隠居

 ご隠居。いい言葉の響きです。私の心の中に、隠居に対する良いイメージがあるのだと思います。隠居について考えるこことは、老いの意味を考えることでもあります。
 ご隠居がご隠居として尊敬される。そうした精神風土がなくなったからでしょうか。近年、死の際まで現役にこだわる人が多くなったような気がします。生涯現役をほめる風潮もあります。
 「若く・明るく・元気で」がもてはやされる昨今です。それが最近、隠居がクローズアップされています。価値観が変りつつある現れと考えます。
 社会は「強く・明るく・元気」であるに越したことはありません。しかしそれが心のあり方までとなると、これはもう現代病です。
 強さは弱さの欠如でしかありません。弱い存在によって、優しさや慈しみは生み出されていきます。また夜が大切なように沈黙や暗さが象徴する営みは、明るさ以上に知的なものです。病気も質的な心の成長には重要な役割を担っています。
 「強く・明るく・元気」から、質の違う価値観の模索。それが隠居に象徴されているのだと思います。
 隠居は単なる人生のリタイヤではありません。それはある種の成長期です。「看護論」の著者、マーッガレット・ニューマンの言葉を借りれば「意識の拡張」という成長です。
 仏教は、老病死を見つめてきました。
それは単に、人間を否定的に見てきたのではありません。老病死をありのままに受容できる心の可能性を大切にしてきたのです。
 隠居という言葉に、人間の成長に即した新しい意味づけをしたいものです。
 そこで提唱です。仏教(宗教)に帰依した儀式を受けると、戒名や法名、洗礼名を頂きます。定年や還暦の折り、自分の所属している宗教・宗派で帰敬式、洗礼、受戒を受ける。そして今までと異なる成長を視野に入れた生活を送る。
隠居を生活様式の変化ではなく、一つの成長期をして復活させたいものです。





宿

 人は、めったにない恵みに出会ったとき幸せを感じます。逆に、自分がめったにないほどの逆境にある時、ごく当たり前のことに感動します。めったにないことを追い求めるか、当たり前のことに感動できる自分を求めるか。日本は、めったにない新しいことばかりを追い求め過ぎて来たようです。その結果、家族が暮らす家が、たんなる宿となってしまったような気がします。
 以前、知人のkさんから、こんな話を聞きました。それはパートナーであるご婦人が、亡くなる前、病院入院中のことです。
 二人のご子息は共に就職していました。弟さんが、毎日会社の帰りに病院へ見舞いに来ます。息子の身体の疲れを心配したお母さんが「早く家に帰りなさい」とすすめたそうです。すると弟さんは、「お父さんとお母さんがいるところが僕の家だから」と言われたといいます。
 またお兄さんの話もしてくれました。ある日、兄である息子がお母さんに、「ぼくはお母さんの子供に生まれて良かった」と言ってくれたそうです。
 私は、その話を聞き、家族の深い絆が思われたことです。
 家族の愛情があるところ、それがどんなところであっても、わが家と呼べます。愛情がないとき、それは単なる宿になってしまします。
 一〇年前、こんな経験をしたことがあります。私が、食べのが悪かったのか、ひどい蕁麻疹に罹りました。身体中がかゆくてかゆくてたまりません。一睡もすることなく迎えた明け方です。隣に寝ている幼児を見ていて、ふと「この蕁麻疹がこの子でなく、自分で良かった」という思いがよぎったのです。するとそのとたん「私で良かった。私で良かった」と、安らぎがと安眠が訪れたのです。
 愛される者が潤される。逆に、愛する者が、その愛情によって潤されていく。これが愛のもつ不思議さです。我が家とは、そうした愛情が詰まっている処です。本当のものは、追い求めるものではなく、静かに合掌する中に見えてくるものなのでしょう。





テレビ

 ホームドラマの中で、よくお葬式のシーンがあります。私は僧侶なので、お坊さんが本職か役者か、また何宗か、お経はなど、興味深く見ます。
 数年前、息子が小学校の頃のことです。私がお風呂から上がろうとすると「お父さん、いまテレビのドラマで帰命無量寿如来と正信偈をやっていたよ」と知らせに来てくれました。正信偈とは、浄土真宗では毎朝お勤めするお経のことです。お葬式の場面で僧侶が登場し、正信偈を読経していたことは私の耳にも入っていたので、それを伝えてくれた子供の心を嬉しく思いました。しかし同時に、テレビドラマにお葬式の場面にしか登場しない僧侶、そうした社会の僧侶に対する思いが指摘されたようで自責の念を持ちました。
 「葬式仏教」といわれ久しい時が経ちます。この言葉は、葬式という儀式にだけ始終している、僧侶への批判から生まれた言葉でしょう。
 だからといって、私は、仏教者がもっと死より生に関わるべきだとは思いません。逆に、もっと死に関わるべきだと思っています。
死の宣告を受けた人への関わり。死別の悲しみへの対応。自殺や死に関する相談や学習。お葬式も、別れの儀式の場として、老病死を見つめる場として、仏様との出会いの場として、まだまだ工夫の余地があります。
 五月、築地本願寺でヒデという青年の葬儀がありました。何万という若者たちが築地へと押し寄せました。葬儀の翌日も、ヒデを慕う若者が築地へ来ていました。その悲嘆の情景に接した、ひとりの僧侶が、築地本願寺の本堂に「ヒデ追悼ノート」を置いてくれました。それから追悼ノートには毎日、ヒデとの関わりや「ヒデありがとう」と言った思いが綴られています。
 ノートを置く。小さな事ですが死を取り巻く悲しみや苦しみに寄り添っていたい。そんな思いがノートを置かせたのでしょう。そうした仲間と「死別の悲しみ電話相談」(03-5565-3418)を開設しています。苦しいこと悲しいことお電話下さい。





未練

 私は東京近郊に住んでいます。近辺には、田畑や山林があります。そうした環境の中で最近よく目にするのは、犬猫などの動物の墓園です。おおかたの一般家庭には小動物を埋める庭はありません。かといって生ゴミとして引き取ってもらうのもしのびない。そこでこうした施設の登場となります。
近隣のお寺が、動物の納骨堂とお墓を開園しました。そして納骨や埋葬している動物を対象にした追悼法要を計画したそうです。実際に、関係者に案内状を出したところ、八割の方が出席されたと聞きます。初めてそれを聞いたとき“ へえー”といった思いがけない参加者数でした。しかし分かるような気もします。
 おそらく集まった方は、追善というよりも、死んで逝った動物と関わることのできる場として参加されたのでしょう。家族同様に過ごしてきた動物たちです。死んだからといって、その情愛は断ち切れません。単に思い出の中だけではなく、具体的な日常生活の中で、死んで逝ったものたちと関われる。そうした思いだったのではないでしょうか。
 法事。それは故人との関わりを持つ場です。また法事は単に追悼の場だけに始終するのではなく、未練や悼み、悲しみを仏縁として昇華させていく場でもあります。
 九州地方に、「法供養」(ほうくよう)という営みがあります。年回法要の折り、施主が主催者となって法座(仏教講演会)を開催する。縁のある方に仏教を聞いて頂くことをもって法事とする営みです。
 私も、何度か「法供養」のご縁を頂いたことがあります。思い出に残る法供養があります。それは若者が集まる居酒屋で開かれました。二十歳前に交通事故でご子息を失ったご両親。そのご両親の息子の死を無駄にしたくないという思いによって開かれました。午後七時、友人であった同級生が二〇名くらい集まり飲食の前、二〇分程ご法話をさせて頂くという形式でした。
 人は失ったとき初めて本当のことが見えてきます。別れは、新しいものとの出会いの時でもあるのです。 





夕焼け

 夕焼け。その情景から、家族団らん・故郷といった安らぎの世界を連想します。それは夕焼けの彼方、西方に安らぎの世界を思う浄土教に親しんでいるからでしょうか。そのイメージの中では、いつも自分は子供です。子供が親のふところに帰る。そんなイメージです。
 大方の親子の上に、そうした親が子を無条件に慈しむという親子関係があったことでしょう。
 しかし最近は、親が子に対して点数を付け始まるのが早いようです。他人の子供と比べてわが子を考える。相対的評価は、かけがえのないいのちを見つめる眼差しではありません。
 かけがえのないわが子でさえ、相対的な評価だけで見てしまうのですから、他人に対してはなおさらです。老人、病人、障害者、挫折した人など、評価ではなく、その人をありのままに受け入れる価値観が希薄です。
 過日、日本の名僧として知られる叡尊(1221〜90)についての学びを得ました。叡尊は、1281年、蒙古の大軍が兵船三千五百艘に乗って北九州に来襲したとき、神風を起こし日本を救った人としても知られています。
 その叡尊は、当時、天災、飢饉、圧政のために浮浪の生活を余儀なくされた人々や、疫病のために地域共同社会を閉め出された人のための救済活動に従事した人でもあります。
 その救済活動は、救済活動の対象者を「他者に代わって時代の苦悩を背負っている文殊菩薩の化身」であるという人間理解から展開されたと聞きます。救済する者もされる者も互いを尊重し合う。共に一つの豊かな理想に向かって歩むという営みです。
 日本やこの地球は、私たちの現住所でもあり、また故郷でもあります。故郷であるならば、私を丸ごと受け入れてくれる慈しみに満ちた社会であって欲しいと思います。
 社会がそうした成熟を達成するまでは、せめてはお寺や教会がその役割をになう。競争社会にあって、安らぎを提供する場でありたいと思います。





宇宙人

 私は戦後の生まれです。子供の頃から青年期にかけて、宇宙人についてのドキメント仕立てのテレビ放送が何度も放映されました。
 その放送を見ながら、宇宙人が私たちの手の届くところに居そうな気がしたものです。
 宇宙人とのコンタクトの方法は、二つあったように思います。一つは、科学知識で積み上げた機械やシグナルを使う。もう一つは、まごころをもって念じるという方法です。物と心、物質と精神を駆使していました。しかし圧倒的に、科学知識に頼り、まごころは付け足しであったようです。それが時代の風潮であったのでしょう。
 物質と精神。人類の歴史は、常にその二つの間を揺れ動いています。ある時は目に見える物一辺倒となり、ある時は目に見えない精神を重視する。その繰り返しが歴史の織りなし、その二つがバランスよく保たれた時代が、人を豊かにしたように思います。現代は、物質文明花盛りで、目に見える物が頼りであり、物が多いことが幸せという時代です。
 「計量的思考を唯一の思想のように幻惑する技術革命の襲来は、第三次世界大戦の勃発以上に大きな危険である」。ドイツのハイデッガーの言葉です。
 計量的思考とは、なにごとも点数をつけ比較対照して優劣をつける考え方です。
 現代日本は、人や心でさえも物として扱い、点数を付ける傾向があります。
 がん患者のHさんから「安心して病気がしたい」と何度か聞いたことがあります。「かわいそうに」「お気の毒に」といった自分を取り巻く環境が自分を憂鬱にしたといいます。
 病気を患っても自分は自分だし、今という時は、二度繰り返すことはない。そんな自分が他人と比較され、劣った人であるかのように見られることがたまらなかったのでしょう。
 物や人に点数を付けない。すべての存在は、宇宙で唯一のものであり、永遠に繰り返すことはない。そうし視点をもって、日常生活を送りたいものです。





保険

 初対面の方との会話で大腿骨骨折入院が話題となりました。二度の手術、半年間の入院。六〇過ぎの彼女にとって、その傷は、一生自分をユウツにさせることでしょう。しかしことが保険金の話になると、「二口入っていました」とニンマリとしておられました。ケガの功名はお金に限るといった昨今です。
 人は欲望に励まされて生きているのですからお金に対する執着は当然です。しかしこの欲望には節度が必要です。欲望に節度の調和をもたらしてくれるのが文化でありその究極が宗教です。おおかたの宗教は「感謝」と「懺悔」を大切にします。私たちの国では「ありがとう」と「はずかしい」という言葉で相続してきました。ところが現代はこの「はずかしい」という思いや感情が希薄です。
 ある時友人が20年前、大学に入って一番最初に聞いた法学の講義の話でをしてくれたことがあります。
『この大学は、親鸞聖人のみ教えが中心になって出来上がっている大学です。今日、私の講義を受講されている方の中には、仏教学、真宗学を専攻しておられる方々がおられると聞きます。今この日本で、いくら法律を整備したとしても、解決できないことがあります。それはこの日本で、生命保険をいうものを無くしたとしたら、何百という殺人事件が無くなるだろう。これはいくら法律を整備したとしても、たぶん無くなることはない。仏教学、真宗学を専攻しておられる方は、この大学4年間の中で、2500年前のお釈迦様の説法や800年前の親鸞聖人のご書物を通して、人間が人間として生きていくという悲しい現実を抜きにして学んで行くということをしないで欲しい』。それは龍谷大学の高島学司教授(現名誉教授)の講義の冒頭の言葉であったと聞きます。
 「人間が人間として生きていくという悲しい現実」。それはお恥ずかしいと懺悔しなければならないものを抱えて生きるしかない人間の性(サガ)を言っているのでしょう。何がはずかしいことなのか。現代は、理想的な人間像喪失の時代でもあります。




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産経新聞夕刊コラム98年分