親鸞聖人のみあとを訪ねて 越後から関東へ

時    : 412天候 快晴 第3区 妙高高原駅から牟礼駅まで  20,6km

参加者 :西井幸子、松尾俊彦(参加者名9名・事務局2名・合計11名)

 妙高高原駅に集合時間前、参加者全員揃い自己紹介、準備体操をしてから、側道に雪が残る道を出発。妙高山(標高2,454m,日本百名山、北信五山,上信越高原国立公園に属している)。関川関所跡を左に見て野尻湖を見ながらR18号歩き昼食休憩の道の駅「しなの」でおいしい信州そばをいただき元気をもらい午後の行進をいたしました。途中コンビニエンスストアーで随時休憩を取り、北国街道柏原宿の明専寺様に参拝しました。

明専寺内陣

貞應二癸未年正月三河国賀茂郡月原村に創立、其の後天正五 (1577)丁丒年越後国習禅寺村に移転(門徒信濃國水内高井群より)同十二年三月信濃國水内郡中村宿に移転慶長九年四月同國同郡普光寺村に移轉し猶寛永二乙丒年三月柏原村東浦へ移転し延寳元年六月現在地へ移轉。終北山明専寺縁起より

 副住職より、明専寺さん縁起、エピソード等拝聴いたしました。

親鸞聖人泥筆の九字御名号の寺宝があり、鏡如上人お手植えのヒマラヤスギ、勝如上人お手植えのイチョウが本堂左右にありました

。上杉謙信のお墨付きの書があり、お寺が守られたお話、小林一茶の菩提寺であり、文化
10年(1813年)正月、明専寺住職の調停で異母弟との間の遺産問題が解決して故郷の柏原村に定住するようになった。小林一茶の終焉の地でもあります。午後3時過ぎ、明専寺様を辞して一路ゴールの牟礼駅まで全員元気で完歩いたしました。
一茶終焉の地

一茶



   歴史の道  北国街道



親鸞聖人のみあとを訪ねて   越後から関東へ

3区  4月12日()  参加者  松尾俊彦  西井幸子

執筆者西井幸子

妙高高原駅(新潟県妙高市)から牟礼駅(長野県水内郡)まで  21.3km

9:00 妙高山の麓からの出発  

りんご畑と妙高山   

終北山  明專寺(みょうせんじ)様に参拝

茶菓の接待を受け、坊守さん手作りの漬物をご馳走になりました。摘みたての蕗のとうのみじん切りときゅうりの小口切りを一夜漬けの素であえてくださったそうです。とても美味しかったのでみんなで作り方を教えていただきました。ご住職は公務でお留守でしたので、坊守さんと副住職を囲んで記念撮影 

突然の訪問にもかかわらず、暖かく迎えていただきましたことを感謝申し上げます。明專寺は、俳人一茶の菩提寺であり、晩年をこの地で過ごしたそうで、多くの句碑が道沿いにありました。 

4:00 牟礼駅到着  

4区  4月13日()   参加者  西田裕三  西井幸子執筆者西井幸子

牟礼駅から長野別院まで  15.2km

8:40 茨城 安楽寺のAさんを先頭に出発 

世田谷 成勝寺(じょうしょうじ)のKさんが、明日83歳の誕生日を迎えられるということで「おめでとうございます」の声が上がり、趣味は全国を歩くことで仲間から「歩中(アルチュウ)の地方症(チホウショウ)」と云われているとお聞きし、大笑い。和やかな出発となりました。  2706(Kさんと下さん)

黒姫山をバックに 

高山寺境内で  

善光寺境内親鸞様の像の前で  

堂照坊  

3:10 長野別院に到着

「重誓偈」を唱和  

輪番の菅原様からご説明をいただきました。  

おかげさまで心安まる時を過ごせました。

4:15  八分咲きの桜の下で記念撮影をし、解散。昼食後に静岡 教覚寺のFさんと西方寺のNさんに差し入れをいただきありがとうございました。全員が元気で最後まで歩くことができました。

春の訪れを感じながらの歩行でした。聖人もまた格別な思いで関東への旅を続けられたことでしょう。

皆様の姿を通してみ教えのありがたさを学ばせていただきました。感謝申し上げます。

同行のお二人が紀行文を寄せられますので、雑感で報告させていただきました。



4区 平成26413日(日曜日) 快晴

JR牟礼駅(長野県上水内郡飯綱町豊野)からJR長野駅(長野県長野市)まで15.2キロ

○ 参加者総数10名、事務局築地別院2

西方寺参加者 ;西井幸子、西田裕三、

○出発;900分 到着;長野別院に変更・解散時1620分 

○手記 西田裕三

○ 出発後3キロ弱上り。「三本松」で北国街道に合流。北国街道は長野県軽井沢町で中山道から分岐し新潟県上越市までの街道で、江戸時代、善光寺参拝や佐渡の金を江戸に運ぶ街道として重要視されていた。親鸞聖人もこの道をお通りになったであろう。ここ三本松は峠状になっており見晴らしがよく、南側は到着地の善光寺平が見え今から歩くコースがなだらかな下りコースだと確認できた。北側を見ると左手から飯縄山1917m、戸隠山1904m、黒姫山2053m、妙高山2454m、斑尾山1382mの山々が独立峰となっておりそれを一望できるところだ。昔15歳の小林一茶が、江戸で俳諧を学ぶため故郷を離れるとき、ここまで父が見送りに来たという。一茶も故郷の山々にしばしの別れを告げただろう。句碑が建っていた。「父ありて あけぼの見たし 青田原」(現代語表記) 
 

○ 北国街道は、現在県道60号線で整備されているが、その右に左に旧道が残っている。その旧道を歩くコースだった。快晴、微風、初夏の暑さ。昼食は、あてにしていた蕎麦屋が閉店のため、コンビニでおにぎりを買いその駐車場でいただいた。

○ 善光寺には2時半前後に着いた。現在、善光寺は天台宗と浄土宗のお寺だが、境内や宿坊に残っている、親鸞聖人が関東に向われた際、善光寺に逗留されたという、言い伝えを見聞きした。  

○ 本願寺派長野別院に3時過ぎ到着。長野駅を変更して到着地点にとする。お勤めをし、ご輪番の法話を聴き、お茶をいただいた。親鸞聖人の銅像前でご輪番を囲んで記念写真を撮り、解散。