親鸞聖人関東800年記念「み跡を歩く」

7区 平成26426日(土)快晴 (歩行者) 西方寺 西井幸子・椎木俊郎

第7区 レポート(しなの鉄道 大屋駅~御代田駅 21.0Km)

手記 椎木 俊郎

受付開始830分快晴のもと絶好のウオーキング日和、続々と言いたい所7名で

ちょっと拍子抜けの感じがしました。自己紹介で千葉3・茨城2・神奈川、東京、各1,
築地本願寺の方3人と判り皆遠くの方々で頼もしい限り(茨城1は伴走の方と判明)

恒例の集合写真,撮影には築地の若手2名が映っていませんが、撮影者と伴走車の準備の為です。

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名が交互運転でサポートとの事大変なので殿の幟持ちを交代しました。

大屋駅(標高450m)を出発し県道482号を千曲川沿いに南下し

旧北国街道に出ると
千曲川とはお別れです。

海野宿入口に差し掛かるとサプライズです。お姉さんが幟を見て話しかけてきました。

元安芸門徒
40年前お嫁に来て宗旨替えしたが懐かしくて呼び止めたとの事
3~4分話をしても話足らないようでしたが残念ながら打ち切り皆さんを追いかけました。

東御市海野宿は保存がよく感心しているとご夫婦の奥さんが元門徒だと言いつつ説明してくれました。40年前から街を上げて保存、管理に取り組んでいるからと、さも有りなん日本でも指折りの宿と思いました。

宿の外れに鎮守の白鳥神社があり800年記念に相応しい堂々とした欅の御神木に巡り会い
ご縁を感じました。

歩いていると昼食をとる小諸市の629m標識を発見しました。
街道沿いの桜や桃が満開近くになっており疑問に・・?上田は
4/20に桜祭りを終了今南下しているのにと??
どうも推測ですが
200m近く高くなったからではないかと思いました。

小諸の懐古園に到着、記念にバンが追いつくまではと記念の集合写真です。

愈々昼食、私ともう1人の方が昼食持参、後の皆さんは小諸蕎麦とは・・色々あります。

昼食後は遅れ気味の行程を縮めるべくもくもくと歩きました。
トイレ休憩に立ち寄った
コンビニで綺麗な姉さんが、
御盆に全員分のコーヒーをのせ無料でサービスしてくれ

今日は春から縁起が良い」と見栄をきりたい気持ちでした。
お礼に店員さんを囲んで
又集合写真です。

しばらく歩くと満開の枝垂れ桜遠くに浅間山、絶景に疲れを忘れる程感動しました。

程なく目標の御代田町774mの標識320m上った事になり花が綺麗なはずです。
御代田駅には定刻到着又集合写真を撮り無事を祝い合いました。

                              椎木 俊郎

 

手記   西井 幸子

スタートをしてじきに「千曲川」を右手に「海野宿」に入りました。

しばらくの間でしたが、宿場町の面影を残した街並みを歩き続けました。

26日は、息子の月命日なので参加させて頂きました。

この10年9ヶ月の経過は、西方寺さんとのご縁のお蔭で、
真っ暗な闇の中から徐々に
救われました。

毎月3日に開催される法話会で何度も涙を流し息子がお浄土に生まれ、
私達家族に
いつも寄り添っていてくれる事を感じています。

今御恩報謝の気持ち一杯で、黙々と歩いております。

同行の皆様とは前回にも増してお話を聴かせて頂きました。

国道沿いが多かったのですが幟を見て声をかけて下さる方に茨城東組のAさんは、

「伝道」をされていらっしゃいました。

暑さにバテ気味だったゴール前の休憩時には、「アイスクリーム」を振舞って頂き

お蔭様で全員無事にゴールが出来ました。

受付でいつも机を並べている椎木さんと今回初めてご一緒しました。日頃はゆっくり

お話しをする事もありませんでしたが、東北のボランティア活動の事など聞かせて頂きました。
年を重ねて不手際な事があっても、助けあってお手伝いをさせて頂く事を

約束して今日の歩行を終了しました。


親鸞聖人のみあとを訪ねて 越後から関東へ歩く 8

 

時  :427() 天候 晴れ 8行区 御代田駅~軽井沢駅 13,6km

参加者:椎木俊郎、松尾俊彦(参加者8名、事務局3名・合計11名)

手記 松尾俊彦

 御代田(みよた)駅に午前9時集合、準備体操、自己紹介、注意事項があり出発し

中部北陸道を追分宿へ向かい途中は浅間山(標高2,568m)を左に見てこぶし、

桜の下を歩き,追分宿に到着。

分去れの道標・「右従是北国海道 左従是中仙道」中山道と北国街道分岐点に位置する「分去れ」今でも賑わい。

ありし日の面影をとどめている。

右は北国街道姨捨山の「多毎の月」で知られる更科へ、左は中山道で京都へ、

そこから桜の名所、奈良吉野山へ向かうという意味がある。

宿内には問屋、本陣、脇本陣を設置し宿の西入口、この辺に枡形の道と土手を築いて宿内の警備取締をした。

今その面影を見ることはできないが当時桝形の地域内にあって

茶屋つるがや(桝形の茶屋)の建築にその昔をしのぶことができる。(軽井沢教育委員会・文化財審議委員会高札より)追分宿を出て借宿を進み中軽井沢駅に到着、

ここで昼食をいただき、午後1時出発し途中「軽井沢民芸資料館」を見学「道の文化史と軽井沢」では、縄文時代から近代までの実際の資料によって縄文時代の茂沢南石堂から、

東山堂、中山道と浅間三宿(追分・沓掛・軽井沢)を見学して午後230分全員完歩いたしました。

今回のみあとを歩くは、聖人様が帰られた道であろうと思いをはせられて歩きました。

   こぶし             旧中山道        軽井沢駅着       軽井沢民俗資料館

桜と浅間山             中軽井          中山道分岐
   

   今回の、レポートは映像多く取り入れました。         手記 松尾俊彦