おつとめ教室 画賛について (西原祐治筆)
画讃について

Q 浄土真宗本願寺派寺院の本堂に掛けられている親鸞聖人や蓮如上人、聖徳太子の絵の上に書いてある画讃について教えて下さい。
 
A まず本堂の正面には、本尊の阿弥陀如来立像が安置されています。そして向かって右脇に親鸞聖人、その右横が聖徳太子の絵像が奉献されています。ご本尊に向かって左脇には蓮如上人、その左横が七高僧の絵像です。

 その四幅の絵像の中、親鸞聖人と蓮如上人、聖徳太子の絵像に讃が書かれています。絵の中に描かれている讃なので、これを画讃と言います。

Q では親鸞聖人のところに書かれている画讃は?

A 慶哉愚禿仰惟
  樹心弘誓仏地
  流念難思法海
  嘆所聞慶所獲

(よろこばしかな愚禿、仰ぎおもう。心を弘誓の仏地に樹ち、念を難思の法海に流す、聞くところを慶び、うるところを嘆ず)とあります。

Q 教典にある言葉ですか。

A この言葉は親鸞聖人「浄土文類聚抄」の正信念仏偈の前にある文です。


Q 親鸞聖人の絵の右側に「和朝親鸞聖人」とありますが。

A 親鸞聖人自身が「和朝」と言われた時には、「和国の朝家」ということで、朝家とは通常、天皇を中心とした一家。皇室。また、転じて、国のことですが、根本は聖徳太子に連なる国という意味があります。その聖徳太子を親鸞上人は「和国の教主聖徳皇」とたたえておられます。この「和国」は、仏教に帰依された聖徳太子が、その仏法によって作り出された国という意味があります。

Q では聖徳太子像の画の讃は?

A 吾為利生出彼
  衡山入此日域 
  降伏守屋之邪見 
  終顕仏法之威徳
(われ利生のために、かの衡山を出でこの日域に入る。守屋の邪見を降伏し、ついに仏法の威徳を顕わさん)とあります。


Q もう少し砕いて教えて下さい。

A 親鸞聖人には、聖徳太子の関係の「和讃」が百十四首和讃とか七十五首和讃とかがあります。普通私たちが目にするのは『正像末和讃』の中にある『皇太子聖徳奉讃』の十一首です。その七十五首和讃、これは建長七年に親鸞聖人が詠まれている比較的早い時期の聖徳太子の「和讃」ですが、そこに、

仏法興隆せしめつゝ
 有情利益のためにとて
 かの衝山よりいでゞ
 かの日域にいりたふ

守屋の邪見を降伏して
 仏法の威徳をあらわせり
 いまに教法ひろまりて
 安養の往生さかりなり

   (『皇太子聖徳奉讃』)

とあります。

 中国の天台山の恵思禅師という方がおられました。、非常に破邪顕正ということを盛んにされた禅師です。その恵思禅師が、衆生を利益する為に中国の衝山、天台山から出て、この日域に現れられ聖徳太子になられた。仏教を排斥する物部守屋を降伏して
、仏法を日本の国に顕らかにされた。というご和讃です。

Q 聖徳太子の絵像は?

A 聖徳太子が、袈裟を着けて柄香炉を持たれているご絵像です。これは「孝養の像」と言われます。「孝養の像」には他の説もありますが、本願寺系統では、守屋降伏の像、物部守屋を討ち滅ぼした時の像だいわれています。
 


Q では蓮如上人の御影の画讃は?

A 観仏本願力
遇無空過者
能令速満足
功徳大宝海

仏の本願力を観ずるに、まうあふてむなしくすぐるものなし、よくすみやかに、功徳の大宝海を満足せしむ。
という天親菩薩の「浄土論」にある有名なお言葉です。聖人のご和讃にも

 本願力にあひぬれば
 むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて
 煩悩の濁水へだてなし

とあります。なぜこの言葉が、蓮如上人の御影の讃となったかは不明です。

Q 一般家庭で奉献する絵像の裏書に、「本願寺寺務釋即如 本願寺蓮如画像」とかかれていますが

A 即如御門主が下付した本願寺で奉献している画像の写しであるという意味です。合わせて言うと、蓮如上人の裏書には「本願寺寺務釋即如 大谷本願寺親鸞聖人真影」とあり、大谷本廟に奉献されている実物そっくりの絵像という意味です。

  親鸞聖人が、弘長二(一二六二)年にご往生になって十年後の文永九(一二七二)年、京都東山大谷(現在の知恩院の山門の北側、崇泰院の裏庭付近)に聖人のご廟所が建てられました。敷地は後に広がり発展して本願寺になります。

 その後、祖壇(聖人の墓所)を移し、本堂を再建するなど、廟所は次第に整備されましたが、本願寺第十四代寂如宗主の時代、元禄七(一六九四)年に廟堂を新築し、竹内良尚親王が聖人の御絵像を画き、寂如宗主みずから「韜名愚禿…」という画讃銘を記して廟堂にお掛けになりました。その画の写しだから「本廟」とあります。

 大谷本廟の親鸞聖人の画讃は次の通りです。

韜名愚禿畏人知(とうべいぐとくいじんち)
高徳弥彰澆季時(こうとくみしょうぎょうきじ)
誰了如来興世意(すいりょうにょらいこうせいい)
直標淨典囑今師(ちょくひょうじょうてんぞくこんし)

名を愚禿に韜(かく)して人のしるをおそる。
高徳、弥彰(いよいよ)彰(あら)わる澆季の時、
だれか了(しら)ん如来興世の意、
直ちに淨典を標して今師に属す。
です。

意味は、親鸞聖人はお名前を自ら愚禿と名のり、名利を求めることなく、名もなき民衆と生きていかれた方です。しかしそのご功績や高徳は時代と共に知れわたり、讃迎されるようになりました。どなたかご存知ですか。釈迦仏がこの私たちの世にお生まれになった真意を。それは歴史の流れの中で、直接、大無量寿経という教典を聖人に手渡す為だったのですよ。

Q 一昨年、御遷化された勝如上人の画讃もあるのですか。

A 勝如上人の画讃は

継承法燈 法界雄飛 (勝如上人は若くして)法灯を継承せらるるや法界に雄飛し給い
改譜聲明 宗風発揮 声明(正信偈和讃)を改譜して宗風を発揮し給う

重梓本典 祖恩讃述 御本典を再版しして宗祖聖人の恩徳を讃述し給う
巡教内外 説仏真実 内外はもとより海外にまで巡教されて阿弥陀仏の真実を説き(顕され)

苦難春秋 法縁同称 苦難の春秋(時代)を法縁の方々と共にお念仏を喜ばれた
齢垂上寿 念仏愈興 御齢上寿(長寿)になんなんとして益々お念仏を興隆せられた。

Q 蓮如上人の左横の七高には讃がありませんが。

A これは讃を書く場所がないからです。七高僧とは、七人の高僧という意味で、親鸞聖人が真宗相承の祖師と定めた七人の高僧方のことです。インドの龍樹菩薩・天親菩薩、中国の曇鸞大師・道綽禅師・善導大師、日本の源信和尚・源空(法然)上人の七人です。七高僧の発揮をご紹介します。

龍樹菩薩
「十住毘婆沙論」を書いて、仏になる道を難行道と易行道に分け、易行道である阿弥陀如来のみ名を称える道をすすめられました。



天親菩薩
「浄土論」をつくって阿弥陀如来におまかせする一心の信心の大切さを示してくださいました。



曇鸞大師
往生論註を著して自力・他力を明らかにし、他力の道をすすめてくださいました。



道綽禅師
「安楽集」を著して仏道に聖道門と浄土門があることを明らかにし、阿弥陀如来の浄土に生まれる道をすすめてくださいました。



善導大師
「観経疏」で南無阿弥陀仏一つで往生することを明らかにし、南無阿弥陀仏を深く信じる信心の道をすすめてくださいました。



源信和尚
「往生要集」を著して、浄土に真実報土と方便化土のあることを明らかにし、真実報土をねがうものは、本願の名号を信受することをすすめてくださいました。




源空上人
「選択本願念仏集」を撰述され、南無阿弥陀仏一つが往生の業であると明らかにし、「ただ念仏」の道をすすめてくださいました。