西方寺災害支援活動報告書                  12月4日

日時 平成231128日(月)〜121日(木)4日間

活動日 活動場所11/29,30 遠野VC  移動日11/28,12/1

メンバー 奥田ミヨ子、福川有美子、堀田富江、上橋泉、椎木俊郎5名)

    

(報告者 椎木俊郎)

(内容) 11/28() 移動日 東北自動車道が今所々工事中(12月中工事)仙台乗り継ぎ40分に間に合わない恐れがある為、往新幹線 復高速バスにしました。

上野駅から4名大宮1名合流、新花巻駅18時頃到着。とうわボランティアの家の

松尾さんに出迎えてもらい、近くの東和温泉で汗を流した後VC到着。九州の西楽寺の顔見知りの2名とまごころネット釜石3名計10名の宿泊となりました。

11/29() 活動日

5時半起床6時半出発1台に7名乗車で遠野VCに7時過ぎに着、気温2℃70名くらいの参加人数です。1ヶ月前参加時の半分、最近は平日70名土日100名前後との事

 気温と時の経過の関係が気になりました。

少々寒い中ラジオ体操後仕事の割り振りです。4班(陸前高田、釜石、大槌、まごころの里)に分かれそれぞれ配属、とうわG男性3名は大槌町赤浜の瓦礫撤去、小生も参加しました。総勢25名が2台に分乗して出発です。釜石港を過ぎ15 くらい経つと延々と大槌町の被災地が続く中を行くので息を飲みました。そして30分後に大槌町赤浜海岸に到着東大海洋研究所の4階建ての無人ビルを拠点に高台の方から作業開始です。大きな100トンくらいの漁船が打ち上げられたままになったその先50mくらいから浜に向かって2班に分かれて取り掛かりです。住居後の上物は全て撤去されていますが瓦礫を金属、燃えるもの、燃えないもの3種類に分類1日掛って25名で4軒しか出来ませんでした。日中は14~15℃まで上がり汗対策もたいへんな1日でした。

作業現場が違う為全員集合に1時間くらいタイムロスありとうわには6時半帰着です。

11/30() 活動日

  朝は小雨が降ったり止んだりの天気で気温は7℃。人数は前日とほぼ同数の70人でしたが大槌赤浜の瓦礫撤去は13人前日のほぼ半分の希望者、とうわから2名小生も前日に続き参加しました。作業開始時には曇りとなり午前中は2~3℃の上昇で埃と汗対策が

楽でした。午後は小雨が降ったり止んだりの天気になりましたが全員もくもくと頑張り半数で前日と同じくらいの面積が出来ました。遠野VCに帰着全員集合までの合い間に職員の方の情報では今の福祉センターから浄化センターに12/5から移動に、瓦礫撤去は年内12/20までやりたい等聞きました。

12/1 ()

  高速バスにて道の駅とうわ8:51分発で途中仙台にて乗換、王子駅18時着工事をしていてもさしたる渋滞にならず約20分遅れで帰着出来ました。

       

 

(作成者 福川有美子)

29日・一日目

遠野のボランティアセンターから大槌町・小槌の仮設住宅の集会場に奥田さん堀田さんと3人で向かいました。

「手紙文庫」という呼びかけで全国から絵本などの児童図書が送られていました。

その整理や棚に並べる仕事でした。

地元の方がご飯と汁ものを作ってくださり、ありがたくいただきました。

30日・二日目

ボランティアセンターで「タッピングタッチ」という講習を初めに受けました。

ゆったりとしたペースで、左右交互にやさしく後ろから体にタッチすることを基本とした心の

緊張をほぐすシンプルなケアの技法だそうです。

大船渡の盛小学校の仮設住宅内の集会場に奥田さんと行きました。

当日、編み物をする企画がすでに決まっていて、集まった人で行うということでした。

7名が来てくれました。私たちが急遽、編み物の先生ということになり(リーダーの二人は中年の男性でできないという)「たわし」を編むことに決めました。始めてみると単純な細編みや

長編みの繰り返しなのですが、皆さん集中し、ただ黙々と編み物に取り組んでいました。

作業や集中が快い静かな雰囲気をもたらしていました。

奥田さんが「音楽をかけたらどう?」「タッピングタッチも出来るね」と気づき、編み物をしている後ろから一人一人にしていきました。

参加された方が「音楽がある中でこういうこと(編み物)がやりたかった」と言っていました。

情けないほど編み物にご無沙汰の身でしたが、仮設の方々の力でどうにか良い時が持てました。

ありがたい経験でした。

(作成者 20期ビハーラ 堀田富江)

とうわVCでの2回目の参加は11/2812/1期間中二日間の活動となりました。

11/29(火)

遠野VCより大槌の佐野野球場の仮設集会所にて「まごころ文庫」の図書分類をしました。

女性群三人で手際も良く箱に詰めたり、出したり、冊数確認したりで午前が終わり昼食となり

けんちん汁と御飯を炊いていただき御馳走になりました。

ここの館長さん(臼澤氏)も被災者で有りながら皆を支援してる人であります。

当日(3/11)のお話を細かく話して下さり、心の思いが沢山伝わってきた事です。

忘れてはならないこの災害のことをまだまだ伝えていきたいとの思いで私達三人にも熱く

語って下さり、思い思いの感情に浸って参りました。

途中仮設居住の二人の方がお見えになり、傾聴させていただきました。お家の方へも案内され

ご仏壇に手を合わさせていただき一緒に涙してしまいました。

まだまだ胸のつかえがいっぱいなのです。

母親を見ているというもう一人の方も逢って行ってとの事なのでほんの少しの時間でしたが

耳もとでお話しをし、元気と暖かな心をいただいて参りました。そうそう、この前お手伝いした花植えの所とても美しい花壇になっていました!! 春よ早く来い来いです。

11/30(水)

大船渡、釜石方面へ「お茶っこ」隊として活動参加しました。二手に分かれ前田公園と盛(さかり)小学校にての活動、私は前田公園の仮設集会所へ若い女性と行きました。

この日は、イチの市と特売日と月末にも当たり特別に議員さんと広報の人が来て下さり、夕方

4時過ぎまで話が盛り上がりました。土地の皆さんに元気を求めて、イベントを企画したりして

少しでも前進する為に努力をしておられます。大きな支援どうぞよろしくお願いします。

二日間運転手も勤めて、改めて活動参加が意義深く思った事であります。

晩秋の遠野。多くの人の参加がまだまだ必要です。ご協力よろしくお願い申し上げます。

(作成者 奥田 ミヨ子)

11/29 ()

大槌町・小槌の集会所の本の整理中に、地域のボランテァをなさっておられる方の

津波に流されながらも助かった「生かされた命」のお話に胸が熱くなりました。

10月活動参加の時お手伝いした花壇には、かわいいパンジーが植えられていました。

11/30 ()

大船渡、盛小学校の仮設住宅のお茶っ子に参加しました。

出発前に「タッピング タッチ」の講習をうけました。

これは初めての経験で、手の腹で軽くソフトにタッチするとお互いが親密になるんだそうです。

集会所でお茶を頂きながら毛糸でタワシ作りに取り組みました。

皆さんが夢中で静かになり過ぎで、バックミュージックを流したり、習ったばかりのタッピング

タッチを早速背中にしたり雰囲気つくりに気をつかいました。タッチのお蔭かとても和やかに

なり制作も順調にいきました。

皆さんの出来上がったタワシを見つめながらの笑顔がとても素敵でした。


西方寺災害支援活動に参加して

平成23123

柏市 上橋 泉

 

11月28日から30日まで西方寺災害支援活動に参加して参りました。しかし、往復の移動にそれぞれ1日を要したために、正味ボランティア活動に従事できたのは、11月29日のみでした。それが分かっていたのに、あえて今回参加させていただいたのは、震災後半年以上もたつのに何も被災地に協力できていない、被災者の方々に申し訳ないという悔恨の気持ちからでした。

投宿地花巻市にある西本願寺ボランティアセンターは、この3月に廃校されたばかりの小学校で居心地のよい建物でした。周辺の風景は心をなぐませる日本の原風景でした。

11月29日は午前6時20分にボランティアセンターを出て、7時過ぎに遠野市にある岩手県災害ボランティアセンターに到着、そこでNPO法人まごころネットワークのリーダー(彼らは西本願寺ボランティアセンターに投宿しており、前夜彼らから被災地の話を聞きました。実に頼もしい青年たちでした)から派遣先を指示され、作業上の注意事項受けました。被災者の心を傷つけない為の細かな注意事項などから、震災の甚大さを感じました。当日、岩手県災害ボランティアセンターに集結したのは約100名(平日にしては多い数だそうです)でしたが、8月には連日400名ないしは500名が集まっていたそうです。リーダーの話では集まるボランティアの数が先細りになっているそうです。

全員でラジオ体操をした後、釜石、陸前高田、大槌町に分かれて出発しました。西方寺災害支援チーム5名のうち男性2名は、釜石市の北にある大槌町の瓦礫撤去作業をすることになりました。釜石市から大槌町にいたるルートは9月に地方自治経営学会で視察していたところでしたが、当時と姿が変わっておらず復旧が全然進んでいないことを伺わせました。

大槌町の瓦礫撤去作業に派遣されたのは総勢25名で、そのほとんどは個人で岩手県災害ボランティアセンターに出向かれた青年男女でした。彼らは職場から短期間の休暇を利用して来ており、糞尿を処理する遠野市の浄化センターに雑魚寝していました。今、柏市では放射能線量が1ミリシーベルトかどうかで天地をひっくり返すような大騒ぎをしていますが、人間の価値を決めるものは自我を捨てられるかどうかにかかっていると思いました。

作業現場は、東大の気候海洋研究所のすぐ裏手にある傾斜地の住宅地でした。その間に根室市の大きな漁船が打ち上げられていました。東大の研究所は3階建てのビルです。こんな大きな船が3階建ての建物のすぐ裏手に打ち上げられていることを見てみると、大槌町の湾全体が津波で海の底になってしまったことが伺われます。

我々が従事した瓦礫撤去作業は、建設機械が必要となる大型の瓦礫は既に撤去されていましたので、それ以外の小さな石、コンクリ、ガラス、材木、鉄板、プラスチック材の破片などの撤去でした。これらが厚く住宅地を覆っていていました。津波は表面が荒れ狂うだけでなく、水面下では海水が渦巻いており、コンクリ、ガラス、材木、鉄板、プラスチック材などを粉々に砕いているのではないかということが伺われました。

我々は、これを材木・プラスチック材などの燃えるもの、石・コンクリ・ガラスなどの燃えないもの、金属の3種類に手作業で分別しながら撤去して行きました。アメリカ人や中国人のように合理的に考える人たちなら、パワーショベルで全部を撤去するのが時間の節約になるのでしょうが、瓦礫の間から家族にとって貴重なものが出てきます(人の肢体の一部が出てきたこともあるそうです)。これらをより分けながらの手作業(勿論スコップは使います)ですから、25名が1日がかりでやっても100坪ほどの宅地2件分が限界でした。してみると、今の程度のボランティア数では無際限の時間がかかってしまいます。しかし、細かな瓦礫を撤去しないで宅地利用ができるかというと全然できません。それくらい大量の土砂瓦礫が地表を覆っているのです。これは将来に向かって大変な問題です。

東北の冬の日没は早く4時半には薄暗くなります。作業終了の報告のために、岩手県災害ボランティアセンターのある遠野市福祉センターに立ち寄りしました。遠野市の本田市長は9月に学会で会った時に、「遠野市が地理的に岩手県災害復旧の拠点にならざるを得ないことを3月11日に判断して、直ちに市の施設を自衛隊、警察、ボランティアに提供し、市職員を災害復旧の案内に提供した」という講演をされ、全国から集まった300名の地方議員に大きな感動をあたえました。遠野市は現在でもこの協力姿勢を崩していません。大槌町の瓦礫撤去作業にも遠野市の職員1名が同行していました。

帰途に温泉とショッピングセンターに立ち寄り、西本願寺ボランティアセンターではポットラックでおいしいご馳走を頂きました。酒もおいしく頂きました。私も桜の咲くころには1週間弱で参加したいと思っています。できるだけ多くの方々が参加されますことを願っています。(了)