浄土真宗の仏事・おつとめ あなたの知りたいことは? 本文へジャンプ
お盆について

お盆は、いつ勤めるのですか。

お盆の時期は、地方によってちがいます。先日、福井に行った折、福井別院の輪番さんから「福井県では、福井市市内だけが七月のお盆です」と伺いました。また、大分の別府温泉でも、七月に勤めると聞いたことがあります。地方によって異なるということは、日時に意味があるのではなく、お盆をお勤めすることが重要だということです。

とはいっても、日時を定めないとお勤めできません。「盂蘭盆経」にある日時は、七月十五日です。餓鬼道で苦しんでいる母を救うために、お釈迦様の教えに従って雨期の修行が終ったその日に、修行僧に供養したとあります。

では七月十五日が正しい日なのでしょうか。

太陽暦を用いる明治以前までは、全国的にこの日を中心に勤まっていました。室町時代は七月十四〜十六日の三日間、江戸時代に入り、十三日〜十六日の四日間になったそうです。ところが明治に入り太陽暦を採用したため、今までどおり七月に勤める地方と、陰暦の七月にあたるひと月遅れの八月に営む地方に分かれたようです。

 京都、本願寺では八月十五日に行っています。この東葛地区(千葉県)では、七月に勤める方もいますが、八月の方が多数派です。臨機応変に、「八月は郷里で勤めるので、今年は七月に勤める」といった具合でよいと思います。

お盆は何のために営むのですか。

お盆は、盂蘭盆会(うらぼんえ)という、インドのサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したものだといわれています。お釈迦さまのお弟子の目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救うお経「盂蘭盆経」に由来しています。

 目連尊者はある時神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。 そこで、どうしたら母親を救えるのかお釈迦様に相談したところ、 お釈迦様は言われました。

「雨期の修行が終った七月十五日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが出来るであろう」。目連尊者はお釈迦様の教えに従い、諸僧に供養したところ、その功徳によって母親は極楽往生がとげられたとのことです。

 そのお経が元となり、(旧暦)七月十五日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となりました。

 盂蘭盆経は中国でできたお経だとも言われます。中国の風土に起因する農耕儀礼や祖霊祭祀と仏教が融合してこのお経を生み出したものでしょう。お盆はご先祖さまのお陰であると感謝の営みと仏教が合体した法要のようです。


何故、僧を供養すると、母や先祖が救われるのでしょうか。

修行僧たちに供養することで、なぜ母が救われたというと、目連尊者が仏を敬う人を供養する姿を通して、母がはじめて仏教の尊さに気付いたからです。物では人は救えません。人の心を開き、心境を転換させるのは、物ではなくて仏の説かれた法(真理)です。法に帰依し、真実の道理に心が開かれたとき、自己中心的な心から開放され、餓鬼道から救われるのです。

 


お盆は、いつ頃から行われているのでしょうか。

日本において、朝廷で行われたのは推古天皇(606年)十四年七月十五日斎会を設けたのが初めてとされ、斎明天皇(657年)三年七月十五日飛鳥寺で盂蘭盆会が催されたとあります。経典と共に、お盆の行事も、わが国に入ってきたものでしょう。

 江戸時代以前のお盆行事は武家、貴族、僧侶、宮廷の上層階級で主に催され、一般庶民に広まったのは江戸時代のようです。江戸時代に入ると庶民の間にも仏壇やお盆行事が普及しました。

「盆と正月」と言われるように、江戸の時代、お正月とお盆には奉公人が休みをとって実家に帰ることが出来る時期で、これを「藪入り」と言いました。当時は、仕事を見習うために、職人・商人ともに、十三・四歳頃から師匠や商家を選んで丁稚奉公にでたものです。丁稚たちは例年、正月や盆の薮入りに主人から衣類万端与えられ、小遣いをもらって親許へ帰ります。

 この時期はまた、他家に嫁いだ女性が実家に戻ることの出来る時期でもあり、今以上に「盆と正月」は、大切な行事と考えられていたようです。


浄土真宗での、お盆としきたりは?

 

A 本願寺新報(第2663号)に、お盆について記事になっていたので、そのまま紹介します。(以下本願寺新報記事)

浄土真宗のお盆の荘厳は、 各地の風習もざまざまで、迷ってしまう方も多いと思いますが、結論から申しますと、浄土真宗ではお盆用の特別の荘厳はありません。お盆独特の荘厳がないということが浄土真宗の特色、とも言えるでしょう。

浄土真宗にとってお仏壇とは何かを考えると、そのことはハッキリとわかります。お仏壇は先祖をおまつりするものではなく、阿弥陀如来をご本尊として安置するところ、信仰生活の上で最も大切なところです。ここがポイントです。

その阿弥陀さまによって私が救われていくのであり、今は亡き先祖を救われたのも、他ならぬ阿弥陀さまです。亡き先祖を追悼することを通し阿弥陀さまのみ教えに出遇ったならば、先祖が今生の命にかえて伝え残してくれたのが私目身を救って下さる阿弥陀さまの救いの法、み教えであると、味わいたいものです。

そのみ教えに出遇った喜びをかみしめ、それに遇わせて下さった先祖のご恩を思う−それが浄土真宗のお盆です。決して先祖が帰ってくる日ではないのです。

ですから、お仏壇の荘巌はご先祖に対して行うものではないのです。「故人が好きで・・・」とお酒やタバコなどを供えるのは故人を偲んでのことだとは思いますが、お仏壇にはふさわしくありません。

 

具体的な荘厳は

@法事に準じ、お仏壇に打敷をかけ、灯(灯明)、香(お香)、華(花)

Aお供物は餅、菓子、果物など

B精霊棚(それに供える足の付いたキュウリやナス、精進料理のお膳など)は先祖を供養するためのものであるので、浄土真宗では用いない

C迎え火、送り火は不要(提灯も霊がかえってくるための道明かりと考えると筋違い)。

以上が、本願寺でお勤めするお盆のしきたりです。


浄土真宗のお盆は、通常のごとくでいいと言われますが、先祖や仏様のために何かしたいという思いがありますが。

そうですね。浄土真宗では「しなければならない」ではなく、「する必要がない」ものが沢山あります。精励棚や先祖が餓鬼道に落ちているという発想からくるもろもろです。しかし「感謝の営みからする」ことは沢山あると思います。どこまでお盆の行事に楽しみや感謝の思いを持ち込めるかということです。少し思いつくところを列記してみましょう。

・夏用の打敷(三角の仏壇用テーブルクロス)掛けましょう。打敷には夏用と冬用があります。涼しい夏用を求めてはいかがですか。

・旅行に行ったとき求めた絵柄つきローソクを灯す。

・お盆に供えるべく野菜やお花を自家栽培する。それをお供えする。

・正しい正信偈や行譜の正信偈を練習し、お盆にお勤めする。

・仏前にケビョウという、正しい仏器を整え、そのケビョウに水を入れしきみを挿してお供えする。(本来、日常的にお供えするものですが、お供えしていない家庭ではこの機会に求めては)

・感謝の思いから正信偈や、阿弥陀経を写経して、お盆にお供えする。

・朝のお勤めの後に、歎異抄などの親鸞聖人の語録を拝読する。

・お盆の法話会に参加し、身の幸せを喜ぶ。

・お盆に、今年前半期の反省をする。

などなど、どこまでそのご縁を豊かなものとさせて頂くかがキーポイントです。


盂蘭盆経の内容は、

盂蘭盆経を読んで見ましょう。

 

こう聞いています。お釈迦様はある時祇園精舎におられました。目連が初めて六神通を得て、今は亡き父母に何かできないかと思った。その霊視力で探した所、母が餓鬼たちの中にあり、飲食も取れず骨と皮の状態であった。目連は悲しみ、すぐ鉢に御飯を盛って、母のもとへ持っていきました。

母は御飯を得て、左手で鉢を支え、右手で御飯を食べようとしますが、口に入れる前に炭に変化してしまい食べることはできませんでした。

目連は大いに泣き叫び、お釈迦様の所に帰って、このことを報告しました。

お釈迦様は言います。あなたはお母さんの罪は重かったようです。あなた一人の力ではどうにもできない。あなたの孝順の声が天地を動かし、天や地の神々、邪魔や外道・道士に四天王まで動かしてもどうにもならない。

まさに十方の修行している僧の総力が、集まれば解脱することができるでしょう。これからその方法を教えますから、それで苦しみや罪も消えることでしょう。

  お釈迦様は目連にこう言いました。十方の衆僧の七月十五日の僧自恣の時、まさに七世の祖先から現在の父母まで、 厄難中者のために下記の物をお供えしてください。御飯、多くのおかずと果物、水入れ、香油、燭台、敷物、寝具。世の甘美を尽くして盆中に分け、十方の大徳・衆僧を供養しましょう。

この日、全ての修行者は、或いは山間にあって坐禅し、或いは四段階の悟りを得、或いは木の下で歩き回り、或いは六種の神通力で声聞や縁覚を教化し、或いは十地の菩薩が大人により、比丘の姿を借りて大衆の中にあるも、みな同じ心で、この御飯を頂けば、清浄戒を守って修行する人たちの、その徳は大きいでしょう。

これらの供養を自恣の僧にすれば、父母も先祖も親族も三途の苦しみを出ることができて、時に応じて解脱し、衣食に困らないでしょう。まだ父母が生きている人は、百年の福楽が与えられるでしょう。

もう既に亡い時も七世の祖先まで天に生じ、自在天に生まれ変わって天の華光に入り、たくさんの快楽を受けられるでしょう。

その時お釈迦様は十方の衆僧に命じます。(七月十五日にそのようにお布施された時)まず施主の家のために呪願して、七世の祖先の幸せを祈り坐禅をして心を定め、しかる後に御飯を頂きなさい。

初めて御飯を頂く時は、まずその家の尊前に座って、みんなで祈願をしてから御飯を頂きなさい、と。

その時目連や集まった修行者たちは、皆大いに法悦に包まれ、目連の鳴き声もいつしか消えていたのです。

この時目連の母はこの日において、一劫も続く筈だった餓鬼道から救われました。僧たちと一緒になった供養により、目連のお母さんは無事往生することができました。そこでこれに感激した目連は、この習わしを後にまで残したいと申し出ます。

この時目連はまたお釈迦様に言いました。私を生んでくれた父母は仏法僧の功徳の力をこうむることができました。

衆僧の威神のような力のお陰です。将来の全ての仏弟子も孝順を行う者はまたまさにこの盂蘭盆を奉じて父母から七世の先祖までを救うことができます。

そのように願って果たされるでしょうか。お釈迦様は答えて言います。いい質問です。今私が言おうと思っていたことです。

善男子よ、もし僧、尼、国王、皇太子、王子、大臣、補佐官、長官、多くの役人、多くの民衆が孝慈を行おうとするなら、皆まさに生んでくれた父母から七世の祖先までの為、七月十五日の仏歓喜の日、僧自恣の日において、多くの飲食物を用意して盂蘭盆中に、十方の自恣の僧に施して、祈願してもらうのです。現在の父母の寿命が伸びて病気も無く、一切の苦悩やわずらいも無く、また七世までの祖先は、餓鬼の苦しみから離れ、天人の中に生まれて福楽が大いにあることを。

お釈迦様は善男善女たちに告げて言いました。この仏弟子で孝順なる者は、まさに念念の中に常に父母を思い七世の父母までを供養しなさい。毎年七月十五日に常に孝順の慈をもって両親から七世の祖先までを思い、盂蘭盆を用意して、仏や僧に施して、父母の長養慈愛の恩に報いなさい。

もし一切の仏弟子とならば、まさにこの法を奉持しなさい、と。

この時目連をはじめとする男女の出家・在家は、お釈迦様の話に歓喜し奉行しました。

以上が仏説盂蘭盆経です。