「宗教」(教育新潮社発行雑誌) 平成14年新年号ー掲載原稿

心光照護の益

浄土真宗の宗風

過日、福井県に行きました。売店で「県民性の日本地図」(光武誠著・文芸春秋刊)という本を買い込み飛行機に乗り込みました。これから行く福井県の方々はどんな方々かと言った思いで読みました。
 「福井県民は才覚があり粘り強くよく働く。人口10万に当たり社長数が最も多い県であり、他人の下で働くより一国一城の主になることを好む。要領はよいが、統率力に欠ける面を持っているので福井の企業は大企業に成長しにくい。越前の中産階級は自分の才覚に自信をもち、自主的な生き方をとる姿勢が強かったので、朝倉家も松平家も、国政を動かす大勢力になり得なかった」とあります。
 私はこの本を読み、五歳まで島根県、18歳まで松戸市、岐阜に一年いて京都に24歳まで、31歳まで築地本願寺で、以後は現在の千葉県柏市。私はどこの県民性に分類されるのか。ふとそんなことを考えました。
 たしかに学風、社風、風土など地域社会や団体が見えないある種の力を持っています。目に見えない力が人を育み、人間の風格をつくります。
 宗教団体も宗風というものがあります。それは教えが人に及ぼす影響力のことです。浄土真宗本願寺派の宗風は「迷信やまじないに頼らない」ということです。迷信やまじないに頼る必要のない確かな歩みが育てられるということです。これが浄土真宗のご利益でもあります。
 このご利益を、親鸞聖人は「顕浄土真実教行証文類」信巻に10のお言葉でお示し下さっています。その六番目に「心光照護の益」とあります。この心光照護の恵みを通して浄土真宗とはどのような教えなのかを味わってみましょう。
常に仏様の光明に照らし護られる。この心光照護を、教典(仏説観無量寿経)には次のようにあります。
【いちいちの光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず】
 阿弥陀如来の光明は、十方世界を照らし、私の存在を明らかにし慈しみの中におさめ取るというのです。
 阿弥陀如来の光明に照らされて私の存在が明らかになる。それは逆から言えば、私は常に闇に閉ざされているということです。闇に閉ざされているとはどのようなことなのかを少し伺ってみましょう。

悲しみは不幸なこと?

 私たちは、善悪、美醜、賢愚、富貴、健康病気、幸不幸など、常に希望を持ち、理想実現に向かって生活しています。悲しみよりも喜びを、暗さよりも明るさを、不幸よりも幸福を、不都合よりも都合の良さを、不快よりも快適さを、病気よりも健康を、老いより若さを、死より生を求めています。実はこのように、すべてを分別し優劣をつけその優劣に固執するあり方そのものが偏ったものの見方だというのです。この分別に固執し分別に固執していることに気づきがないことが闇に閉ざされているということの一端です。
 「100万回生きたねこ」(佐野洋子作・絵・講談社刊)という絵本があります。奥付に1977年10月刊行後、第70刷とあり、多くの人に愛されている絵本です。私もこの年になって初めてこの絵本を読みました。
 まず1項に
【100万人の 人が、このねこを かわいがり、100万人の 人が、そのねこが 死んだとき なきました。ねこは、一回も なきませんでした】
と始まります。
【あるとき、ねこは 大さまの ねこでした。ねこは 大さまなんか きらいでした。(戦争に連れて行き飛んできた矢に当たって猫は死ね)…大さまは、たたかいの まっさいちゅうに、ねこを だいて なきました。…】
と言った具合に、次から次に生まれ変わり、「きらいでした。…なきました」が繰り返されます。
 そして最後に、白い猫を出会います。白猫と、たくさんの子猫と暮らし、子猫は巣立ちます。白猫はおばあさんになり、主人公の猫は、何時までも一緒に生きていたいと思います。白猫は何時しか静かに動かなくなります。
 ねこは初めて泣きます。夜も朝も、また夜も朝も、そして白猫の隣で静かに動かなくなります。
【ねこは もう けっして 生きかえりませんでした】
と絵本は終わります。
面白い絵本でした。人の死を悲しめる。それは悲しめる関係があったと言うことであり、別れを悲しめない100万回の生より、死別を悲しんだ1回の生の方が実りある生であったようにも思われます。
 悲しみは、ついマイナス的な行為なので否定しがちですが、別れの悲しみは、悲しみ自体は決して否定されるべきものではなく、悲しく感じられる関係があった事の証であるということ。「悲しめてよかったですね」という表現はへんですが、悲しみが、一つの恵みのあることを、この本から学んだような気がします。
 ふと故花山勝友先生が「いい生き方、いい死に方」という本の中に紹介されている話を思い出しました。
先生には六人のお子さんがおられました。ところが四歳の誕生日の直前になる次女が、わずか一日の出来事で他界しています。かわいいさかりです。大勢の方が弔問に見える中、奥様はポツリと「子供を失ったことのない人には会いたくない」ともらさたそうです。
 父である師も、同様な気持ちを持ったと言います。
そのご夫婦が救われたのは訪ねて下さった方からの言葉だそうです。
「あなたは、大事なお子さんを亡くして、さぞおつらくて悲しいことでしょう。しかし、その悲しみさえも、私のように、欲しくて子どもができなかった人間から見ると、大変うらやましいことなのですよ。あなたには、少なくとも四年間の思い出が残っていますが、私たち夫婦には、その思いですらないのです」
 その言葉に「こんな辛いことはない」と、自分が世界一不幸な人間のような顔をしていた自分は、なんと増上慢であったことかと思ったと示されてありました。
 師は悲しみの中で、悲しみはまったく無価値ではなかったという気づきを持つことが出来たのでしょう。
 死別の悲しみが救われるのは、悲しみを通して新しい出会いや気づきがあったときその悲しみが意味をもちます。
 ノーベル賞作家で、人類愛を説く平和運動家であったパールバック女史は代表作に「大地」という本があります。爆発的なベスト・セラーとなり、世界30ヵ国語以上に翻訳されました。その女史は「母よ嘆くなかれ」という本も書かれています。この本は、女史にとって特別なもので、1921年に中国で生まれたご自身の娘、深刻な知的障害をもつ一人の娘とともに歩んだ母親としての心の記録がしるされています。その本の中に次のような言葉があります。
「悲しみは錬金術に似たところがある。つまり悲しみが智慧にかえられるときさえあるのです。悲しみが喜びをもたらすことはありませんが、その智慧は幸福をもたらすことが出来るのです」。深い悲しみを通してこそ出会っていけるものがあると言うことです。
 喜びこそ唯一絶対であるという価値観ではなく、悲しみを通して智慧に出会うとき、その悲しみが虚しく終わっていかない世界があるということです。
 悲しみと喜び、幸不幸、生と死と分け、そこに優劣をつけ片方に固執して生きる。その生き方、価値観そのものが真実から遠い、闇に閉ざされた存在のあり様なのでしょう。

光明は智慧の形なり

 その智慧を親鸞聖人は「光明は智慧のかたちなり」(唯信抄文意)と示されておられます。智慧を頂くとは真実が明らかになるということです。また聖人は、信心の信を「審なり」(顕浄土真実教行証文類)とお示しになっておられます。審は審判の審で「つまびらか」と言うことです。信心が定まるとは、私の存在がつまびらかになることなのです。
 浄土真宗のみ教えは「阿弥陀如来に無条件に救われる」というものです。このみ教えに頷くということは「無条件に救われなければ救われようのない私である」ことが明らかになるということでもあります。浄土真宗は、私の愚かさが明らかになるという形で、私に対する固執から解放されていきます。
 阿弥陀如来の光明により、私の存在の愚かさが明らかになる。私の愚かさが明らかになるということは、阿弥陀如来の慈しみの中にある私であることが明らかになることでもあります。愚かさは無価値なことではなく、愚を知る智慧に出遇っている証だからです。
 その私の愚かさが明らかになったとき、仏に頭を下げ、仏の教えを聞き、念仏を申す。仏に関わるすべてのことが、私の自由意志による行為ではなく、仏の働きであり、お育ての賜であったことに思いが至ります。
 20代で築地本願寺に勤め始めた頃のことです。毎日、参拝者からの依頼によりお経のお勤めをするセクションにいました。ある日のことです。読経をしようと本堂の正面に向かいました。見るとホームレス風の印象を強く与える人が、本堂正面の賽銭箱の前に座っています。昼間なのにお酒も飲んでいるようです。
 若い私は、参拝者の邪魔になるという思いから、そこを立ち退くようにと乱暴に声をかけました。そして読経です。拝読したお経は「大無量寿経」の中の、53の如来たちが、次から次ぎへこの世に誕生して人々を慈しみで満たしていくという箇所でした。そのたくさんの如来の名を、次から次に口にかけていく内に私の目から涙があふれてきました。そのお経の背後から「あなたが、今、仏のお経をよみ、仏を礼拝している。その背後には、このような無数の如来のお育てや働きがあったのだ」と聞こえてきたのです。それは同時に、あのホームレス風の印象を与える人が、たとえお酒を飲んだとはいえ、仏の前に座り、仏に頭を垂れている背後には、数かぎりのない諸仏たちの働きがあったに違いないという思いでした。何とか読経を済ませ、謝ろうと探しましたが、すでにその姿はどこにも見あたりません。後年、その時のことを思い出し、ふと「あのホームレス風の人は、見かけによりこの人は仏縁の深い人、浅い人と分別してやまない私の闇を、破るためにこの世に現れた仏さまだったかも知れない」と思いじーんとしたことがあります。

無重力の体験

浄土真宗という仏道は、「南無阿弥陀仏」の念仏を称えます。念仏は、仏に近づくための手段ではなく、私を救うという阿弥陀如来の名のりであり働きそのものであることから名号であるといいます。「名」は夕(三日月)と口の会意文字です。薄くらい闇の中で自分の存在を告げるという意味です。「号」は大きな声で叫ぶという意味です。「南無阿弥陀仏」が名号であるとは、闇に沈む私に向かって、あなたのいのちは既にこのようにおさめ取りましたという阿弥陀如来の叫びであり存在の証なのです。
仏教は空を体験を理想としています。空とは「スーニア」と言いゼロのことです。ゼロの体験、すなわち私へのとらわれ、よこしまな価値観、分別への固執からの解放されることです。
 日本の女性で初めて宇宙飛行士となったのは向井千秋さんです。その向井さんが14日間の宇宙飛行から帰ってきたとき「地球にもどってきて、1枚の紙に重さがあることに、新鮮な驚きを感じました」とその印象を語っています。無重力の体験がその驚きを可能とさせたのです。
また、「その感動も地上の生活になれてしまうと薄らいでしまうでしょう。そのことが残念です」とも語っています。感動の薄らぎは、無重力体験の喪失でもあります。無重力を体験して、初めて重力のあることを知るのです。
 同様なことが念仏についても言えます。私が念仏を申し、仏の教えに耳を傾ける。この当たり前のような行動に、新鮮な驚きを感じ、ここに如来の働きと恵みがると受け取られたのが親鸞聖人です。
親鸞聖人のこの洞察は、無重力の体験によって1枚の紙の重さを感じたことと同様に、「成仏の可能性ゼロ」すなわち「無条件で救われなければ救われようのない私」であったという愚かさの体験と一体のものでした。当然と思っていたことが、当然でなかったことの体験です。
知性が分別を基礎としております。愚かさの体験を通して、その分別への固執から解放されていく。愚かな私が、無量寿という広いこだわりのない世界に開かれていく時です。 阿弥陀如来の光明は、お経の言葉となり、お姿となり、念仏となって私の上に届けられています。私の真実を照らし、そのありのままの私を、無量寿のいのちで包んで下さる慈しみの仏様です。
 心光照護とは念仏者の恵みであると共に、、阿弥陀如来の光明の働きを讃えたお言葉でもあります。 以上