると、篤信者と見られ、しきたりを身につけていることが信仰の証であるかのように錯覚してしまう場合があります。

過日、枕経の折りのことです。そのご家庭は当寺のご門徒ではありませんでしたが、喪主である妻の実母が浄土真宗というご縁でのご依頼でした。読経、法話えお終えると、実母の方が私に言われます。中陰中、毎七日出勤してほしいとのこと。実母いわく「うちの地域でも皆そうしています」と言われます。私はご法義のあつい地域のご出身の方で、み教えを大切する人だと思いました。それからは話しが四十九日の日時に及びました。また実母いわく「四十九日は三月にまたがると良くないので…」(註6)とのこと。私はそれを聞きながら「これも皆そうするから…」と理解しました。この方は毎七日の意味や、法要は何のために勤めるかという本質的なことをふまえて、毎七日の出勤を頼んだのではなかったようです。「皆するから」が、その理由であったのです。このように皆するからという動機付けであったならば、たとえその行動が浄土真宗のしきたりに則っていても、その人の生きる依りどころとしての宗教となっていません。

 しきたりと信心の隙間や乖離をどう埋めていくか。それは住職の課題でもあります。形だけのしきたりへの固執は弊害ともなりかねません。



しきたりの分類
 浄土真宗は阿弥陀仏の本願力のみ教えです。通仏教であれば、しきたりの良し悪しをはかる基準は、最終的には仏に成るための努力という1つの定規があります。ところが浄土真宗の他力の安心は、そのまま救われていくという阿弥陀仏の大悲の教えなので、たとえお経の読み方が、理想とかけ離れていても、救いの妨げにはなりません。だからといって無作法も無罪放免とはいきません。そこでしきたりの性格を分類し、そのしきたりのもっている意味や性格を明らかにする必要があります。

 浄土真宗のしきたりの要は何と言っても、「私が念仏を申し救いを悦ぶ」という一点にあります。家庭にお仏壇を安置することも、お仏壇が大切というよりも、仏前に座ると、自ずと念仏を申し阿弥陀仏のことが思われます。私が念仏し救いを悦ぶ環境がより整うということです。

 この私を度外視しては、しきたりは無意味であり、宗教的感情にそったしきたりの分類が求められます。
 浄土真宗の念仏者のしきたりは、念仏者の生活を荘厳し、念仏の生活を相続し、念仏者の連帯感を深め、未信に人に価値の創造という啓発をもたらし、もって御同朋の社会を形成しようとするものです。ここでは念仏者の生活を4つの内容に分類してしきたりを伺いたいと思います。

 その4つとは、【伝道(聞法)】【安心】【努力(報謝)】【つつしみ】です。4つの筋目を立てることの意味は、浄土真宗の救いが「そのままの救い」であっても、その生活が社会的な存在として相続される以上、念仏者としてのつつしみもあり、努力もあり、聞法も必要となります。それを「そのままの救い」だからと努力やつつしみを混同してならないからです。ではその4つの面から浄土真宗のしきたりを見てみましょう。

 第一番目は、伝道に関わるしきたりです。伝道は同時に私自身の聞法でもあります。あるいは他の人が浄土真宗の法に出遇うために期するしきたりです。入母屋造りの寺院の形式や内陣よりも外陣を広くした様式など、聞法の場である道場や寺の存在は、自身が法に出会うために場であり、未信の人が育てられる場でもあります。長い歴史の中で真宗独特な重厚で美しい寺院建築やお荘厳が形づくられてきました。仏旗(註7)などは仏教者としての連帯を深め、仏教を他の人に標榜し、仏教の存在を周りの人に知らしめるものです。釣鐘は法要を知られるために用いられ、極彩色の荘厳も、浄土真宗への供恭の心を発起させます。法話や説教も、登高座形式から講演や話し合い法座へとその様式の時代と共に変化しています。今日的には寺報やホームページなども伝道に分類される新しいしきたりが生まれつつあります。表白・弔辞といった文語表現におけるしきたりもあります。寺院の地域社会での公益性から考えれば、カウンセリングや電話相談など、未信の人たちとどう法縁を結ぶか。新しい取り組みやしきたりが生まれる可能性があります。この伝道に関するしきたりは、しきたりとして伝承されていても、時代や地域性により変わりやすい性質があります。

 私事ですが、以前、幼稚園の父母の会会長を勤めているとき、クリスマスにサンタ役を頼まれたことがあります。歴代の会長職が、その役に当たるとのことでした。安心やつつしみの範疇のしきたりから考えれば、拒むべきでしょう。しかし首都圏で仏教の話に触れたことの人たちの集まりです。私はサンタに扮して、短い私流のお説教をしました。賛否はあることでしょうが、伝道に関してのしきたりは、時代や地域性、その時の状況によって固定化せずに考えるべきものです。こうした現代的な問題をどう考えていくのか。深い問題を内包しています。

2番目は、浄土真宗の安心に関わるしきたりです。称名念仏や本尊、教義に関わるしきたりです。得度式、帰敬式、法名や院号、また儀礼や内陣の荘厳などは、たんなるしきたりに止まらず、深い意味と内容をもっています。浄土真宗の本尊に限定しても、親鸞聖人以前の、来迎思想を基盤とした木像や絵像本尊から、名号本尊へ、特に聖人のおいては帰命尽十方無碍光如来(*註7)が多く現存しています。その後、蓮如上人にいたり、無碍光流の邪義の非難から六字名号への変遷(註8)、そして寺院設備の充実と共に、現在多く用いられている木造本尊へ移行していきました。時代の流れの中で、宗教的感情の息吹きが形のなって社会的な役割を担ってきたようにも思われます。安心に関わるしきたりは、時代により変わりにくい側面がありますが、信仰は常にその時代のドグマや悩みを内に含んで伝承されるので、長い時間で見れば普遍とは行きません。

3番目は、念仏者の努力や精進を助け、豊かな念仏生活を営むためのしきたりです。儀礼の多くは、いわゆるご報謝から生まれたものです。救われるための努力ではなく、救いを確信した者が行う努力です。

親鸞聖人はご和讃に
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし」
とあります。念仏者の生活全体が、報謝の営みでもあります。勤式作法の向上、寺院のお荘厳を整え、仏事の営み、念仏を申す環境を豊にしていく。ここから様々なしきたりが生まれていきます。この努力に関するしきたりは、個人的な側面を多く含んでいます。

 浄土真宗は肉直妻帯を標榜しています。だからといって無節操な生活は許されません。たとえば浄土真宗には精進という伝統があります。親鸞聖人のご命日や親の命日に、肉食を断ち、いわゆるベジタブル料理で過ごします。浄土真宗の救いとは無関係ですが、少しの努力を通して、命の大切さを思い日々の生活を反省します。
4番目は、つつしみから生まれたしきたりです。迷信に頼らない、念仏者に相応しい行儀を行うことです。神棚を祭らないことや、日の良し悪しにとらわれないなど、浄土真宗ならではのタブーがあります。それは教えを逸脱することから生じるタブーです。特に死にまつわる迷信は多く、葬儀や会合での挨拶(註8)など、浄土真宗に即した言葉使いが求められます。このつつしみに関するしきたりは、他の宗派にない真宗独特なしきたりを多く生み出しました。

 以上の4つのことは、しっかりと筋目をたてて意識しておく必要があります。正しいお勤めという1つのことをとっても、お経が下手でも救いには関係ないとなると、念仏相続の喜びも継続せず、未信の人が見て、下手なお経と見下し、教えから離れていくかも知れません。

 葬儀や法要でも、上記の4つの面が色々と意味づけされ、形式となって勤められます。美しい荘厳・法要は人を引きつけ、お勤めはお勤めする人にとっては、ご本願の確かさに思いをはせ、安心の発露です。喜びや教えの素晴らしさを深め相続するために儀式や法要に色々な工夫が用いられます。自然とその中では、浄土真宗では相応しくない言葉使いや行儀が生まれます。

今後の課題

 浄土真宗のしきたりの今後の課題としては、上記の4つのしきたりをスムーズに現代社会の中に適応する形でどう位置づけるかということです。1つのしきたりは、連帯感を深めお寺の結束を生みますが、そのことがお寺の敷居の高さを生み出してしまう場合もあります。その社会の地域性や住職の考えにより、柔軟に対応すべき場合もあります。浄土真宗ならではのタブーも、杓子定規に切り捨ててしまうと、迷信や神棚に迷う人と、揺れ動く心まで否定してしまい、せっかくの仏縁が断ち切られてしまう場合もあります。

 かといって世間の常識に流されてしまってはもともこもありません。以前、ご縁のある方から、仏壇を小さくしたからと、古いご本尊のお焚き上げを頼まれたことがあります。本尊の裏書きを見ると、「釋法如」と本願寺宗主の名と花押が記されています。法如上人は本願寺十七代の宗主(一七〇七〜一七八〇)で、現在の京都・西本願寺阿弥陀堂を建立(1760)されたご門主です。

 お焚き上げに持参された方は、北海道出身の方です。北海道に移住する前、ご先祖は北陸であったと言われます。するとこのご本尊は、遠い先祖が、北陸で生計を営み、その後、北海道に渡り、そしてこの関東へおともをされてきたことになります。二五〇年、七代か八代のご先祖が、苦渋を共にされたご本尊だったのです。開拓で北海道に渡り、極寒の中、このご本尊に支えられ耐えた日も多くあったことでしょう。結局、お焚き上げを止め、本尊絵像と裏書きを掛け軸から外して、緞子(どんす)で回りを表装し、額に入れて家宝にすることとなりました。そんなことも出来るのも、浄土真宗のしきたりに則ったご本尊だからです。

 法名といえば、宗門の最も伝統的なしきたりの一つです。以前は宗主の行うものでした。しかし0大派の宗憲に「帰敬式は、本派に帰依の誠を表わす儀式であって、門首がこれを行う。ただし、住職及び教会主管者は、門徒の希望により、これを行うことができる」と規定されるように、一般寺院の住職が執行できるようになりました。本願寺派でも、門主のお手代わりで各地方で執行されるようになり、変革されつつあります。それと同じに、厳格に法名に対してのしきたりを守ろうとする運動も行われています。

 本願寺派では1998年に「差別法名・過去帳調査」を行いました。99%を越える提出率の中、差別法名や近世被差別身分を表した添え書きが多数報告されました。また過半数を超える寺院から居士等の規定外法名が確認され、今後は、法名の意味を問い直しつつ二字法名への回帰が早急な課題となっています。

 大谷派でも、1983年、鹿児島別院保管の過去帳から、差別法名が発見されたことを機縁として、差別法名に関する調査を実施し、教団のもつ差別体質克服のための取り組みがなされています。

 現在本願寺派では組単位で、二字法名に限定しようとする活動も行われつつあり、山口教区都濃東組は組が一体となってパンフレット等の作成啓発を通して法名の二字化を進めた実例もあります。大谷派でも、東京教区で教化実践項目で位号(居士・大姉・信士・信女)の撤廃に向けての取り組みが行われています。法名に優劣の価値観を持ち込むこと自体が反仏教的な行動であり、法名とは何かをひとり一人に問うていく営みが不可欠です。

 神棚の問題も古くて新しい問題です。過日、次のような体験をしました。ある地域の話し合い法座でのことでした。その地域は、地域全体が神社信仰に染まっており、ある寺院の総代さんから、親の代から伝書されてきている神棚を下ろそうか下ろすまいかという揺れ動く心が吐露されました。その方は真剣に悩んでいるご様子でした。その揺れ動く心を聞きながら、私の心の中にふと沸き上がってくる思いがありました。「私は神棚を下ろそうか悩んだことがない。それは神棚のない家庭に育ったから」と、神棚を下ろすか下ろすまいかと悩む必要のない家庭に育ったとこの有り難さがこみ上げてきました。その後そのこみ上げてきた私の思いをその方にお伝えしました。「親が祭ってきた神棚を下ろす決心は並大抵のことではないと思います。もしここで踏ん切ることなできなかったら、あなたの子孫も同じように悩むに違いない。どうでしょうか。こうは考えられないでしょうか。阿弥陀様もあなたの神棚を下ろすという決心がただ事でない重大な決心であることを知っていた。今日という日に、あなたにその一念を発起させるために、こうした座をしつらえ、その話しを持ち出すように仕掛け、その一念を起こすためにこのような催しを仕組まれた。それが今日という日のこのお座です。決断するのは貴方ですが、その決断を生み出すために、仏さまの働きがあった。そうは考えられないでしょうか」とお話ししたことです。私たちはどうも、良いことを身につけていると、その良いことで他者を裁いてしまう傾向があります。かといって、神棚を下ろすことを否定しているのではありません。神棚を祭らないと言うしきたりが、先の人をして神棚を祭っている現実に疑問を持たせ、先の問いとなったのですからしきたりはしきたりとして重く考えるべきものです。しきたりを単なる形式の問題とせず、大胆にその形式の背後にある悲しみや喜び、また悪しき伝統や習俗を問い直す契機としたいものです。

 当たり前で単純なことがらの中にも、意外と深い真宗的な意味合いがある場合もあります。先日、大派の住職からの電話でのお尋ねでした。「お焼香するとき、なぜ頂かないのかと質問を受けましたが、どう答えたらよいでしょう」とのこと。意外と当たり前過ぎて答えにくい問題です。

 香を頂くことは心を込めれるとい意思表示です。浄土真宗は自分の心は煩悩に汚染されているので、心を込めるという所作がありません。しかし、教典や袈裟類を着用するときなど、頂く場合も多々あります。これは教典や本尊、袈裟など仏の功徳に属する場合です。それに反し香や花など私から仏に差し出すものは、頂かずにそのまま供えます。香を頂かずに焼香する作法、何でないしきたりの中にも、真宗の香りが味わえると思ったことです。

 もう1つ大切な視点は、しきたりを通して、どう真宗の法味に触れていくかという問題です、たとえば浄土真宗では葬儀の折、清め塩を用いません(註9)。その場合、清め塩をする人への関わり方としてはない、塩を用いる用いないという行動が問題なのか、みんなするからと言うその人の姿勢が問題なのか、死を汚れとするその方の迷いのこころが問題なのか。ということです。浄土真宗では清め塩をしないことを理解し身につけていても、その行動が死は汚れではないという考え方に結びついていなければ意味がありません。

 最近体験したしきたりで、しきたりの大切さを体験した例を一つご紹介します。それは「枕経」というしきたりです。

 私の父が昨年逝去しました。父の最後の3日間は肺炎で苦しい息あえぐ中での命の相続でした。ある日の正午近くに息を引き取りました。その前の夜は、兄が夜とぎをして付き添いました。私は午前5時から7時半まで、父と同伴しました。朝、6時40分頃、個室の窓に朝日が昇る景色が映りました。父のベットをお越し、酸素マスクを付け荒い息の父に、「お父さん、ほら、朝日だよ」と、一緒にその光を仰ぎました。
 しばらくしてベットを戻し、「お朝事をしよう」と、耳元で正信偈を唱えました。丁度、ベットサイドのテーブルの上に父が長年、大切にしていた聖典があったので、その聖典を父に見せ、私も正信偈六首引きは、その聖典を見てお勤めしました。私がお勤めしている間、父はパージのあっちこっちを見ていました。

 正信偈が終わると、その聖典の中にあった、信心獲得章、末代無知章、聖人一流章の御文章を拝読し、歎異抄を3章まで一緒に拝読しました。と言っても私が声を出し、父と一緒にその私の声を聞くといった具合でした。そして最後のページにあった、父が何百回か読んだであろう父が作った法事や葬儀の折の表白を、声にして読みました。

 そんなことをしている間に兄が戻ってきたので、父と一緒にお勤めしたことを告げ、病院を後にしました。病院の前のある母の自宅により、「いま、お父さんと、一緒に朝日を見て、正信偈のお勤めをしてきたよ」と告げると、本当に自分が父とお勤めしたように母は喜んでくれました。私も父の一緒にお勤めできたことが嬉しかったのですが、母が喜んでくれたので、その喜びがいっそう深まりました。

 今思うと、なぜもっと早く、父とお勤めすることに気が付かなかったのかと思います。八ヶ月近く声のなかった寝たきりの父です。

 私にはお勤めは仏さまに向かってするものという固定観念があったのです。お勤めそれ自身が、仏との交わり
そのものなのに。

 まさに枕経の体験でした。その時の父は、血圧は測れないほど力無く、息荒く、酸素マスクの中での、命の相続でした。しかし、そんな状況にあっても、人(父)は人(私)に、喜びを与えることが出来る。父とのお勤めはそのことの体験でもありました。共に阿弥陀仏の大悲に触れていく大切なご縁、それが枕経という一つのしきたりなのだと理解しました。

しきたりの今日的意味

 しきたりの役割は、私の念仏生活が豊かになることです。そしてそのことが、他の人をして念仏をたしなむ助縁となり、その広がりとして仏教の考え方にそった社会が形成されることです。1つの時代には、その時代特有の時代性があります。その時代のなかで、時代のもつ波に飲み込まれることなく、「無明長夜の灯炬なり」(正像末和讃)とご和讃にあるようにその時代の灯しびとなる。そんなしきたりが望まれます。大胆に、それでいて繊細に過去のしきたりを問い直すことも大切です。

 しきたりは万能ではありません。しきたりの限界としきたりの役割を意識しながら、その時代にあったしきたりを、作っていかなければなりません。それこそが、私の信心の歩みなのです。その信心の歩みの具体相は、聞法と安心、安心の相続(報謝)、つつしみなのですから、そこに時代の相応しないしきたりとの決別や、しきたりのリニューアル、また新しいしきたりも構築していかなければなりません。 しきたりの今日的意味を箇条書きにして見ましょう。 

1.伝承されてきたしきたりを通して、浄土真宗の教えに触れることができる。
2.信心の有無に関係なく、形から入るので親しみやすく、相続しやすい。
3.仏縁の深い浅いに関われず、しきたりに則していれば、とりあえず安心。形に悩まされなくてすむ。
4.連帯感をうむ。
5.楽しみやつつしみを心に任せず、追体験できる。
6.形を通して如来の働きに直接触れることができる。
7.形にしておくと意識に残る。

などが考えられます。年回の法事でも、亡き人への追慕の心を持っていても、それを形で表現しておかなければ、記憶には止まらず、後で思い返して追体験することもできません。しきたりの多くは形で表現されるものですが、一貫してしきたりの底に流れるものは他力、即ち阿弥陀如来の働きです。

 作家であった吉川英治さんが千利休350回忌の記念講演(「吉川英治文庫」書斎雑感・講演集*註10)「茶の恩」の中で、作法の心髄に触れています。概要のみご紹介します。

 講演の最初に「日々の忙中に、ふと一椀を手い頂く寸閑、怠りがちな心養をこころみ、亡父を憶い、亡母を憶い、ひいては先祖の恩、国土の恩までに思い至る」と語られる吉川さん。その吉川さんも、茶の恩ということがわかるまでお手前の茶が飲めなかったと言います。随所で、さりげなく「いかがですか」と一椀のお茶を出されたとき、他のお茶の作法を知っておられる方は作法正しく頂いておられる。ところが自分は、何か形にとらわれているような気持ちにとらわれて真心から頂けなかったそうです。隣の人がされるので真似して頂くが本心からお茶が飲めていない。これを「お茶に対しておじぎができていない」という言葉で語られています。そんなことを繰り返す中に、あるときふと、「お茶を本当においしく飲むためには本当に心からお辞儀ができなければ駄目だと気づいた」そうです。そして水の恩、立ててくれた人の心入れが考えられるようになったとき、自然にお辞儀ができるようになったとのことです。

 吉川さんが言われる「心からお辞儀ができる」とは、実際に頭を下げること以上に、茶の恩を知るという心の姿勢のことです。頭が下がる世界に出会ったということです。
 これは手を合わせるという行為も同様です。「合掌に対してお辞儀ができる」ことが大切です。お辞儀ができるとは、頭の下がる世界に心を通わせることです。それは合掌できる身の幸せを喜ぶということでもあります。「お念仏に対してお辞儀ができる」。これが他力の念仏ということです。お念仏を通して頭の下がる世界に心を通わせる。それは如来大悲の恩徳に心が開かれると言うことです。

 しきたりという形の底に流れている頭の下がるもの、即ち本願の働きにすべてのしきたりが集約されていきます。
  
 しきたりの弊害もあります。同様に箇条書きにしてみます。

1.形を大切にすることことが、信仰生活だと錯覚する。
2.形式に安心して、宗教体験まで深まらない。
3.しきたりが敷居の高さを生み他者への障壁となってしまう。
4.形骸化したしきたりは、教えが伝わる弊害となる。

などが挙げられます。しきたりも時代や状況にそわないと、弊害となります。たとえば先に触れたように、連帯感を生むしきたりは、そのものが初めて接する人には敷居の高さとなってしまいます。しきたりの弊害の根底にあるものは、しきたりへの固執です。1つ間違えば弊害になることを心得て柔軟に考える必要があります。

今後の課題としては

1.現代に相応しないしきたりとの決別。
2.しきたりの現代的アレンジ。
3.新しいしきたりの構築。
4.地域性のあるしきたりの構築。
5.私だけの、我が家だけのしきたりの構築。
6.しきたりにおける他の宗教との対話。
7.しきたりの意味づけや「なぜ?」の部分を明確にする。
8.しきたりの普遍化(世界的規模のしきたりの構築)

などが考えられます。

 教えが世界に向けて発信される時代です。なぜそうするのかという意味を明確にすることは、外国人への伝道に止まらず、日本の現代に生きる人へも、しきたりを通して多くのメッセージを伝えることとなります。

 しきたりは社会性を持った行動です。しきたりは多くの人が参加しやすい形式を整えるという普遍化という方向と共に、個性化の時代です。逆に私だけのしきたり、我が家だけのしきたりも大切にしなければなりません。

 信仰の躍動感は常に形となって社会に表現されます。それが一定以上にまとまると、一つのしきたりとなります。はじめて浄土真宗に触れた人でも、そのしきたりを通して、先人の深い信仰の証しを追体験したり、み教えに触れていくことにもなります。だからと言ってしきたりは、しきたりであって、宗教の最終目的ではありません。

 しきたりの分限をわきまえ、柔軟にしかも謙虚に先人の思いを踏襲し、先人の体験を追体体験する、そして今後の飛躍に期する大胆な試みも大切です。常識に縛れられない発想と信仰への真摯な思いから新しいしきたりは生まれていくのだと思います。

*註1−第十四代宗主(慶安四年・1651年世寿75才)厳正な勤式を督励。阿弥陀合殺念仏。八句念仏。半鐘。歴代御影を書き改め画讃。寺院建築に諸規則を定める。宗祖四百五十回大遠忌記念事業として本廟の明著堂・総門等を新築。
*註2ー 四代将軍(在職1651〜80)。家光の長男。保科正之・松平信綱らの補佐を受け、末期養子の禁の緩和、殉死の禁止など政治を武断から文治へと転換した。明暦の大火で江戸の大半を消失すると、それを契機に、江戸をその急速な成長に合わせて拡張、再開発した。晩年、保科正之らが引退すると、酒井忠清が専権をふるった。
*註3
寺院・神社統制ー幕府は、1601年から16年にかけて寺院や僧侶に関する諸法令を発しました。それらを総称して「寺院法度」という。この過程で各宗派の寺院は、本山と末寺の関係が明確にされ、組織化がはかられた(本末制度)。
1665年(寛文5)には各宗共通の「諸宗寺院法度」を発布。
諸宗寺院法度 
一、諸宗法式、相乱すべからず、もし不行儀の輩これあるにおいては、急度(きっと)沙汰におよぶべき事。
一、一宗法式を存ぜざるの僧侶、寺院住持たるべからざる事。
  附、新儀を立て、奇怪の法を説くべからざる事。
  寛文五年七月十一日
(出典『御当家令条』)
 1671年からは宗門改帳を作成し、全国的に施行された。

*註4ー本願寺派は蓮のつぼみとする説あり。しかし「十住毘婆沙論(易行品)」に
  「もし人善根を種うるも、疑へばすなはち華開けず。信心清浄なれば、華開けてすなはち仏を見たてまつる」。
と蓮のつびみを嫌う人もあり、ここでは蓮の果としました。

*註5ー財団法人「全日仏」ホームページよりの転載
Q仏旗とは何ですか
A仏教徒が、仏教を開かれたお釈迦さま(仏陀)の教えを守り、仏の道を歩んでいく時の大いなる旗印となるものです。
Qいつ定められたのですか
Aかねてより多くの仏教国で掲げられていましたが、世界仏教徒連盟(WFB)が結成され、スリランカでの第一回世界仏教徒会議が開かれた1950年に、正式に「国際仏旗」として採択されました。
さらに1954年、永平寺で開かれた第二回全日本仏教徒会議でも決められました。
Q仏旗の色と形にはどのような意味があるのですか
A仏陀がそのすぐれた力をはたらかせる時、仏陀の体から青、黄、赤、白、樺及び輝きの六色の光を放つと『小部経典』というお経の中の「無礙解道」の項に説かれていることからこれらの色が使われています。
このため仏旗は「六色仏旗」とも呼ばれています。
また、次のようにも理解されています。
青は仏さまの髪の毛の色で、心乱さす力強く生き抜く力「定根(じょうこん)」を表します。
黄は燦然と輝く仏さまの身体で、豊かな姿で確固とした揺るぎない性質「金剛(こんごう)」を表します。
赤は仏さまの情熱ほとばしる血液の色で、大いなる慈悲の心で人々を救済することが止まることのない働き「精進(しょうじん)」を表します。
白は仏さまの説法される歯の色を表し、清純なお心で諸々の悪業や煩悩の苦しみを清める「清浄(しょうじょう)」を表します。
樺は仏さまの聖なる身体を包む袈裟の色で、あらゆる侮辱や迫害、誘惑などによく耐えて怒らぬ「忍辱(にんにく)」をあらわします。
インド、タイ、ビルマ等のお坊さんがこの色の袈裟を身につけています。
この縦と横に重なり合う五色で表される仏さまのお姿と教えが、仏の道を進む私たちを励まして下さっているのです。

*註6ー四十九日が三ヶ月にまたがって中陰を勤める事を忌嫌う迷信。その理由は、四十九日が三月になるので「四十九が三月=始終苦が身に付く」という語呂合わせによる。
註7ー親鸞聖人は、そうした本尊論を展開されることはありませんでしたし、臨終来迎を期するのは自力であり、「来迎の義則をまたず」と、平生・現生においてすでに摂取不捨の利益で正定聚に入る利益を得ている訳ですから、臨終来迎を期する本尊ではなく、大悲の活動相として、名号本尊を六幅ご製作されています。

註7 親鸞聖人の真筆名号
「帰命尽十方無碍光如来」三幅
「南無尽十方無碍光如来」一幅
「南無不可思議光仏」一幅
「南無阿弥陀仏」一幅

註8
十字名号を以て本尊とすることが親鸞聖人以来の伝統であったが、蓮如上人の教団が拡張してゆくと、ことさらに無礙光宗と呼ばれ、邪義と称された。大谷破却以後の年記ある十字の名号は現存しておらず、十字に代わり上人独特の風格ある行書の六字名号が流布されることとなった。

註9ー葬儀に際して、浄土真宗で使わない言葉
   ・ご霊前ー    ご仏前・ご尊前
   ・祈るー     念じる。お念じ申し上げます
   ・冥福を祈るー  哀悼の意を表します
   ・戒名ー     法名
   ・魂ー      故人
   ・ご回向を頂くー おつとめを頂く、読経を頂く
   ・引導をわたすー おかみそりを行う
   ・安らかにお眠り下さいー私たちをお導き下さい
   ・幽冥境を異にするーみ仏の国に生まれる
   ・天国に昇天するーお浄土に生まれる
   ・草ばのかげー  お浄土・み仏の国


註9 清め塩カード文案

私たちは清め塩を使いません

なぜ清め塩をするのか

神社神道では、死を穢れてとして忌み嫌います。死体が腐敗することと、死を厭う思いからそう扱ってきたのでしょう。
逆に塩は、身体を維持するための不可欠な食品です。今でも食品を保存する役割を担っています。冷蔵庫が普及する前、保存食品といえば、干し物か塩づけです。この腐敗を防ぐ作用を、そのまま身体の上にまじないとして活用したのが清め塩です。


*註10ー講談社刊「吉川英治文庫161」