禁煙

 私は念仏によってタバコを止めたという経験があります。それは学生の頃、ある本を読んでいた時に起こりました。
 「隠れ念仏」という史実をご存じでしょうか。鹿児島を中心とする旧薩摩藩では、慶長二年(1598)以来、明治九年(1876)に至るまで、浄土真宗の念仏を禁止するという宗教統制が行われたのです。禁を犯す者は、斬首、はりつけ・火あぶり等の極刑に処せられ、あるいは逆さずりや、石責めなどの過酷な拷問にかけられたと伝えられています。
 天保年間の弾圧だけでも藩内十四万人が検挙され、難を逃れ藩外に逃れた者は一夜でけでも2804人に及ぶと史禄にあります。
 そうした暗黒の弾圧を繰り返される中、真宗門徒は、洞窟に潜み、あるいは様々なからくりを用い、地下組織の講をつくり念仏を相続しました。
 現在でも鹿児島地方には「隠れ念仏洞」の跡が点在し、お年寄りの口からは、実際の体験者から聞いた逸話を聞くことが出来ます。
 さて、ある本とはその隠れ念仏の史実をまとめた書物でした。その本には、拷問による死の間際、許され念仏を称えて死んで逝った人。海に舟を出し、荒波の中で念仏した逸話。また禁制の中、決死の覚悟で布教伝道した僧の史実などが綴られていました。念仏を申すことが許されない状況の中で念仏を称え続けた人たちの記録です。
その史実に接していたら、自由に念仏を称えることの出来る有り難さがこみ上げてきました。浄土真宗の念仏は、念仏として私に届けられている阿弥陀如来の慈しみに触れる営みです。その念仏を称えることを禁じられたのです。念仏を申せずに必死に耐え忍んだ人たちの苦渋は想像を絶します。
 その途端ふと、タバコの煙を出すことを我慢する事のたわいのなさ思われました。それから1,2ヶ月は、タバコのことが思いにかかると、念仏を申すことの喜びを噛みしめて過ごしました。そしたらいつの間には禁煙という思いのないまま、タバコから解放されていたのです。




ダイアリー

 人はみな心にダイアリーを持っています。そのダイアリーを仏教ではアラヤ識(仏教で語るもっとも深い潜在意識のこと)と言います。スイスの精神分析学者であるユングは「集合無意識」として個人の体験は蓄積されるとも語っています。人の行為は日記帳に記さなくても、心の底に記憶されていきます。
近年では、その心のダイアリーの親玉が遺伝物質DNAであると言われています。
 私はこのDNAについて、興味を持つことが二つあります。
 一つは、人間も生物もバクテリアも同じ遺伝物質により成立していることです。仏教は「一切衆生悉有仏性」(すべての生き物が仏となる可能性を持っている)と説いてきました。人間のみならずすべての生き物は、遺伝子レベルでは同質量のいのちの値打ちであるということです。
 それとDNAの発見までは、生命現象を、物質と異なるある種の優位性を持つものと考えられてきました。ところが、遺伝物質の領域では、生命現象は物質現象の一つの表現にしかすぎないと聞きます。これも仏教で「一切草木国土悉皆成仏」と説いてきたことに符合します。人に限らず草や木も土さえ仏と同じ輝きを持っているということです。
そこで二つの提言です。まず、西洋文化の常識では、人間は生物や物質に比べて特別な存在であるとしてきました。それが人類のおごりを生み出しました。これに近代以後の日本人も同調してきたのです。遺伝物質が明らかにしてくれてように、人はもっと他の生物や無生物に対して謙虚になるべきです。
 それと命の尊さです。遺伝物質という客観的な事実の上では、犬も石ころも同じ命の値打ちです。ではどこで私の命の尊さを押さえるのか。私たちは命の尊さを「〜だから」「〜だから」と、客観的のものへ求めすぎてきました。もっと「尊いと思える」ことを大切にすべきです。尊いと思えるか、思えないか。同じ命でも、ここに雲泥の差があります。人間教育とは、その人の思いを育てることです。 






 人生の終着駅。それがあの暗い墓の穴では、あまりにも寂しい人生です。
 といって花咲き鳥歌い光りこぼれる仏国土といわれても、すぐそれを信ずるわけにもいきません。私たちは経験を信じて生きています。経験があることには自信があり、経験のないことには自信がない。また同じ経験を共にした仲間は、同じ釜の飯を食った間柄としてと信頼関係が生まれます。安心して社会生活が出来るのも、経験的に社会のシステムを信頼しているからです。この経験によって実証できないことは信じられないのです。そして経験の及ばない死後の世界となると、まったくのお手上げです。
 経験の及ばない「死」からは何も連想できない。現代人は、非常に貧しい死の文化を作り上げしまったようです。
 以前ある施設の居室訪問で、訪問の折々にKさんをお訪ねしていたことがあります。いつも行くと毎回同じように、少女の頃他界した父親の悪口を言います。九十二歳のKさんです。だれが見てもこれから長い人生だとは言えません。私は「Kさんも、もうすぐ仏様の国に行くから、そこにきっとお父さんがいる。そのときお父さんを捕まえて、思う存分なじったらいいよ」といいました。するとKさんは、寂しそうな顔をしました。私はそのとき、「そうか。Kさんはそのことが思えないんだ」と理解しました。見て触ってという経験でうなずいていけることにしか、心を通わせることができない。そのとき私は、死後について自分はすごく自由な世界にいることを感じました。 たとえばお経を読んでいた時、ふと「この命終わって仏様になったら、過去に生まれて直接このお経を釈尊の口から聞いてみよう」と思い楽しむこともあります。
 そんなことが出来るのか出来ないか。それを経験のレベルで実証する必要はありません。すべては仏様に任せて、私の縁に従って自由に連想します。死後は、限りのないいのちに摂取されるときとして、今を潤してくれます。
 人生の終着駅。それを私の命という固執から解放される時として連想できる。ここに一つの恵みがあります。





十八番

 仏教の法話を「説教」と言います。数年前より、私の説教の十八番は仏様のお姿の話です。仏様は、32相といって、32通りのお姿の特徴をもって、仏の豊かさや慈しみを表現しています。
 なかには大洞吹きでもここまでは言わないといった表現があります。たとえば、仏様のまつげは、上下に五百の毛をもち、その一一のまつげが、頭部を一周する程の長さであるといった具合です。
 髪の毛の長さも同様です。「往生要集」というお経には、阿弥陀仏の髪の長さは「修長にして量りがたし」とあります。そして次にお釈迦様の髪の長さを例えに出されます。「釈尊の髪のごときは、長さニクルダ精舎より父王の宮にいたり、城をめぐること七そうせり」とあります。
 以前、理容店を営むお宅に法事のご縁があったとき、この話をしてみました。 そしてこの髪の長さを通して、インドの方々は、仏弟子たちは何を表現しようとしたと思いますがと尋ねてみました。
 すると理容師であるご主人が「いのちの長さではないですか」と即答されました。頭髪をいつも扱うマスターです。日頃から髪の長さは、時間の長さとして身近に感じておられたのでしょう。いのちの長さは爪でも表現できます。しかし長い爪では品がありません。それよりも髪の長さで示すことが適当です。
 奈良東大寺には、善導大師作と伝えられ国宝指定の「五劫思惟の弥陀」があります。頭髪が伸び放題に延びている仏像です。五劫とは途方もない時間の長さですから、頭髪の長さは時間の長さに親しいようです。
 「修長にして量りがたし」。長い髪を通して仏の無量のいのちの長さを伝えている。仏様のお姿の味わいを深めた出来事でした。
 お経の中には、非常識な表現が多くあります。私は表現が非常識であればあるほど、大切に頂くようにしています。お経は、常識に縛られている私を自由な世界に解放することを役割として担っているからです。
 常識が間に合わない。そこに苦しみや悲しみがあります。





文房具

 若者は遊びを見つけるのが上手です。カラーペン類をはじめとする文房具。丸文字、いつも(いつもいつも)などの表現を見ていると感心します。
 昨年5月、Xジャパンのメンバーであったhideの葬儀が築地本願寺でありました。それ以来、築地本願寺の本堂にはhide追悼ノートが置かれています。この一年で大学ノート37冊を数えます。このノートもまた、カラフルなカラーペンでそれぞれの思いが書き込まれています。
 最初の頃のノートを分析しました。分析といっても、どんな言葉が多かったかを拾い集めただけですが。
 なんといっても一番多かった言葉は、「ありがう」でした。これは正直な故人への思いなのでしょう。それと次の多かったのが「永遠に私の心に生き続けます」という言葉です。
 若者の心は、死んだら終わりというドライな感情ではありません。人の生と死を超えて、生き続ける願いや愛、想いといった情念を大切しています。死んだら終わりというドライな感情は、むしろ大人たちの抱く心のようです。
 さて最近のノートの言葉です。多くある言葉で意外であったのは「お元気ですか」という言葉です。
hideはすでに死んでいます。その意味からすると元気であるはずはありません。しかし本堂という仏様を安置した空間。生と死を包む宗教的な空間に身を置くと、「お元気ですか」と語りかけることができるようです。築地本願寺の本堂は、心の中に生き続けているhideとの出会いの場なのでしょう。
 そして彼らは「お元気ですか」の次に自分の近況を書き込みます。故人との出会いの場は、そのまま故人から見られている自分との出会いの場でもあります。 色とりどりのカラー文字。その裏に自分との出会いを求める時代を超えた若者の姿が見えてきます。
 巡礼は自分との出会いの旅です。カラー文字。献花。形式は昔と違いますが、その若者の姿の上に現代の巡礼を思います。




私と妻

 妻とは、私が学生時代に知り合いました。出会いは偶然でしたが、長く連れ添っていると出会うべくして出会ったのかとも思います。
 偶然と必然。この二つは対立する事柄ですが、人と人との出会いの上では、偶然の出会いの中に出会うべきして出会ったという必然性を思うことがあるようです。
 私どもの宗派の先輩である東井義雄(故人)さんに次のような歌があります。
 妻 ひょっとして これは 
 わたしのために 生まれてきた
 女ではなかったか
 私の好きな詩です。子育て真っ最中の夫婦では、なかなかこんな心境にはなれません。しかし、私の深層意識の中には、こんな思いもあるのでしょう。その思いが言葉や感情になる時のことを楽しみにしています。
 偶然の上に必然を思える。しかしこの必然も固定化してしまうと、単なる運命論に陥ってしまいます。運命論では出会いの感動がありません。必然ではなく偶然の積み重ねの出会いだから「有り難し」という感情も沸いてくるのでしょう。その偶然も天文学的数字の積み重ねであることを思うと、喜びも深まります。
 偶然の出来ごとに必然性を思える。また、必然ではなく、偶然性を感じて「有り難し」と思える。どちらも大切な思いです。
 さて本題である「妻と私」に話しを戻しましょう。
 残念ながら私は、先の詩のように「私のために生まれてきた」とは思えません。しかしあらために振り返ると、映画「釣りバカ日誌」(西田敏之主演)で、主人公である浜ちゃんこと浜崎伝助がプロポーズに言った言葉にピントが合います。 浜ちゃんは、釣りバカで万年ヒラの×(ペケ)サラリーマンです。その浜ちゃんいわく「君を幸せにする自信はないが、ぼくが幸せになる自信はあります」。うまいことを言います。
 確かに、妻を幸せにしたという思いも事実もありませんが、私が幸せになったという思いはあります。
 




おやじ

 おやじ。この言葉には懐かしみがあります。数年前、お世話になった方をお浄土に送りました。「この方に会えてよかった」と思えた人でした。
 東京の病院で亡くなり、築地本願寺で密葬を行うことになりました。葬儀の段取りとなり、ご遺族のお許しを得て、私が葬儀全般のコーデイネイトをする運びとなりました。その方は、仏教界のいわゆる大物でしたので、政財界をはじめ、仏教界や一般の人まで、多くの会葬者が予想されました。金銭的にもご遺族の負担をかけないようにとの思いもありました。
 当時、私は浄土真宗本願寺派の勤式指導員と言って、関東地区の僧侶や門信徒に浄土真宗のお経は作法の指導をする役職に就いていました。そこで通夜、葬儀と当宗派の作法に則り、これが浄土真宗本願寺派の葬儀だという儀式を行おうと密かに考えていました。
 葬儀の施工は東京の大手の葬儀社です。通夜の日の夕方のことです。葬儀社の専務や社員にみな集まってもらい、訓辞らしきものをしました。
「今日は、○○師の通夜、明日は葬儀です。政財からは元総理をはじめ多くの方々が弔問に来られる。京都からも宗派の総長・総務など沢山の人が来られるだろう。その中で私は、これが浄土真宗の通夜・葬儀だという儀式を勤めようと思う。貴社において、これから先、浄土真宗のお寺での葬儀が度々あるに違いない。その時○○師の時は、こうでしたといえる葬儀式にしたい。“○○師のときはこうでした”という言葉が言える。それが葬儀社の本当の財産ではないですか。それが葬儀社ののれんというのもではないですか。この度の葬儀、色々と便宜を図ってまけてもらったが、そのことを考えれば、勉強の機会と思い、ご奉仕でやさせて下さいという声があってもいいのではないですか」と涙腺をゆるませながら訴えました。
 ご奉仕とはなりませんでしたが、こちらの思いと心意気だけは伝わったようでした。
 恩返しと言うよりも、葬儀におよんでも、お育てを頂いたという思いです。





死に様

 私の宗旨では(浄土真宗)では、死にざまを問題としません。逆に言うと、人はどんな死に方をするかわからないということです。
 どんな死にざまであっても、死ぬときは死ねるように死なせて頂くしかありません。どう転んでも阿弥陀如来の慈しみの手の中のことなのですから。
 死に様ではなく死に際について、一つ興味のあることがあります。
 それは心臓が止まって意識が完全に消滅するまでの間のことです。
 五木寛之氏の著書に次のような話が紹介されています。
 あるおばあちゃんが亡くなったとき、医師が呼吸を調べ瞳孔を調べて「ご臨終です」と家族に告げた。家族は死に水を取ることを思い出し、あわてて脱脂綿はどこだと右往左往する。すると「ご臨終です」と言われたはずのおばあちゃんが、目をつむったままふっと「タンスの上から3番目の左側」と言われたという話です。これはあり得る話しです。
 人間の脳は、心臓が止まっても約5分間は正常に活動し、心臓マッサージ等によって復活が可能です。これは心臓が止まってからの数分間は周りの声が聞こえ、脳細胞の活動は生きているということです。
 興味があるとは、その数分間、あるいは数秒間、何を思いこの人生を終わってゆくかということです。もちろん、もしそうした状況が許されるならのことです。
 わたしは、消えゆく命の中で、こんなことを思って過ごしたいという希望があります。これは一つの楽しみでもあります。
 私は死は敗北だと考えません。死は自然のことです。そして私の死が、どんな終わり方であっても、それなりに意味のあることだと思っています。家族や縁ある人に、命には限りがあるという仏様の教えを我が身の実践で示すのですから。死はそれだけで残された人への大きな贈り物なのです。
 死にざまは、死んで逝くのではなく、死んで往けることが大切なのでしょう。





逆境

 子どもの頃の一場面をよく思い出します。雨の降る中、路地の水たまりで泥をこねたり、勢いよく流れる雨水をせき止め、堤防を作ったりしている自分です。 今から思うと、あの雨に日の水あぞびは、水の流れの変化を楽しんだり、泥や石で堤防を作る創造の楽しさと戯れていたのでしょう。その時の楽しい気持ちが、私の原風景の一つとなっているようです。その時と今では子どもと大人ですから、環境や行為の内容は違っています。だがあの創造の楽しさ可能性と戯れるという本質的な部分は大差がないようです。
 逆境の中にあって、子どもの頃、雨降りの中で水の流れと戯れたように、出会いや変化、自分の可能性や成長を楽しめたらどんなに意義あることだろうと思います。
 過日、詩人であるかとうみちこさんとのご縁を頂きました。彼女は、高校2年のとき無腐性壊死という難病に冒され、何度か死の影に触れる体験を持つ人です。
 病の中、どうにもならない状況の中で師と出会います。その師から◎(二重丸)の真上から見た富士山の絵を示されたといいます。「驚きました」とその時の思い出を語ってくれました。富士山も見方によって想像もしなかった形がある。その時、百パーセント病身であると思っている私以外に、両親から見た私、天から見た私、みんなから見た私など、百パーセント病身でない私があることに気づいたとのことです。
 自分で自分を見るという状況があります。少し成長すると、他人から見られている自分を意識します。他人が見ていなくても自分の行為に恥じらいを感じる。これは天から見られている自分を意識できる人かも知れません。仏様のまなざしの中にある自分を意識できる。これは、仏様から見られている自分に意識が開かれている人です。
 逆境にあって、その時の自分をどのレベルで意識できるか。ここに人としての可能性があります。また逆境は新たなる意識との出会いの場でもあります。
 




今読んでる本

 近年、わが国の自殺者は目に余ります。
暴走族やちゃらんぽらんな生活をしている人が自殺したという話はあまり聞きません。どうもまじめな人が危ないようです。物事にまじめに取り組む。それは一つの美徳とされてきましたが、その「まじめさ」を、いま一度問い直す必要があります。
 「ケアの本質」(生きることの意味)ミルトン・メイヤロフ著。この本は一九七一年出版の世界展望双書の1冊です。いま読んでいる本は、一九八七年、田村真・向野宣之訳として「ゆみる社」から刊行されています。
 この本は、医療の一分野としてのケアにとどまらず、人間関係のあり方、生きることの意味について説かれています。 この本の中に次のような言葉があります。《ケアにおいては、成果より課程が第一義的に重要である。というのは、私が他者に関わることができるのは、現在においてのみだからである》とあります。
このケアを、仕事や勉強、人間関係と置き換えても同じことがいえます。
 病気が治った。儲かった。成功したなど、現代は、過程よりも成果をより大切にします。その結果の多くは数量で示されます。成果を数量で表したとたん、かけがえのなさや唯一という尊厳が失われ、相対的な価値に埋没してしまいます。
 結果をなおざりにするのではありません。結果以上に課程に、生きていることのかけがえのなさや生の実感があるのです。
 過日、がんの疾患でパートナーを失った知人から聞きました。終末期、夫である患者が悶々としていると、精神科の医師がきて「精神科の薬を処方しましょう」と言われ唖然としたとのことでした。
 その医師にとっては、患者のマイナス的な症状が快方するという結果だけに興味であったのでしょう。患者は、その苦しみ悲しみを共有する場に一緒にいてほしかったのです。
 苦しみや悲しみ、楽しい嬉しい、そのすべてがかけがえのない私の人生なのです。その時その時を大切にできる。そんなまじめさに魅力を感じます。





うっかり

 私は大学最終年に、うっかり卒業単位の履修科目の足し算を間違えて、一年長く学校に通ったことがあります。うっかりを防ぐのには、小さな事でも一つ一つ確認し、生活の中に「間」を持つことが大切です。
 音楽でも、演劇でも「間」の取り方によって、全く別仕立てになってしまいます。「間」は何もないことですが、何もない時間や空間を持つことによって、全体が生きてきます。
 「間」の大切さは日常生活にも言えますが、心や人生についても同様です。
 あるがん患者さんが「人生はやり直しはできないが、見直しはできる」と言われたことがあります。病気が、人生を振り返る大きな分岐点となったとの述懐でした。
 宗教には色々なメリットがあります。その1つが、自分を絶対視せず、客観的に見つめる場が与えられることです。もとより自分の欲望を達成するために神仏を利用する宗教は別ですが。
 私はこれを自分の心の中に「間」を持つことだと思っています。「間」で思い出す話があります。
 学生の頃、よく清水寺に大西良慶師の講話を聞きにいきました。朝の講話を聞き、境内でそばを食べてくる。それが日曜日の楽しみでした。百歳を越えた師が独特の良慶節で「人間は間が大切なの。間のない人を間抜けというの」とのことでした。
 私は最近「間が大切だ」といったあの「間」は、人と人との間(あいだ)ではなく、一人称でいうところの「間」、すなわち、心の中に「間」を持つことだと思っています。
心の中に「間」を持つ。それはおれが、私がの「我」に汚染されていない尊いものを持つことです。
 日常生活では礼拝の対象を持つことです。礼拝の場は神仏中心の空間であり、自ずと自分を客観視する場に置くことになります。
 生活・心・人生。「間」の取り方によって、全く別仕立ての私になります。うっかり五〇年。ありそうな話しです。

産経新聞夕刊コラム99年分