雑誌掲載原稿 がん患者・家族語らいの会通信 4月号

人間って、どうなっているのだろう


西原祐治 会員

以前、ラジオ放送の文化講演会で、確か山田洋次監督であったと思いますが、「あきらめることの大切さ」を語っておられた。人が老化していく。男性だと顔が老化してもすぐあきらめがつく。しかし女性は化粧するので、なかなかあきらめられず、いつまでも心が落ち着かない。がん疾患でも、お金がない人は、治療方法がなくなれば、治療に対してあきらめがつく。しかし資産家だと、いつまでも最先端の治療を求めて、あきらめきれずなかなか心が落ち着かない。そんな話でした。

仏教の真理は「諦らめる」です。これは「明らかに見極める」ことですが、私は「アキラメる」と「諦らめる」は同じことではないかと思います。まだまだ疑問形ですが。

昨年の9月のことでした。益子のTさんから、「千葉で終末期にある女性が僧侶に会いたいと言っている。だれかいませんか」とのメールを頂いた。私が伺うこととなり、担当である訪問ホスピス医のI医師と連絡を取り、患者さんであるKさんとお会いすることになりました。

Kさんは昭和4年生まれで胃癌術後再発で治療を断念して訪問ケアを受けておられました。I医師の電話では、かなり深刻で、在宅ホスピスで看護師が訪問すると毎回2〜3時間悩みを聞いているとのことでした。

早速Kさんと連絡を取りご自宅へ伺いました。以下はその日の夜、I医師に報告したメールの内容です。

15日は私のほうが予定がつかなかったので、早いほうがいいというので日曜日となりました。子どものときからのことを、取りとめもなく語るKさんは、今の惨めな現実の原因はどこにあるのかといった、回想のようでした。家庭や人間関係の中に生じている不幸の原因が、自分にあったことへの後悔、ではその自分がどうしたら、素直な自分になれるのか。

あきらめきれない悔しさ、やり直せたらやり直したいという思い。この現実をどう考えたらよいのか受け入れきれない今。こんな思いや後悔を持ちながら死んでいかなければならない不安、などなど。どうしたらいいのかという回答を求めるといった具合でした。

会話の中で、不満とやり残し、どうにかしたいという思い。何故私がこんなに苦しむのか。と投げかけられたので、私はそれは欲が深いからです≠ニ本当のことを(?)いいました。それから10分くらい会話をしていたら、ご自身で自分は何故こんなに欲が深いのか≠ニため息をつかれました。成果といえば、そこだけといった傾聴と会話で始終しました。

僧侶と会っても欲しいものが手にはいらなかった≠ニいう印象だったので、その後ろめたさと、私の存在が圧力にならないようにと思い私のほうからは電話をしませんが、お話しをしたい(聞きたい)時はお電話を下さい≠ニ言って別れました。私としては、またお会いしたいという思いです」

 Kさんとの面談はそれ一回のみでした。その後、11月になりI医師からメールが届きました。メールの内容に手を加えずそのままご紹介します。

「ご家族に看取られて亡くなりました。心の葛藤は最後まで続いていましたが、次第に険しさ、厳しさは和らいでいきました。特に西原様のお話の中で安心する部分があり、過日もご連絡したように以後明らかにある種の変化が感じられました。厳しい状況の中最後まで自宅での療養を継続できたのは、患者さん/ご家族/そしてわれわれを支援してくださる西原様をはじめとする皆様のおかげと感謝申し上げます」

 私の報告メールを少し補い、「人間って、どうなっているのだろう」という疑問の内容をお伝えします。

Kさんとの面談は2時間45分くらいでした。2時間ほど、どこにそれほどのエネルギーがあるのだろうと思うほど、どうにもならない、抱え込んでいる苦悩を吐露しされました。今思うとエネルギーの源泉は怒りであったと思います。そして、どうにかして欲しいと仰ぎ見るような眼差しで私を見て言われたのが「なぜ私がこんなに苦しむのか」という言葉でした。私の心中は逃げ場のない状況で、本当のことを言うしかありませんでした。それが欲が深いからです≠ニいう言葉でした。問われたKさんも真剣な形相でしたし、答えた私も相手の目を見て真剣に答えました。Iさんは一瞬、予想外の言葉であったようで、思考停止したような間が生じました。そして思考を取り戻して、また同様に怒りの言葉を口にされました。それから10分ほどして、大きなため息と共に「自分は何故こんなに欲が深いのか」といわれました。

私はその10分の間に、少し変化があったのだと思います。その変化とは「アキラメ」か「諦らめ」かわかりませんが、その「あきらめ」に少し近づいたという変化だと思います。苦しみの正体を見た≠ニいう割り切ったものではないでしょうが、それに近いものだったのでしょう。

私の人間って、どうなっているのだろう≠ニいう疑問ですが、苦しみは、なくすことより、苦しみが明らかになることが重要のように思われます。苦しみが明らかになる≠アとは、終末期におけるビハーラケアの一つのキーポイント、そんな感慨を持ちました。   

ある朝、思ったこと

西原祐治 会員

過般、築地本願寺で開催1月21日)されたある講演会の朝、思ったことです。

当初、その講演会にゲスト講師としてお願いしていたのは築地のS病院のI牧師でした。その講演の一週間ほど前になって、「出講できない」との連絡を頂きました。

講演不可には事情がありました。昨年10月25日、何人かの仲間でS病院をお訪ねしました。I牧師から、病院のチャペルでお話を伺い、緩和ケア病棟も見学させていただきました。I牧師はそのころ既にすい臓癌に侵され、少し身体もキツイご様子でした。来年の1月には、病気がもっと悪化して無理かも知れない。もし行ける様だったらとの前提で講演をお引き受け頂いていたのです。出向不可には、そんな事情がありました。

さて講演会の朝、思ったことです。それはふと気づいたことでした。ということは、10月にお訪ねした一年半くらい前にも、S病院をお訪ねし、色々なことをお聞きしました。その一年半後の昨年10月です。その二回の面接を重ね合わせて考えると、I牧師の態度、お話しされる内容、お人柄、仕事に対する思い等々が、まったくお変わりなく、すい臓癌を患われてからお目に掛かった折も、おかわりなく平生のご様子でした。私がフふと気づいたというのは、昨年のすい臓癌後ではなく、一昨年の折のことです。

これは私の深読みかも知れません。しかし恐らくI牧師の心中はそうであったに違いないと思うのです。すい臓癌を患い命の終わりを視野に入れて、いつものように仕事をしておられた牧師は、おそらくすい臓癌になる前も、すい臓癌になって死が視野に入ってきた時と同じ心境で日常の生活をされていたのではないかということです。

私がすごいと感心したのは、すい臓癌になってからの生き方ではなく、すい臓癌になる前のI牧師の生き方です。私だったら、もっと煩悩が動くに違いない。病気を得て平生であってもそのことを誇ったり自慢したりです。

父の時、紹介した話です。父が食道がんを患ったときのことです。食べ物が入らなくなってからの発見で、それまで不整脈や胆嚢の摘出、脳梗塞2回、肝炎などを体験していて、手術を出来ないとのことでした。

当初、私が気になったのは、「父は後、何ヶ月の生命か」ということでした。しかししばらくして、かけがえのない生命を何ヶ月という数量ではかる。それは大変に不遜なことだと思ました。生命を一ヶ月二ヶ月という数量にしたとたん、一ヶ月より二ヶ月、二ヶ月より三ヶ月の生命の方が価値ありという生命が物に転落してしまうからです。

そう考えた時、父との一日一日を大切にしていくしかないと腑に落ちました。

結局のところ、命の終わりにあっても、平生であっても、同じ生活をしていくしかない。しかし、同じ生活であっても、命の終わりを視野に入れたところの同じ生活は、質がだいぶ深まった同じ生活なのだと思います。

 I牧師に感じたすごさは、そこです。終末期になっていつもの如く生きるすごさと、死期の分からない平生の時、終末期を視野に入れたが如く平生に生きる。これは同じことであり、I牧師に感じたすごさです。

 芭蕉は、去来や支考から辞世を求められたとき「きのうの発句は今日の辞世、今日の発句はあすの辞世、我が生涯云い捨てし句一句として辞世ならざるはなし、もし我辞世はいかにと問ふ人あらば、此年頃いひ捨て置きし句いずれなりとも辞世なりと申し給はれかし」(花屋日記)と語ったという。ふと気づいたことは、昔から言いつくされていることでもあります。