仏教文化講演会を聴聞して 記述 松尾俊彦
とき:6月12日(日) ところ:柏アミュゼ1階
参加者 135人
テーマ:親鸞聖人の関東における伝道
講 師:筑波大学名誉教授 今井 雅晴
親鸞聖人は越後流罪が解け京都に帰らず、なぜ関東の常陸の国に行かれたか・・・・
当時は、日本66ヶ国で、豊かな国のランク付けは六段階で常陸の国は全国で2番目の豊かな大国で有ったようです。そこで常陸の国で伝道されたかは、聖人29歳のとき京都、六角堂に百日間の予定で籠り、いろいろ祈願されているうち95日目の暁に観音菩薩が出現し夢告を与えられ親鸞聖人はすぐ六角堂を出られ法然上人のもとに弟子入りされ恩師の法然上人から信頼性を受け継がれ、その教えが常陸の国の人々と絆が出来、多くの人々が集まり真宗が定着したとのお話でした。
又、当時の夫婦生活、当時の信仰、言葉の意味など興味深く聴聞することが出来ました。
下野国宇都宮を本拠とする大名宇都宮頼綱は法然上人の有力な門弟で、実信房蓮生の法名を与えられていて、そのつながりで親鸞聖人を稲田に招いた。このころの神仏は分けられていなかったとのお話でした。
私たちが日常使う「感謝」と云うのは鎌倉時代になってから使われ始めたとのことでした。
関東で人々が慕う親鸞聖人坐像が、野田市常敬寺さんに安置され、この座像は襟巻をしてなく合掌されているお姿が他の親鸞聖人のお姿と違っているとのことでした。
一度、参詣をさせていただきたいと思っいてます。
松尾俊彦
6月3日 法話会
記述 住職
お寺の法話会でした。ご講師は、直方市の栗山一思先生、有り難い阿弥陀如来さまを告げるお説教でした。参加者68名、内、初参加5名でした。初参加の人には、平素より拙著『脱常識のすすめ』へ、住職がサインして「年月○日、初参加記念」と書いたものをプレゼントすることになっています。
ご法話の中で、寸劇で見たというある男のストーリーを、少し演出を入れてお話し下さいました。駅までお送りした車の中で、その寸劇の話しが話題となり、あるご講師から聞いた話だとのことでした。まずはその話しをご紹介しましょう。
ある男が、3つの夢と希望をもち暮らしていた。1つは、彼はある国家試験を受験して、発表を心待ちにしていた。合格になれば将来はバラ色である。2つ目の希望は、恋人がいて結婚を申しこんでいた。彼女と、一緒に成ることができれば将来はバラ色です。3つ目は、宝くじを買って当たることを夢見ていた。
そんなある時、彼のもとへ角を生やして寅のパンツをはいた雷男が来る。何か用かと聞けば、もぞもぞとしている。そんなやり取りの中で雷男は「自分の仕事はこの太鼓を打つことで、この太鼓を1つ打つと一人死ぬ、そんな仕事をしている」という。そして「実は、後一時間後にこの太鼓を打つことになっている。するとあなたが死ぬことになっている」と言いにくそうに告げて立ち去る。
「そんなことがあるか」と疑心半疑、もしかしたらと死ぬことにおびえ、恐れおののいているところへ電話が入る。
「国家試験にあなたが合格しました」。いつもなら飛び上るほど嬉しいことだが、死ぬことを告げられているので喜べない。そうこうしている間に30分が経過した。ピンポン、と玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けると、そこに恋人が立っている。そして「プロポーズをお受けします」という。これまた躍り上がるほどに嬉しいことではあるが、死の影を前にしては喜ぶことができない。時計を見るとあと15分。そして新聞を見ると宝くじが当選している。これまた喜べない。雷男が告げた時間は刻刻と迫ってくる。遠くの方で豪雨の気配がする。5分が3分、稲光が走り雷がとどろく。10秒9秒…3.2.1、0となったところで、寸劇の各席会場の電気が消されてゴロゴロぴかぴか、どーんと太鼓が鳴り響く。
以上の話しを芝居風に仕立ててのお説教でした。
宗祖降誕会に参加して
手記 椎木俊郎
震災被害を慮って祝賀会中止にも拘らず、昨年の2倍以上の27名参加には
驚きでした。お寺さんの好意によるマイクロバスで満席にて出発です。
途中首都高速は事故渋滞で大変でしたが、建設中のスカイツリーの傍を通る時
大歓声と拍手です。高さ世界一の迫力に渋滞を忘れて見入っていました。
解説は唯No16に記載があり大助かりです。無事11時には築地本願寺到着です。
帰敬式準備中なので場外市場見学と昼食、食後は寺院周辺散策、聖路加病院を中心に
47階の展望台(震災の影響か閉鎖中)、トイスラー記念館、カトリック教会聖堂、
ガス灯等明治の面影を残しています。見落としがちなのは饅頭の
元祖塩瀬総本家(日本第一番饅頭所)時間があれば散策をお勧めです。
12時過ぎから献茶式(古儀薮内流)献納楽、表彰式等があり、2時愈々法要
開始です。親鸞聖人は京都伏見日野の里で5月21日ご誕生になられたのですが、
日野の里では江戸時代からご誕生をお祝いする行事が行われていたようで、
本願寺では明治7年21代明如上人によって始めて営まれました。
これを機縁に20年以降全国のお寺で営むようになったとの事です。
御導師は新門様で正信念仏偈作法第三種、引き続きご法話、恩徳讃で終了でした。
帰途のバスでは、諸式に則った法要に参加出来た喜びと多少のアルコールも入り
盛り上がりながら無事帰柏出来ました。
西方寺門信徒会 活動 の あゆみ
(2011年5月21日より)