漢音小経について

本願寺派の「漢音小経」は、差我流で玄智『考信録』に「御本堂の阿弥陀経は嵯峨本とて、阿弥陀経のすり本候、漢音を付たる本にて候。綽如上人あそばされたる阿弥陀経を披見申候つるにも嵯峨本の如く御付候て、如此さが本の如く毎朝すべしと、奥書にあそばしおかれ候き。此本は漢音ばかりに非ず、呉音も少しまじり、唐音もあり、くだらよみとて聖徳太子の百済国より取寄られしよしにて候間、くだらよみと申して候。云々」とある。「嵯峨本」とはくだらよみともいい、室町時代に京都嵯峨の臨川寺(リンセッ)で出版されていたものである。
現在本山の蔵版本三部経は、江戸中期の慶証寺玄督師が、伝承された唱読音の変転を痛み、なるべく古音を残そうと伝承に従って濁点符(本濁・連濁)をしるしたもの。宗祖の濁点符と多少異なるが、現在宗派として用いている。なお濁点符以外の伝承音については、「浄土真宗聖典」(真宗聖典編集委員会編)に、文字の右に呉音、左に伝承音が記人されているので参考にされたい。

本願寺派では、通常勤行では呉音を用い、報恩講や本願寺歴代の祥月命日などに『阿弥陀経』を読誦する場合、漢音を用いている。

『阿弥陀経』の漢音読みは、二流あり、一つは魚山(天台宗)から伝えられた「例時読み」、他が先の綽如上人の時代から連綿と伝承されいる「百済読み」である。「百済読み」は同じ漢音で発音する「例時読み」とは違って、変則的な部分が多く、浄土真宗だけに伝承している。非常に特殊な読誦作法といえる。

一例を挙げておくならば、「例時読み」は経文一字一字をクセ無く読んで行くのに対し、「百済読み」の場合、場所によっては一文字を延ばして読んだり、或いは読まずに飛ばしたりする箇所が存在する。

名称の由来は、聖徳太子が朝鮮半島の百済から取り寄せたテキストの読み方である、と記している。この「百済読み」は東西本願寺をはじめ、真宗佛光寺派などにも伝えられている。

ちなみに大谷派報恩講の毎朝勤(本願寺派は16日のみ晨朝〔小経(漢音)・正信偈(真譜)〕他は晨朝〔小経(呉音)・往生礼讃偈〕)、漢音阿弥陀経と読む。天台でも例時作法の阿弥陀経漢音で読み。

呉音と漢音(西原HPより)

お経は呉音で読むことが基本です。漢字には呉音、漢音、唐音(宋音ともいう)の3種類の読み方があります。呉昔は南北朝時代の呉地方の音と言われ、漢音は唐代の西北地方の音です。唐音は宋時代の標準語でした。例えば「頭」は、「頭(ズ)脳」は呉音、「頭(トウ)髪」は漢音、「饅頭(ジュウ)」は宋音読みです。心空(14世紀の僧)の「法華経音義」に「いま経は、ことごとく呉音を本とする」とあるようにお経は呉音で読むのが習わしとして伝承されてきました。しかし呉音読みは、邦人が初めて呉国の比丘について習読し呉音を伝授されたという説や、聖徳大子が呉音をもって読経の法と定めたという説等があります。
法然上人は、毎日阿弥陀経を3回読まれ、1回は呉音、1回は漢音、1回は訓読をもってされ、その後は一向称名のほかなかったといわれます(勅修御伝)。また宗祖の国宝阿弥陀経集注に濁音の指定をされ拝読されていた事が偲ばれます。