戒名と法名。何が違うのか(西原祐治)

 本願寺の前門主(註1)は、昭和52年に法統継承し門主職を引かれました。昭和五十七年より、宗祖聖人のご命日法要にあわせて毎月中旬の数日間、東京・築地別院へ出向されるようになりました。私はその折り、築地別院に勤務していて、侍僧という秘書役を拝命しました。ある日のことです。個人的なことだがと、代香を頼まれました。目黒区にある祐天寺の巌谷勝雄師が往生(註2)されたときのことです。

 早速、ご仏前をお預かりして祐天寺へ行きました。焼香し、巌谷勝雄師の戒名を手帳に控えていると、この戒名が長い。その私の様子を見た案内役の僧が、『これをどうぞ』とはし袋のような長い紙編を下さいました。そのはし袋のような紙には祐天寺第二十世中興とあり「一心光院徹蓮社貫誉上人顕阿白道愚精進勝雄上座大和尚」とありました。なんと二十五文字です。その一年後、増上寺のご門主が往生されたときは二十七文字ありました。

 なぜ戒名は長いのか。戒名は浄土真宗の法名と同様、2文字なのですが、色々と形容詞が付くようです。まずは巌谷師の戒名を解読してみましょう。

「一心光院」は院号です。この院号は増上寺から頂いたものです。院号は浄土真宗でも用います。院号とはもと天皇が出家されたときに名のられた名前です。その後ご門跡寺院の住職になった人に授けられました。そして時代が下り仏法に功績のあった人を讃えて授けられるようになったものです。(註3)「徹蓮社」の社号です。中国・廬山慧遠が念仏修行のために結んだ結社である白蓮社にならった(註4)ものです。結社(グループ)という意味であり、現在、浄土宗では教師の資格を取得した時点でみな社号を賜ると聞きます。貫誉上人は上人号で殿上の人という尊称です。「顕阿白道」は、道号に当たります。道号はもとは中国で、天子が道教の修行者(道士)に賜った称号でした。古来名前の他に字(あざな)を持ち、尊んで呼ぶ場合、沙門(出家して仏門に入った人)の別号として用いられたのがはじまりといわれます。その人の信仰の内容を示した尊敬を込めた呼び名です。愚精進勝雄の勝雄は法号です。浄土真宗の法名に当たるものです。その前の「愚精進」は、憶測ですが、「愚痴の法然房」「愚禿親鸞」と名乗ったように故巌谷勝雄師自らが名乗ったご自身を形容する詞だと思われます。上座大和尚は、修行の形態を表す位号です。一行の中にすべてを織り込むとこう長くなるわけです。

 戒名の基本は戒律を保つ自覚を表明したものです。自らの人格を高めていくところにその宗派の面目があり、戒名にその人の生前の徳をすべて持ち込むので長くなるのです。これは帰依する教えが、自身の行為行動を重視し、それを戒名に反映させるからです。

 では浄土真宗の法名は。その前に戒名(法名)の歴史を見てみましょう。

 釈尊ご在世の当時、出家しても名前は在家の時のままであったようです。お子様の羅ご羅尊者も「ラーフラ」(註5)と呼ばれていたことからも知り得ます。仏教が中国へ伝わった時、中国では戒を受け得度して仏弟子となると、それまでの俗名を捨てて新たに戒名を授けられるようになります。中国では実名の他に字(あざな=生者)、諱(いみな=死者)を持つ習慣があり、それが仏教に影響を与えたのです。 さらに中国では、最初、出家した者の多くは、師の姓をとって自己の姓としました。「竺法護」(註6)は、竺高座を師としたため,竺姓を名のったものです。ところが東晋時代の道安(註7)は、仏弟子はお釈迦さまのお心を体して、皆平等に「釈」をもって姓とすべきであると唱えて、自ら釋道安と名のりました。現在、浄土真宗で法名を「釋〇〇」としているのはここに由来します。

 これが日本に伝わり今日に至っているのですが、宗派の違いによって、戒名のつけ方には多少の違いができました。さらに日本では、室町時代頃から仏式の葬儀が確立するにしたがって、戒名を死後に受けるようになっていきます。それが、江戸時代の檀家制度によって、一般民衆に広く普及しました。
少し戒名の宗派の性格を見てみましょう。日蓮、法華宗の各宗各派では、「妙法」の二字を冠し、男性には「法○」、女性には「妙○」を付けることがよくあり、位が高くなると日号といって、日蓮の日を用います。霊友会、立正佼成会などは、「諦生院」の三字を冠します。曹洞宗や臨済宗などは、戒名のほかに道号を必ず用います。その道号には、「山・岳・峰・雲・室」と言った実字を入れることになっているようです。また禅が入っていれば禅宗です。さらに、梵字といって、戒名の頭になめくじがはったような文字が付けられていることがあります。 例えば真言宗であれば「ア」(註8)。これはインドサンスクリット文字で、「ア」は真言宗のご本尊である大日如来を表しています。 つまり、梵字がつくことにより大日如来の仏弟子になったことを表している訳です。「ア」(註9)は真言宗だけでなく天台宗でも使用されます。梵字の「バク」(註10)は、釈迦如来のことで、天台宗や禅宗です。同様「キリーク」(註11)は、阿弥陀如来で天台宗と浄土宗が用います。

 また、冠字といって、日蓮宗系ではお位牌の頭に「妙法」という文字が、禅宗系では「空」という文字が付いている事があります。

 同様に戒名の上に「新帰元」「新円寂」と書かれているのを見かけますが、これは新しい生霊という意味で四十九日まで用います。

 浄土宗も、道号を持ちいますが、五重相伝を受けて浄土宗の真髄を授かった人には誉号が授与されます。この誉号は、中国の高僧、善導大使が書かれた『観経疏』散善義に「念仏を称える者は現世において五種の誉を受ける」とあることによります。浄土宗の第五良誉定彗上人から始まり、後に浄土宗において広く使われるようになりました。但し、西山浄土宗は、授戒を受けた者には空号が、さらに五重相伝を受けたら道号をつけます。時宗では、男性には「阿号」(〇〇院◇阿△△□□居士)、女性には「弌号」が使われます。

 さて浄土真宗です。真宗の「釋〇〇」は、開祖親鸞聖人が非僧非俗をとなえ、いわゆる授戒の教義も作法もない無戒の立場を標榜しています。戒を授けるとか受けないとかがないので戒名と言わず法名と言います。「釋」の一字を冠しみんな等しく釈尊の仏弟子であることを表明しています。法名の他に道号と位号が付かないのは
、自らの行為行動によって自分の人生を満たしていく教えではなく、阿弥陀仏の慈しみによって、どのような人生であっても満たされていく教えだからです。

 居士や信士を付けないと言っても、先祖が付いていたりすると、なかなか納得していただけないケースがあります。そうした折りは私は、佐藤栄作氏や、松本清張、竹下登氏なの有名人(註8)を持ち出すことにしています
。権威を持ち出すのは良くないのですが、説得力があります。

 本願寺派では1998年に「差別法名・過去帳調査」を行いました。99%を越える提出率の中、差別法名や近世被差別身分を表した添え書きが多数報告されました。また過半数を超える寺院から居士等の規定外法名が確認され、今後は、法名の意味を問い直しつつ二字法名への回帰が早急な課題となっています。

 大谷派でも、1983年、鹿児島別院保管の過去帳から、差別法名が発見されたことを機縁として、差別法名に関する調査を実施し、教団のもつ差別体質克服のための取り組みがなされています。現在本願寺派では組単位で、二字法名に限定しようとする活動も行われつつあり、地域によっては組が一体となってパンフレット等の作成啓発を通して法名の二字化を進めた実例もあります。大谷派でも、東京教区で教化実践項目で位号(居士・大姉・信士・信女)の撤廃に向けての取り組みが行われています。法名に優劣の価値観を持ち込むこと自体が反仏教的な行動であり、法名とは何かをひとり一人に問うていく営みが不可欠です。

註1
第23代勝如上人1911(明治44)年〜2002(平成14)年
東京帝国大学(現東京大学)卒業後、1927(昭和2)年 浄土真宗本願寺派第23代門主就任 、 第2回世界仏教徒会議名誉総裁、全日本仏教会会長、( 財)全国教誨師連盟総裁、 世界宗教者平和会議京都大会名誉総裁等歴任

註2
祐天寺住職、1985年没
師が中心となって1968年国際仏教興隆協会を設立し、70年にインド・ブッダガヤに日本寺を建立。

註3
浄土真宗では、第8代蓮如上人(信証院蓮如)から院号を用いているが、『考信録』に「本山歴世の宗主。覚如師より如の字を通称とし。実如師より光の字を緯に冒らしめ。証如師より信の字を廟号に冒らしめたまい」とある。

註4
日本では澄円が正中二年(1325)には浄土教の源流を求めて中国(元)に渡り廬山(ろざん=江西省)の東林

寺に学び帰国後の元徳二年(1330)故郷である泉州堺浜に、旭蓮社(ぎょくれんじゃ)と名づけ廬山の寺に模した寺を草創したことに始まる。

註5
羅ご羅(ラーフラ)はシャカムニ仏陀の唯一の実子。サンスクリットではラーフラであり、これは〈覆障(さわり)〉を意味することば。仏陀が出家する以前に故郷のカピラヴァストでシャーカ族のシッダールタ王子として居るころ、ヤショーダラ妃との間に生まれた子であった。シッダールタ王子は、子供が生まれたことを告げられると、“ああ、覆障が生まれた”と、つぶやいたという。そうした由来からラーフラ(羅ご羅)の名前が付けられたとされている。

註6
竺法護(じくほうご)
 生没年不明。曇摩羅刹ともいう。中国,西晋時代の訳経僧。
註7
道安(どうあん)
 314〜385 中国,前秦の僧。

註8
佐藤栄作 作願院釈和栄
林家三平 志道院釋誠泰
松本清張 清閑院釈文帳
竹下登 顕政院釋登涯

註8.9.10.11 梵字を入れる