築地本願寺新報 06.3月号(巻頭言)

弱肉強食を超えて

大霊長類学者杉山幸丸著「進化しすぎた日本人」がよく読まれている。著者は大学院生のとき大発見をしています。
 当時、動物の世界には同種での意味のない他殺や子殺しなどはありえないと思われてた。

しかし、1962年、インドのハヌマン・ラングールというサルを観察・研究していたところ、ある事件がおこった。
 この種は一頭のオスザルが数頭のメスザルとその子どもたちとでハーレムを作って暮らしている。子どもは適齢になるとハーレムを出ていく。自分の子孫を残したいオスザルは、ハーレムをのっとるしかない。
 事件は乗っ取りが行われた後に起こった。勝ち残ったオスザルが真っ先にしたことは、ハーレムの子どもを次々と殺すことだった。一頭残らず殺されてしったメスザルは発情し新しいオスザルと交尾し子どもを産んでいった。
 その後、子殺しは特別なことではなく、乗っ取り後、常に行われ、ライオンやゴリラ、チンパンジーにも観察された。     

弱肉強食のいのちの連鎖は、花の美しさから、果物の美味、そして腕力の強さまでゆきわたり、強い種として受け継がれ今日に至りました。
 人間も経済から学問まで、この弱肉強食のいのちの連鎖の輪の中で生活を営んでいます。
 では力なく終わっていった弱いいのちから何が生まれたのか。自らの存在に涙するしかなく、虚しく終わっていった無数のいのちの連鎖から阿弥陀如来の願いは生まれたとお経にあります。涙の中に虚しく終わっていったいのちに対して、強くあれと条件をつけず、涙の沈む虚しく終わっていく存在を、そのまま育み満たすという精神の領域が姿を現していったのです。

親鸞聖人は、そのおこころを「苦悩の有情をすてずして」とご和讃されておられます。