主観と客観、現在日本の文化は、客観を大切にする文化です。「それは客観的でない」というと、間違っているというイメージが伝わります。
 しかし、幸福観や、美しさへの感動、素晴らし、美味しい、有り難いなど、私たちは主観的な「思う」という心の世界を、もっと大切に大切にしてすべきです。
 以前、ご主人が癌で六年間闘病生活を送っているあるお母さんにお会したことがあります。その折、私は「六年間の闘病生活で何か学んだことはありますか」と尋ねました。するとその方は、テーブルの上にあった少し水の入ったコップを指して、「少しきざな言い方ですが、以前の私は、すべてがこのコップこれだけしか入っていないという見方でした。しかし今は、これだけ入っていると見られるようになりました」と言われます。
 おそらく、六年間の闘病、回復の見込めない状況、将来への不安など、自分を取りまくマイナスの状況の中で、以前だったらマイナスのことしか目に入らなかっただろうが、今は六年間の体験の中で、色々な友達に助けられたこと、またそんな友達を持っていること、ご主人と出会えたこと等々、苦しみの状況の中にあって、輝きを失うことのない恵まれていることにも、眼差しが届くようになったことを、コップの水で言われたのでありましょう。コップにこれだけは入っているといわれる眼差しは、人と比べるという客観的なものではなく、「思える」という主観的なできごとです。
 私は、主観が全てだとはいいませんが、この「思える」という主観的な世界をもっと意識的に大切にしていく必要があると思っています。

大地

 お経の中には「大地」という語が沢山あります。その多くは、平等を表すときに用いています。平等とは、善悪、美醜、軽重、大小によって動揺することのない大地のようなものであるといった具合です。
 しかし私たちの世の中では、なかなか平等とはいきません。どうしても、常識やその時の価値観によって人を評価して、レッテルを張ってしまします。
 昨年こんな事がありました。あるグループで旅行に出かけました。夕食の折のことです。私の隣の席におなじみのWさんが座られました。Wさんは、六〇才になる目のご不自由な方です。宴席の間、色々な話を聞かせて頂いたのですが、私はWさんに「目が見えたら何が見たいですか」と尋ねてみました。するとWさんは「人に親切をしてあげたい」と言われます。その意外な答の内容は、目が見えないと、色々な人から親切を受ける。その時、親切をされた嬉しさから、自分も目が見えたら、人に同じ様な親切をしてあげたいと思うのだそうです。そんな日頃の思いがあり、目が見えたら人に親切をしてあげたいという言葉となったようです。
 私は、その時、私には見えている紅葉や景色や物などの目に映るものを予想していたのですが、Wさんには、形が見えないかわりに、目の見える私以上に、人の心や優しさが見えいたのです。眼が見えない人には眼が見えないなりに見えている世界があるということです。
 その時気付かされたことですが、私の問い自体に、私見える人、彼見えない人といった、人を色づけして見ていたということです。
 人を評価することなく受け入れるには、まず自分は人を色づけして見ていることに気付くことから始まります。
 大地のような人、それは人を評価することなく見ていける人のことです。私はそうした人が育つ場がお寺だと思っています。


祭り

 祭りには二つの要素があります。一つは五穀豊穣などを願う祈りの要素です。もう一つは、秋の収穫祭に代表される願成就に対する感謝です。
 願いは、希望であり理想であり、私を新しい私へと導きます。感謝は、目的成就であり報酬であり、私に満足感を与えてくれます。願いと感謝。この二つは祭りの象徴されるが、私たちが幸福に生きる上での重要な条件でもあります。
 この将来への願いと、現在への感謝には、クオリテイーがあります。
 自分中心の願いに留まらず、より大きな願いを持つことが大切です。
 感謝も、ご都合主義的な感謝から、私の存在が、無限の恵みの中にあるといった宇宙的な広がりへと向かいます。
 私の帰依する浄土真宗という仏教は、「他力本願」の宗旨です。他力とは、阿弥陀如来のことであり、阿弥陀如来の願いに目覚めて生きる教えです。阿弥陀如来の願いに目覚めるとは、大いなるいのちの中にある私の発見でもあります
 そうした宗教的なレベルでなくとも、他なるものから願われて今の私があることは事実です。動物の鼻は、みな口の側にあるが、それは口に腐った物が入らないように見張り番をしているからでしょう。ここに、この命を守りたいのいう願いがあります。また北方モンゴリアン系の人は、鼻が低くて目が一重の顔立ちです。それは人類が、零下四・五〇度のシベリアの寒気の中で生活する中で、鼻が凍傷にかかるのを防ぐために低くなり、目は、眼球を守るために一重になったと聞きます。鼻が低く一重の瞼。そこに零下四・五〇度の中で、この命を次の世代に伝えたいという命の悲願のいうべきエネルギーを思います。
 感謝は大きな願いの中にある私の自覚でもあります。将来への願い、今への感謝。共に、願いとの出会いであり、この願いを象徴したのが仏さまなのです。


芸術

 何年か前のことです。上野の美術館へ子供と国宝展を見に行きました。道すがら幼稚園に通う息子に「今日は日本の宝物を見に行くぞ。君の宝物は何か」と聞きました。すると「ぼくの宝物は地球だ」と思わぬ答え。そして「お父さんの宝物はなに」と逆に問われたことがあります。今その問を考えてみましょう。
 お寺にも宝物があります。宝物と書き「ほうもつ」と読みます。宝物とは、礼拝の対象となる仏像などのことです。私が住持している寺の宝物は阿弥陀如来の立像です。この立像を本尊ともいいます。本尊とは、「本当に尊いこと」という意味です。人により何を尊いものとするかは異なります。尊いものが理性であったり知性であったり、健康、法律、お金、経験など、何を尊いものとして仰ぐかを明らかにして日常生活を送る。ここに信仰生活があります。
 仏像には、三十二相の表現があります。三十二通りの姿で尊いものを私たちに伝えているのです。
 例えば頭髪が右に渦を巻いています。インドでは右を清浄とし左を不浄とします。日本でも左遷などと歓迎しないことを左で伝えます。仏さまの頭髪の右巻きや、右肩を出すポーズなど、右という方向に寄せて正しく道理に即していることを伝えています。また仏さまの眼は「青蓮華の如し」と青い瞳であると示されます。青は清らかさの表現であり、物事を優劣をつけずありのまま見ていける智慧の眼であることを示しています。
 さて心は常に目に見えるして姿・形を通して表現されます。ところが現代は物と心を分け、物の面だけを見る傾向があります。そして物だけがひとり歩きをしているようです。
 では、尊い心、大切にしたい心、未来に伝いたい心とは何か。仏像はそうした豊かな心を姿・形で表現しているのです。お寺の宝物はといえば、その姿・形を通して表現しようとしている心が、大切な大切な宝物なのです。


読書

「人間が、まだ善き行いをする可能性を持っている限り、自ら欲して人生から去ってはならない」
 この言葉は、ベートーウ ンが聴覚を失い、自殺の一歩手前まで追いつめられたとき彼を思いとどまらせた言葉であると聞きます。
 彼は晩年、この言葉を、かつてどこかで読んでいなかったら、ぼくはもうとっくにこの世にいなかったであろうと述懐している。
 言葉は力を持っています。人を勇気づけたり、希望を与えたり、覚醒させたりします。
 私は、その人が、どのような言葉と出会い、どんな言葉を身につけ支えとしているかが、その人の本当の教養だと思っています。  私も学生時代こんなことがありました。禅宗の公案に取り組んだときのことです。三カ月考え続けたが答が出せない。ノイローゼ気味になっていたときです。ある書物に「知らざるを知らざるとせよ。それ知れるなり」とありました。その時その言葉との出会いは私の取って大きな光でした。解る解らない、答える答えないといった呪縛から解き放され、一週間程この世のすべてが輝いて見えたことです。人は経験というフイルターを通さずにものを見ると、新鮮な輝きをもって映る。そのことを体験した初めての経験でもありました。
 言葉との出会い。それは人間の最も大きな財産です。
 仏教徒は仏さまの言葉を大切にします。私は浄土真宗の教えに帰依する者ですから、その仏さまのお言葉の中でも「あなたを無条件に救い取る慈しみの仏さま、それが阿弥陀如来です」という阿弥陀如来の救いの教えに帰依しています。阿弥陀如来の無条件の救いに帰依する。それは、無条件でなければ救われないような闇を持っている。それが私の真実の姿であることを受け入れることでもあります。
 お経の言葉との出遇い。それは仏さまとの出遇いでもあります。




一枚の写真

 一枚の写真。そこには幼稚園児らしい子どもが舞台でお遊戯をしている姿があります。それがお前だと言われても、ピンときません。私には自分の幼児期の写真が何枚かあります。いずれも見ることもなく無造作にしまってあるので幼児期の顔を記憶していないのでしょう。
 しかしその写真は私にとっては大切な宝物です。なぜならば、その写真を見ていると、その子どもを見つめているであろう若き日の父や母の姿が思われるからです。
 その写真と共に手元には、小学生時代の通信簿があります。そこには乱暴であること。そして人に見せるのも恥ずかしい学習評価が記入されています。あまり悪い評価のなので、これは隠すようにしまってあります。
 その通知評を見ているとやはり先の写真と同様、その出来の悪い子どもの成長を願い、より善き方向に進んでくれたらと案じている父や母の姿が思われます。
 子どもの成長の背後には常に親の慈愛があります。
 私の好きな歌に暁烏敏氏の母を讃えた歌があります。
 十億の人に十億の母あら んも吾が母にまさる母あ りなんや
敏をして「吾が母にまさる母ありなんや」といわせた背後には、その幾倍もの母の慈愛があります。冷たく恐ろしい母であれば母を慕う想いは起きません。母を想う歌は、単なる作者の母親への思いに留まらず、子どもを慈しみ続けた母親の愛情を彷彿とさせる歌でもあります。
私たちは、人を比較対照して見る癖がついています。比べ合いではなく、その人を親の立場で見ていく。そうした人間観が失われつつある昨今です。
 子供の頃の私には、常に親の慈しみがありました。今、大人である私の背後にも、この私をかけがえのない存在であると見護て下さる佛さまの存在があります。その仏さまの慈眼の中にある私を思う。それは大きないのちの中にある私の発見でもあります。


年賀状


年末になると、毎年数通、年賀欠礼状が届きます。形式的なものが多い中にあって、その方の心情がつづられている欠礼状は心を打つものがあります。
 まずはその中から一通ご紹介して見ましょう。
『長い間、病床に臥しておりした父が、去る○月○歳をもって、静かにお浄土に往生しました。生前中は皆様から、色々とご指導賜りましたこと、家族一同深く感謝しております。私にとりましてはいつになく寂しい年越しになりそうです。「人間ソウソウト衆務ヲ営ミ、年命ノ日夜ヲ去ル事ヲ覚エズ…」善導大師のお諭しが厳しく、また有り難く聞こえる昨今です。世俗の習慣により、新年のご挨拶を欠礼させて頂きます』
 次のものは、一昨年先輩のご住職から頂いたものです。欠礼状ではなく、あえて年賀状として届いたものです。
『謹んで年頭のご挨拶を申し上げます。
昨年○月○日○○が○歳をもって安養の浄土に往生させて頂きました。世俗通途の義に従ってご挨拶ご遠慮申し上げるべきも存じましたが、如来の大悲を頂く者にとって、死は決して忌むべきことではなく、単なる通過点に過ぎないとお聞かせ頂いております。もしご無礼でしたら何卒ご容赦下さい。
「人の世に生をうくること難く、やがて死すべき者の、いま生命あること難し」(法句経)今年一年たどたどしいながら、お念仏申し上げつつ、倶会一処の歩みを続けて参りたいと存じます。よろしくご教導下さい』
 浄土真宗では、死は忌むべきものとしません。阿弥陀如来の慈しみに目覚た者。その人の死は、私という小さな我執から離れ、阿弥陀如来の慈しみに同化する時です。慈しみにすべての人が摂取される。それを倶会一処といいます。そうした人生観に立ち年賀状として出状したものです。
  人は悲しみに出会っている時の方が、より真実が見えます。年賀状を出すか、欠礼状にするか、どちらにしても、もっと私らしさを伝えたいものです。





ある方から聞いた話です。その方のパートナーの誕生日のことです。誕生日の主役は三人のお子さんのお母さんでもありました。
 夕食の折、東京にひとり住んでいる娘さんから電話があったそうです。
『お母さん誕生日おめでとう。プレゼント、何にしようか色々考えたけれど、お母さんみんな持っているから、今日献血に行きました』とのことです。
 こころをプレゼントする。すがすがしい話です。娘さんは、自分が人の為になること喜ぶ人間になる。それが母への最高のプレゼントであることを知っているのです。献血に行くことをプレゼントとした娘さんの感性が思われます。
 プレゼントの原点がここにあるようです。物は心を託す手段です。
 さてこれは仏さまへの志についても同じです。
 仏さまへの志を、お供えといいます。お供えについて知人のHさんのことが思い出されます。
 Hさんはがん体験者です。乳ガンを患い治療、その後転移し病気が落ち着いた頃、お母さんを失いました。
 そのHさんが、ある日、新聞広告で四国四十八ヶ所巡りを見つけます。その時、「よし、お母さんに、これをお供えさせて頂こう」と思ったそうです。そして四国四八ヶ所を巡り、旅の話をして下さいました。そうしたご縁が積み重なったのでしょう。過日、真言宗で得度をしましたとお手紙を頂きました。
 四十八ヶ所巡りをお供えさせて頂く。私はこれが仏さまへのお供えの原点のように思われます。
 今日は親の命日だからと、お寺に行ってご法話を聞く。それをお供えとさせて頂く。あるいは今日一日、腹を立てない。それをお供えとする。仏さまは、私が少しでも豊かな人間になることを喜びとする方です。だから金銭もよいが、そうした心をお供えする。まさに志です。
 仏さまへのお供え。それはそのままが仏さまから私へのご利益でもあります。

私を変えた一言

 国鉄からJRに変わる頃のことです。盛岡の鉄道管理局からの依頼で研修会に出向することになりました。上野駅発の電車の時間が指定され、オープンチケットが送られてきています。出発駅の窓口へ行き指定席をと思っているとすでに満車。では自由席をと思うと、そこも長蛇の列。ふと隣の指定席車両を見ると、そこにはわずか三人が列んでいるだけです。その時私の脳裏にずるい想いがよぎりました。「よし、指定席券を持っているふりをして、指定席車両の四番目に列んで、ドアが開いたら通路を伝わって自由席に行けば座れるぞ」。
 早速実行と列んでいるとドアが開く時刻。その時、私の耳に今まで聞いたことのないアナウンスが聞こえてきました。いわく「指定席の切符を持っていなくて指定席車両に列んで、通路を伝わって自由席の車両へ行くようなことは止めて下さい」とのこと。何と私のことを云っています。
 そのアナウンスを聞き私は非常に恥ずかしく思い、列を離れ盛岡まで立って行ったことです。
 指定席車両に列んでいた私は、自分の都合しか見えていません。ここには欲に閉ざされた私があります。 地獄。それは深い地の底にあると示されています。地の底という言葉から、光のない、幽閉された世界をイメージします。それは、希望のない、欲と怒りと愚かさでがんじ絡らめになっている私の姿を描写しているようにも思われます。
 それに反し、仏の世界は光でイメージされます。仏さまに出遇うとは光に出遇うことです。
さて、私を変えた一言。それは何と云っても、阿弥陀如来の無条件の救いです。私が浄土真宗の教えに頷いたのは二十代の頃です。無条件の救いを受け入れる。それは無条件でなくれば救われない私の闇の深さ、愚かさに頷いた時でもありました。
 私の本当の姿が明らかになる。そこに光の仏さまとの出遇いがあります。



思いでの歌

年々にわが悲しみは深くしていよいよ華やぐいのちなりけり

岡本かの子さんの歌です。
悲しみや苦しみがないことが幸せだと思っている人にはわかりにくい歌かも知れません。
 現代は健康第一主義、悲しみや苦しみを除く文化が旺盛です。医療、人間関係、自分の命さえも都合が悪ければ切り捨てます。そこに疑問符を持つことなく。
 数年前、あるがん患者の集いでのことです。会場で二年前にがんの治療した初老の方とお話をした。偶然の検査での発見、初期だったので今はすっかり元気ですとのことです。私は思わず「よかったですね」と声をかけました。そう言ってから、心の中に、初期で発見されたがんはよく、末期であれば悪い、この図式でがん患者を語ることへの疑問符が浮かんできました。
 がん患者の方には、初期で発見されて方もいます。末期の方もいれば、再発の人もいます。その発見の段階で「よかった」「悪かった」とレッテルを貼る。しかし私たちがもっと大切にしなければならない物差しがあるはずです。それはどう自分自身を受け入れ、どういのちへの感動を生きているかということです。
 会場には、いつもお会いする四カ月前に一年の生存率は一三パーセントと告げられてSさんが見えていました。Sさんは朝起きると「今日も生きている」という実感がこみ上げてくるといいます。家族への思いやり、残された命に合掌し、今ここが私のすべてと、一日一日を大切に生きている姿には「悪かった」という言葉には当てはまらない人間の尊厳が伝わってきます。
 先の歌を味わっていると、経験の「経」はタテイトという意味ですが、経験とは長さでなくて、深さだという思いに至ります。宗教的経験とは、生死を貫く深さを持ち、人間の苦しみや悲しみ浄化してくれるものだと思っています。

コンピユター

 私はコンピューターに代表され科学技術の発達が人類の英知だとは思いません。英知とは何か。それを取り違えると、科学技術の発達は、人類の驕りを助長するだけで、人類の不幸ともなりかねません。
 ある本でこんな話を読んだことがあります。
 アマゾン川の近くに人喰を続ける部族がいた。いまだに人喰いを続けているその部族の所へ、一人の宣教師が布教に赴いた。
 そこの酋長と話をすると、その酋長は完ぺきな英語で話をする。宣教師は驚いて云った。
「なんと、あなたが完ぺきな英語を話すとは。しかもオックスホード・アクセントまでついている。それでもまだ人喰いをやっているのかね?」
酋長は云った。
「その通り。私はオックスホード大学へ留学した。あそこでは色々なことを学んだよ。そう、我々はまだ人喰いだ。だが我々はちゃんとナイフとフ ークを使う。オックスホードで習ったんだ!」
 この話は作り話でしょうが、人間の本質的なことが語られています。
 大学が文化を象徴し、ナイフとホ ークが科学を、人喰いが戦争を語っているとも読み取れます。人は昔、石と棒で争っていました。それが槍と刀になり、大砲になり、やがて現代のような科学兵器となりました。しかし争うという本質的なことは何ら変わっていません。
 私たちは科学と生活様式が発展することが、そのまま幸福への道だと思い違いをしているのではないでしょうか。戦争、公害、原子力、人類は科学技術が作り出した危機の中に生活してします。科学技術が悪いとは思いません。その科学技術の発達によって育まれる、人間の知性への驕りや過信、私はそこに危険さを感じます。
 人間の知性は信頼できない。釈尊は、私とは迷いの存在だと説かれました。そのことを熟慮して科学技術と接する事が大切です。


遺言

 『すべては移りゆく。怠らず勤めよ』。釈尊最後の言葉です。私はこの遺言を「結果を生きがいとせず、今を生きる」と頂いています。
 私たちは常に、希望や目的を持って過ごしています。仕事も勉強も、結果や成果によって努力が報われたり、無駄に終わったりします。これは結果を生きがいにしているという事です。他者への親切さえも、お礼が目的でなくても、お礼の言葉がないと心が落ち着きません。これは、見返りを求める心、結果により満足する生き方が、無意識に身についているからです。しかし、老いや病い、死ぬということも見返りはありません。命の姿は見返りのないままに移り往きます。
 結果や見返りではなく、その時その時に満足していく。釈尊の遺言はそのことを伝えているようです。
 サルトルがノーベル賞の授賞を拒否した時、次のように語ったと聞いています。「自分は作品を作っている間に私は十分報いられていた。…それ自体が報酬だった」と。このサルトルの言葉を借りれば、生きるとは、それ自体が報酬なのでしょう。
 過日の事です。わが家には三人の子どもがいます。一番下の小学三年生の子どもに、自転車を買い与えました。今まではお下がりお下がりです。初めての自分の自転車。早速サイクリングに行きました。すると「自分の自転車。自分の自転車」と言いながら嬉しそうに初めての自転車喜び、サイクリングを楽しんでいました。私はこの子どもの様子を見ながら、「今この子は目的の中にいるな」と思った事です。
 これはある日の出来事ですが、人生万端、今が目的の中であり、今が報酬である事に開かれて生きる。すなわち感謝の生活ということです。
 「ありがとう」(今あること有難し)という言葉の中に込められている豊かな心を、理屈や言葉ではなく、日常生活の実践の中で、次の世代に伝えたいものです。 


9.6.23ペット なし


夏休み

 子供の頃、夏休みの四十日間は非常に長く感じらました。夏休み初日、九月の学校登校の日は、遥か彼方の時の隔たりがあったように思います。
 ところが今は、四十日間を差ほどの長いとは感じられません。それは何度も何度も四十日のいう時の長さを経験しているからです。もし四十日間世界一周などのように、全く未経験の四十日間を与えられたら、きっと最後の日を想像することもできない程の時の長さを感じることでしょう。
 私たちが見ている世界は、私という色づけされた世界を見ています。
 「眼の玉ちがい」という笑い話があります。ある人が急に眼が見えなくなる。隣村に、目玉をくり貫いて、洗濯し、眼病を治すという医者がいるので、早速と治療を受ける。患者の眼の玉をくり貫きだして、焼酎で洗い、吊るし柿を干すように、竿にかけて置く。ところが烏がこれに眼を付け、眼の玉を一つくわえて持っていってしまう。医者は肝をつぶし思案していると、そこへ野良犬がくる。これは幸いと、その野良犬の眼の玉をくり貫き、焼酎で洗い、同じように竿に吊るして置く。やがて病人のところへ、眼玉を持っていき、眼の穴に埋め込む。病人は「見えます。見えます」と喜ぶ。医者は「どうじゃ。何か見えた方に今までと違ったところはないか」と聞く。「そういうと少しおかしなことがあります。ただ今雪隠へ参りましたが、右の眼では汚く見え、左の眼ではとてもおいしそうに見えました」という話です。どのような眼を持っているかによって、見え方が違うという当たり前の話です。
 今、子供の頃の夏休みを迎えた時間に対する感覚の思い出があります。それは、まったく新しい日々を迎えることへの期待感でもありました。この感覚は大人になると経験という塵によって鈍感となっているようです。そして未知な出来事に対して、期待感よりも恐れや不安を感じたりします。子どもの純粋さは、経験というフ ルターを、通さないことから来る新鮮さなのでしょう。


9.9.30童話 なし


9.12.1結婚 なし

産経新聞夕刊コラム97年分