西方寺災害支援活動報告書

926日

日時 平成23919日(月)〜922日(木)4日間

活動場所 活動日9/20,21名取市仮設住宅  移動日9/19,22

メンバー 続栄一、続良子、椎木 (3名)

(報告者 椎木 俊郎)

内容 1)Vセンター状況

    台風15号の影響もあり9/19 途中から曇夕刻から一時小雨が降ったり止んだり

9/20,終日雨が降ったり止んだり台風情報に一喜一憂しました。(夜はTVに釘附け)

9/21終日雨夕刻から風雨徐々に強まり夜半ピーク被害軽微9/22台風一過晴ました

雨に祟られたので活動はほとんど全員が屋内のソフト活動になりました。

東北教区VCの陣容は下記のようでした。

     Vセンター コーディネーター長 山階(しな)本願寺より石黒、広川 応援

           教学伝道研究センター 金沢

       現地 守谷、都築 他運転応援2名 

仙台別院 中岡輪番兼教務所長 他1名

 状況

    夏休み以後参加人数、物資とも減少しているので切実な応援要請がありました。

    9/20 参加者22名一般参加が大半でした。活動内容は下記の通り(美容師組参加)

いちご農園の温室苗床整理4名 名取市仮設住宅 ヘアカット組7名

名取市仮設住宅集会所お茶会4名 相馬組、組内面談2名 美田園5名

 我々3名は名取市お茶会に参加しましたが、午後開始の為女川町だいじょうぶ屋 への物資運搬に同行させてもらいました。

途中石巻市港地区や称法寺周辺の惨状を目の当たりにして声がでませんでした。

私設の仮設所だいじょうぶ屋に到着、物資搬入後活動の話を聞きました。

出島と言う松島湾の小島での活動やテント村を私設仮設村に改築した話等

詳しくは女川町だいじょうぶ屋のブログ参照との事でした。(帰拍後見ましたがすごい内容、是非1度見られる事をお推めします)

車で名取市へ移動、昼食後いよいよ愛島にある(海岸より10Km入った内陸)

仮設住宅にてお茶会開始です。

仮設住宅は180棟、入居者は800名の犠牲者が出た閖上(ゆりあげ)地区の方々がほとんどとの事、話の中で判りました。2,3人ずつ来所され健康診断チェックを

うけながら話の輪に参加されるのでいつのまにか10人ほどの輪になり楽しく話が進展しました。丁度その時津波という写真集が出来上がったと持参者が取り出し回覧で一緒に見ましたが、特に深刻な話にはなりませんでした。

しかし話の輪に入れない1人の男性がおられたので声をかけた所、独身で健康上

の問題を持たれ又愛島から閖上(ゆりあげ)地区に終の棲家として移住した所

2年で震災に遭遇され再び故郷の愛島の仮設住宅に戻る悲運に遇われた人でした1時間お相手をしながら傾聴に撤しましたが、話相手が欲しかったのか最後は

健康に気を配り頑張ると言われて握手して別れました。

何も出来ないもどかしさの中貴重な体験でしたが、兎に角疲れました。

6時のミーティーング時兵庫大の学生14人が参加賑やかになりましたが去る人も多く総数に変化はなさそうでした。台風来襲なので明日は名取市のお茶会と所内の清掃、物資の片附けが仕事との事、お茶会を希望しました。

9/21 AM 急遽教学伝道研究センター金沢講師による傾聴講座がありとても有意義

で、別院の方も参加されこれからソフトの仕事が増加タイムリーな講義でした。

名取市箱塚屋敷団地仮設住宅に到着180棟規模でやはり内陸に10Kmの所でした。

PM1時から設営準備して開始しましたが、台風の前触れの雨の為か20分経過後に健康チェック表持参でぼつぼつ見え始め10名ほどの参加になりました。

同年輩の女性の方のお相手をしましたが段々打ち解け終わり頃、避難する時先に出た夫が隣の足の悪い娘さんと遇い、助けながら避難していたのに声をかけ追い越し自分だけ助かったのが心残りと話されました。此処におられる皆さんは大なり少なりの体験をされ重荷を負っておられるのだと思いました。

4時に終了、台風トラブルに会う事もなく帰所出来ました。ミィティングも簡単に終わり台風がひどくならない内に夕食をと、外に出た時には風雨が強くなり

コンビニ弁当となりました。夜が長くお茶会を盛況にするには、何か人寄せの工夫(健康チェックの日、健康マッサージ器の設置はそれなりに効果有)が

もっと必要なのではないか、欠席される方々のほうがもっと辛いのではないか、それをどうしたら良いのか等考えていましたら中々寝つけませんでした。

    9/22朝お勤めの後、朝食を取り終え所内清掃をお手伝いしょうとしました所兵庫大14名がおり前日も粗方済ませたので散策を勧められお言葉に甘えました。

     りっぱな支倉町のお屋敷通りを広瀬川沿いにある県知事公舎、門構えが素晴らしく(昔仙台城に有った門を移築したとあり、鯱鉾まであがっています) 一見の価値ありです。その後スタッフの方の見送りを受け仙台駅に向かいました。

在来線は運休が多く駅構内は混雑していましたが、新幹線は運休もなく定刻

通りの運転で無事帰拍できました。     

     

 

                 

 

 

 

ボランテァ活動に参加して

 

9月26日

日時 平成23919日(月)〜922日(木)4日間      

活動場所 活動日9/20,21名取市仮設住宅  移動日9/19,22

メンバー 椎木俊郎、続栄一、続良子、 (3名)

(報告者 続栄一)

9月19日から三泊四日で仙台別院にボランテァ活動で参加しました。実働2日間の参加でしたが、雨天の為室内でのボランテァ活動のみとなりました。

20日の朝の空き時間に女川町に物資を届ける郡島さん(福岡の住職で長く逗留されておられる先輩で午後一緒の活動) に誘われて同行しました。被害の大きかった石巻市街、女川町方面を案内がてら最前線のだいじょうぶ屋に行きました。途中の景色はニュースで見ていたのとは違い、実際にそこに立って見ると言葉も出ず、心が真っ白になった様な感じを受けました。被害を受けられた大半がいまだにそのままになっている中、日本製紙工業は復興をとげ生産を開始していました。大企業と一般の差を強く感じ一般に対する息の長い支援が必要と強く感じました。

20,21日両日の午後、名取市の仮設住宅のお茶会の活動に参加しました。

色々な被災した思いや、不満、不安を聞く事の難しさや、もどかしさを強く感じました。

ボランテァに参加する前の思いと違い、自身の非力を痛感しました。

これからは改めて自分の出来る事を少しづつ時間をかけて積み上げて行きたいと思い

ました。

(報告者 続良子)

東京駅から高速バスで仙台へほとんど1日がかりの移動で終わってしまい、活動の初日

から雨天で翌日は台風で屋外での活動は出来ず2日間共名取市愛島(めでしま)・箱塚

屋敷団地の仮設住宅のお茶会接待でした。

被災された方の多くは閖上(ゆりあげ)地区の方々が大半で、お茶を勧めお話を聞きましたが色々な経験をされたことをぼちぼちと話して下さいました。言葉では言い表せない

思いだったと思われますが、ただ聞いて差し上げる事しか出来ませんでした。

活動の合間の空き時間に福岡から参加して活動していた方に被災地の石巻市街や女川町、他に日和山(ひよりやま)公園の鹿島御児(かしまみこ)神社に案内して頂き高台から見下ろした景色は、今は何も無い更地で報道されていたニュースを見ていた現状より実際の方が6ヶ月もたっているのに被災のものすごさを目の当りにして言葉も有りませんでした。

この光景は私の心に深く残り忘れる事は無いでしょう。

台風の影響であまり主だった活動が出来ず自分自身に不満も残ったけれど色々な事を見聞きして、これから季節が変わり寒くなってきてからのボランテァ活動の難しさや長いスタンスでの支援活動の難しさを思い少しでも又お手伝い出来る事があれば参加しようと思いました。