東京ビハーラ刊
「がん患者・家族語らいの会」通信52号(06.7月)

歌と物語 

セルフ・ヒーリング

西原祐治 会員


大学の校舎が京都の伏見区深草にあったことから、京都で初めて住んだ場所は竹田の鳥羽という所でした。その竹田が、雑誌『赤い鳥』鈴木三重吉1 918に創刊した童話童謡の児童雑誌)で紹介された『竹田の子守唄』の「竹田」だと知ったのは、ずうっと後のことでした。

 (も)りも いやがる 盆から 先にゃ

 雪もちらつくし 子も泣くし

 盆がきたとて なにうれしかろ

 帷子(かたびら)はなし帯はなし

この子よう泣く 守りをばいじる

 守りも一日 やせるやら

はよもゆきたや この在所こえて 

 むこうに見えるは 親のうち

 むこうに見えるは 親のうち

  この歌は一時期いろいろな人が歌い、レコードも100万枚以上が売れたそうです。しかし今では、テレビやラジオで流されることもありません。発売禁止になっているわけでもないようですが、この歌に触れようとしない社会があるということです。

  その一部始終は、藤田正著『竹田の子守唄――名曲に隠された真実』に詳しく書かれています。

 なぜ、放送されないのか。マスコミ関係者は、竹田地区は差別を受けた人たちの在所であり、この在所こえて≠ニは、まさにその場所を語っていると知っているからです。

 この歌は、差別を受けた人たちの間で歌い継がれてきた子守唄であり、その悲哀を歌った曲でもあります。

 悲哀と言えば、「五木の子守唄」にも通じるものがあります。

おどま盆ぎり盆ぎり

 盆から先ゃおらんど

 盆が早よ来りゃ

 早よもどる

 おどまかんじんかんじん

 あん人達ゃよか衆

 よか衆ゃよか帯よか着物

 五木の貧しい山間の村に生まれた娘が、口減らしのために子守娘として奉公に出された先で、わが身の不遇を嘆いて歌った唄だそうですね。「おどま」とは「私たち」という意味で、「かんじん」は「非人」と書くそうです。厳しい身分制度の中で、自分たちのことを卑下した言葉だそうです。

 元来、人吉・球磨は豊かな土地ですが、「五木三十三人衆」と呼ばれる地頭たちが五木地方一帯を支配していました。この三十三人が、村内の大部分の土地を所有し、その下に多くの小作百姓がナゴ(名子)として隷属させられていたといいます。そうした貧しい家の娘たちが、子守や下女として奉公に出されたのです。

 子供たちは七、八歳になると、食い扶ち減らしのために八代や人吉方面に奉公に出されたようです。奉公とは名ばかりで、「ご飯を食べさてもらうだけで給金はいらない」という約束だったとも聞きます。

 身体的にも精神的にも、虐げられ涙するしかない幼い娘たちが、心のなかで涙しながら歌ったようです。現代ふうに言えば「セルフ・ヒーリング」といったところでしょうか。自分を支えてくれる歌や物語を持っていることの大切さが思われます。

 いつか『正信偈』を神話ふう物語にして書いてみたいというのが、私のささやかな願いです。

「弱肉強食のいのちの連鎖は、花の美しさから、果物の美味しさ、また動物の腕力の強さまでゆきわたり、強い種として次の世に受け継がれていた

それは同時に、悲しみと苦しみの中に終わっていのちを生み出していた。涙の中に終わっていったいのちの数は大海の潮をしのいだ。弱く終わっていった無数のいのちの連鎖から、強くあれと願わず、理想を求めず、ありのままのいのちをそのまま肯定し、満し育むという英知が一つの光になろうとしていた。その光のみなもとをダルマカーラと言った……」といったふうにです。

でも残念ながら、ガチガチの頭からは蝶が舞うような言葉は生まれそうにありません。

『生んでくれて、ありがとう』(葉 祥明著 サンマーク出版刊)は、短い文をそえた絵本ですが、見事です。私はこうした物語を「いのちの実話」と名づけています。

ママ、ボクがうまれたとき、

ボクの身体のことを知って

おどろいたでしょう?

ごめんね。ボクがみんなんと

すこしちがっているんで、

しんぱいしたんだね。

ボクのカラダは、

けっしてまちがいや、ぐうぜんで

生まれたんじゃないんだ。

もちろん、なにかのつぐないなんかでもない。

ぼくがほかのことちがうのには

ふかいわけがあるんだ。

ボクはしっていた。

ママのおなかのなかで、このカラダができるまえから…。

ボクが、どんなふうにうまれてくるかを。

それだけじゃなく、これからさき、

ぼくがどんなせいかつをおくることになるのかも

ぜんぶわかっていたんだよ。すべてわかったうえで、

ボクはママをママにえらんだ。

なぜって、こんどのじんせいで

ぼくがちゃれんじしようとしていることに

もっともふさわしいカラダのボクをうけいれる

おおきな、おおきなあいが、ママにはあったからだよ。

ママも心のどこかで、そうかんじていなかった?

ボクのねがいは、

ママがだれにもひけめをかんじることなく、

むしろほこりをもって、いきてほしいってこと。

きそいあったり、くらべたりするせいかつとはちがう、

おだやかで、おもいやりにみちた、やさしいせかい。

それが、ぼくがいきているせかいなんだ。

ママも、みんなも、すこしづつ、

そのことがわかってくるはずさ

全部引用してしまうと版権侵害になりかねませんので、このへんでやめておきます。でも、たくさんの方にぜひ読んでいただきたいとても好い本です。がん患者のいのちの実話や、おじいちゃんと死別した人への「いのちの実話」、そんな「いのちの実話」ばかりを集めた本があればいいなぁー、と思っています。