破壊の神


送られてきた雑誌にあった話です。
【 私の家の前には大きな樫の木がある。ある時台風が来て吹き荒れた後、ふと見るとやや太めの枝が一本折れて垂れ下がっていた。やがて秋になり冬にあると、その枝の葉っぱは落ちるわけでもなく茶色に枯れたまま、ぶら下がっていた。
 次の年の春も終わりの頃になると、樫の木には新芽が出てきて、古い葉っぱはパラパラと落ちて新陳代謝をする。ところが台風で折れた枝と葉は、茶色に枯れたまま落ちる様子はない。
 その時初めて気づいた。樫の木は折れると落葉しないということを。落葉ということは死ぬことではなく生きることであるということを】とのこと。
 落葉に人の生死を見た感性の豊かさは見事です。折れた枝からは落葉しないという事実は、落葉は終わりではなく新しい始まりであることを物語っています。
 終わりがそのまま新しい始まりである。ふとインドのシバ神のことが思われました。シバ神はヒンドゥー教の神々なのかで一番人気のある神であり破壊の神です。シバ神を祭るということは、破壊することに1つの価値を見ていく考え方でもあります。これは新しいものが生み出されていく為には、古いものが壊れ去るという事実を指摘しています。
 このシバ神に1つの物語があります。シバ神には眉間にもう一つの目があります。この第三の目が眉間に出来た物語です。
 シバ神は瞑想をよくします。 一度やりだすと数百年はあっという間に立ってしまう。妻がある日、手でシバ神の目を覆ってしまった。すると世界は真っ暗闇になり、全世界は滅亡の危機に陥った。その時、眉間が開きもう一つの目ができ、その目から強烈な光が放たれ世界を救ったのだそうです。
 落葉の話と破壊を大切にするインドの考え方が重なります。シバ神の第三の目は、消滅変化の底に流れている真理を見ることの大切さを語りかけているようにも思われます。