東京ビハーラ『がん患者・家族かたらいの会』23.5月号掲載

苦しみの先にあるもの

ーがん患者・家族の語らいの会・過去・現在・未来―

 

世話人 西原祐治

 

超宗派から浄土真宗へ

「がん患者・家族語らいの会」は、19988月から始まりました。築地本願寺の協力をいただき、毎月一回開催されて、23年になります。その間、多くの方が参加され、そして多くの別れを体験してきました。

「がん患者・家族語らいの会」は、発会当初より集いの内容は変わっていませんが、会のバックボーンである主催団体は変転して今日に至っています。 その流れは次の通りです。

1.
昭和63年8月 仏教ホスピスの会主催として第一回開催
* 仏教ホスピスの会は、仏教情報センターの一部門の会であり、開催当初は、各宗の僧侶が参加していた。

2.
 平成6年4月 仏教情報センターから「東京仏教ホスピスの会」として独立して、第81回「がん患者・家族語らいの集い」を開催。同時に、浄土真宗東京ビハーラは、平成6年4月より、「東京仏教ホスピスの会」とは協力関係を保ち、両会の共催という形式で集いが継続されてきた。

3.
平成13年3月、「東京仏教ホスピスの会」の解散にあたり、東京ビハーラが主体となって集いを継続してきた。

 このバックボーンの変転は、単に組織的な変転のみではなく、会を支える考え方の変転でもあります。特に超宗派の団体である仏教情報センターからの独立は、会の活動や理念が純化の方向へ向かった表れでもありました。

 

苦しみに関わることが出発点
 集いが始まった昭和60年のころは、脳死問題を主とする生命倫理など、いのちの問題がクローズアップしてきて時代です。昭和60年に田宮仁先生が、西洋のホスピスに代わる言葉として“ビハーラ”を提唱され、また本願寺派においても翌61年頃からビハーラ活動が論議され、ビハーラ実践活動研究会が発足するのが昭和634月です。まさにホスピス活動やビハーラの胎動期でした。
 こうした胎動期の活動は、災害時の救助活動も同じですが行動することに意味があります。とりあえず現場が大事で、そしてすることに注目が集まります。現場の「苦しみ」に関わることが重要なのです。
 ところが時間の経過とともにする団体が多くなってくると、すること以上に、何のためにといった理念や目的が問われてきます。初期の活動はすることそのものが目的であってよかったのです。活動が落ち着いてくるとすることは手段であり、することを通して何を実現するのかという本質が問われてきます。
 その問題意識の変化が,主催団体の超宗派としての仏教情報センターからの独立であったともいえます。 もとより、当初より、その本質的な理念が明確であれば、その理念を中心に超宗派の人々が集まり、切磋琢磨することも可能であったと思われますが、歩きながら考えてきたというのが本当のところでしょう。

「する」ことの意味

浄土真宗の念仏者の中にはすることに拒否反応を持つ人もいます。他力の念仏に帰依する人の中には、善を積むことをきらい、また善行はできないと、偽善、自利を警戒する思いがあるからでしょう。しかし無関係の人と人が交わりを持つたまには、することを通してしか関係が結ばれていきません。

“する”ことの役割について、1つの思い出があります。10年前に父が3度目の脳こうそくで、子どもである私のことや自分自身のことがまったく理解できなくなった時があります。私は父の寝室にいて関係を持てないもどかしさ、居場所のなさを感じました。その時することは、私がそこにいるためにするのだと理解しました。ひげをそってあげる。爪を切ってあげる。そうしたすることを通して、私が安心してその場所にいることができるのです。
「がん患者・家族語らいの会」という会は、傾聴を大切にしています。苦しみを聞くという傾聴することを通して、患者や家族など苦しみの中にある人たちに私が近づいて行くのです。することは手段であり、することを通して、その先にあるものに触れていくことが重要です。ではその先にあるものとは何か、私の思いを申し上げます。

眼差しを深めていく

人は失ったときに、有り難しという世界に気づくことがあります。この有難しという死や失うことによって明らかに見えてくる領域に関心を持ち、その気づきをより深めていくことです。
 あるがん患者が「毎日がジャンボ宝くじに当たったような気持ち」と言われたことがあります。限りある命であることを告げられ、その残り少ない日々を過ごしている心境を語った言葉です。死ぬことが明らかになったとき生きている価値が明らかになります。しかしこの有り難いという思いも、健康を回復し死の不安がなくなったときには、元の木阿弥になります。有難しという思いは、大切な心持ですが、“ある・なし”という私の分別心を超えていないと、その思いそのものが、時には優越感にったり、劣等感になったり、あるいは健康になったときには失われてしまいます。
 これは物の豊かさについても同じです。貧しさを体験的に知っている人は、物の豊かさを知ることは容易です。ないことがあることを際立たせるからです。しかし豊かさの中に生まれ、豊かさのなかで過ごしている人が、恵まれていること、豊かさであることを有難いと知ることは容易ではありません。それは豊かさを有難いことであると知る精神性が問われるからです。

同様に先祖の恩も同じことでしょう。農村地帯で暮している人は、精神的にも物質的にも先祖のお陰にどっぷりつかって生活しています。そうした状況下では先祖のお陰に感謝することは容易です。ところが現代のように、家庭生活の中で、物質的に先祖の痕跡を見出すことすら難しい状況にあると、先祖のお陰を仰ぐには、健康の有難さ恵まれていることの有難さ同様に深い精神性が求められます。その精神性とは、感謝できるそのこと自体が勝たれた心であるという考え方や価値観に開かれていることです。

  苦しみの意味

“有難しという心の領域を、ある・なしの分別を超えた世界まで、どう深めていくか。その機縁となるのが苦しみの体験だと思います。苦しみとは「思い通りにならない」ことです。「思い通りにならない」という内容を大雑把に言うと、職を失う、財産を失う、健康を失うと言った、私の○○が思い通りにならないという苦しみと、私の○○ではなく、私そのものが苦しみとなるという2面があるようです。私の○○が思い通りにならないということから、私そのものが問題として意識されていく。それは皮相的な対象を起因する苦しみから、構造的な問題へと意識が深まっていくと言ってもいいかもしれません。この構造的な問題から来る苦しみこそスピリチュアルペインという言葉が問題としている領域なのだと思われます。
 またこの構造的な問題に起因する苦しみをどう理解するかによって、解決の方向も違ってきます。私は、この構造的なものへの苦しみこそ、不完全さの疼(うず)きであり、真実からの働きかけによって生じる痛みであると理解しています。この苦しみの解決が、 思い通りにならない苦しみの中で、思い通りにならない現実を拒否して止まない自分への執着から解放へと向かわせるからです。

 そして結論を言えば、その苦しみを通して、苦しみの底に流れている「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし」という人としての真実に触れていくのです。その構造的な問題への苦しみが「清浄の心なし」の体験に突き抜けるとき、苦しみに受容が起こります。
 もっと簡単にいえば、自らの凡夫性、愚かさ、不完全な私が明らかになる時、ものの見方・価値観に転換がおこるということです。

苦しみの中で、自らの凡夫性が開示される。それ同時に大悲や自然の働き、社会の恵みなどが明らかになり、自分を超えたより大きな世界にゆだねる時でもあります。

苦しみ(思い通りにならない)は失恋や失敗や病気でも体験しますが、死に直面して起こる苦しみこそ、最も大きな自我の危機の到来であり、この自我の危機こそ回心の機縁となるのです。

浄土真宗的に言えば、苦しみを通して苦しみの原因である自我の愚かさが明らかになり、どうにもならないままに、どうすることも必要のない大悲に開かれることです。

 

“する”この中身は“しないこと”

人は、苦しみを機縁として自分の不完全さ、愚かさが明らかになることは、先にお話しした“有難し”という心の領域も、ある・なしの分別を超えた世界へ深まっていくようです。

そのためには、その人と関わる人が何をするのか。結論から言えば、何もしないことです。何もしないことを積極的な言葉でいえば、私の価値観や経験をもって、推し量り、相手を変えていく努力を放棄することです。

この度の東日本大震災の中で“サイレントタイム”という言葉が報道に登場しています。サイレントタイムとは、災害や大事故の際に、取材のためのヘリコプターなどの重機の使用を一定期間自粛し、静かな時間をつくることです。

サイレントタイムとは、1995年の阪神淡路大震災の際、取材のためのヘリコプターが多く飛び交ったことで、倒壊した家屋の下敷きになった救助を求める人々の声が聞こえなかったという問題があったために、サイレントタイムが日本で導入が叫ばれるようになったそうです。

しかしこの考えたかは古くからあります。

世界の広海を行き交う船は、小さな力弱い船の発信しているSOSを受信すれために、定まった時間に数分間、一斉に通信を中断したと聞いています。もしかしたらと耳を傾ける中に、出力の弱い、小さな船が見出される様子が思われます。何もしないことの積極的な意味は、この航海の約束に似ています。相手の苦しみを聞き、その苦しみを解決しようとせずに、苦しみの中に隠れている本当のことに関心を持ちつつ聞かせていただく。そして本当のことに触れているという実感を私がもったとき、そのことを感じたままに伝えるのです。

その何もしないことことの中にあるもっと大事なことは、なにもして差し上げられない人をも尊厳を持って見ていけるということです。そして苦しみに寄り添うのです。“何もしないこと”のより本質的なことは、何もできないという自らの不完全さ・能力の限界を認めることでもあります。それが苦しみの中にある人に寄り添うことによって明らかになってくるということです。

死に起因する苦しみは何れも自我の危機による痛みであって、仏教(浄土真宗)いえば、迷いを生きてきたことからくる苦しみです。このことは、寄り添う人においても同様であり、寄り添う人もその関わりにおいて、自分の価値観で相手を推し量るという自分自身への執着を手放していくのです。

“これから”

病気や死の自覚という経験の中で洞察される「自分自身に対する過信や慢心、自身の価値観への固執」は一過性のものではなく、その体験を通して、その底にながれている「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし」という人としての真実に触れていく。それは私がビハーラ活動に携わる最も関心のある部分です。

 

その実践は、単にビハーラに限るものではなく、これから浄土真宗が現代に力強く伝道されていくためには、中心的な伝道ソフトになるものだと思います。

人は苦しみを通して、ある種の洞察を得て真実に触れていく。その考えを、実践の中で展開していくことが、ビハーラの“これから”だと思っています。

それは同時に、社会が、たとえば終末期のように何もして差し上げることのできない、社会的にみて価値がないと思われる人をも、敬って行ける価値観に開かれていくことであり、人間の能力の限界を見つめることでもあるのです。