安楽死を考える

まずは結論

私は、この死を自己決定することに対して、二つの疑問があります。
 一つは、死の自己決定は、知性への信頼により成り立っています。はたして、人間の知性は、自分の死をゆだねるだけ信頼できるのか。
 二つには、自分の命だから自分で決めるという、命の私物化を助長してしまうのではないかという疑問です。
 浄土真宗では、無量寿としてのいのちへの目覚めを説いています。私のいのちは私のいのちであるままに私のものという限定を越えた尊厳を持っているのです。
 そうした尊厳のあるいのちを、殺という形で死を自己決定する。私はこの安楽死容認の問題は、無我を説き、いのちの私物化を否定する仏教や浄土真宗の教えにはそぐわないと考えています。

一方、日本尊厳死協会(1976年1月に産婦人科医師で、国会議員であった故太田典礼氏を中心に医師、法律家、学者、政治家などの 同志が集まって設立)の目的は、自分の傷病が今 の医学では治る見込みがなく、死が迫ってきたときに、自ら「死 のありかたを選ぶ権利」を持ち、そしてその権利を社会に認めて もらおうというものです。つまり、尊厳死運動とは、自己決定は自分の死まで及ぶという人権確立の運動なのです。




 数年前、がん患者のIさんに「今の心境は」と尋ねたことがあります。肺がんを患い年単位と言われ一年くらい経っていました。Iさんは「毎日がジャンボ宝くじに当たったような気持ち」と云われます。その意味は、自分の最も欲しいものが、朝めざめると手の中にある。一日を迎えた嬉しさをジャンボ宝くじに例えたのでした。
 Iさんに限らず、がん患者の方々に接していると、今・ここが私のすべてという輝きに触れることができます。そうした輝きは、病気を体験し死を自覚したことが、大きな要因になっているようです。
 ところが現代社会は、病気や死を否定し、苦しみや悩みのないことを理想とし、都合の悪いことを切り捨てていく文化が旺盛です。都合の悪いことはないに越したことはないが、それが唯一絶対であるとなれば話は別です。私には安楽死の問題が、都合の悪いことを切り捨てていく文化そのものであり、安楽死を容認すると大切なものが失われていくように思われてなりません。
 日本は永年「お国のため」と自分を犠牲にし、国や団体の利益を優先する社会でした。しかし近年、国や集団の利益より、個人の価値観や幸福を第一に尊重する社会へと移り変わってきました。
 個人の価値観を尊重する。それは「自分のことは自分で決める」(自己決定権)ことの尊重でもあります。ある状況下で自分で自分の死を決定する権利を認める。安楽死容認の問題は、自己決定権をどこまで認めるのかということでもあります。
 まずは安楽死の定義ですが、一般的にいって安楽死には積極的安楽死と消極的安楽死とがあります。積極的安楽死とは、不治の病で耐えるがたい苦痛にさいなまされた末期患者が、苦痛の緩和や除去を真剣に希望した場合、死亡させることによって苦痛を除去することです。
 消極的安楽死は、同様な状態にある末期患者が、苦痛の緩和や除去を真剣に希望した場合、モルヒネなどを使って苦痛緩和の処置を取った副作用として、死期を早めてしまうことです。(以上読売95/3/28)
 日本における安楽死の容認の問題は、一九六二年の名古屋高等裁判所の判決もありますが、昨年三月の横浜地検の東海大病院事件判決で示された、安楽死容認の四要件があります。
 四要件とは、◇患者の絶え難い肉体的な苦痛 ◇死が避けられず、死が切迫 ◇患者の肉体的な苦痛の除去・緩和するために代替え手段がない ◇患者の明確な意思表示です。
 しかし横浜地検の判決が、そのまま現在日本の安楽死に対する考え方ではありません。
 安楽死を容認する人は、人間には死ぬ権利があるという安楽死を人としての権利で考える見方と、死に際して人間の尊厳が尊重されるべきだという考え方があるようです。死の権利の主張は、個人の権利は国の制約の中にありますから、どこまで個人の権利が許されるのかというその国も文化全体の問題でもあります。また人間の尊厳の問題は、何をもって人間の尊厳とするかといった宗教の問題でもあります。人間の尊厳の尊重が、単に「知性的人間らしさの尊重」に留まるならば、脳性マヒの方や、痴呆症の人の上では尊厳は成立しないことになります。
 安楽死は死を選ぶことです。生と死のどちらが良いかを考え、比較して死を自己決定します。
 私は、この死を自己決定することに対して、二つの疑問があります。
 一つは、死の自己決定は、知性への信頼により成り立っています。はたして、人間の知性は、自分の死をゆだねるだけ信頼できるのか。
 二つには、自分の命だから自分で決めるという、命の私物化を助長してしまうのではないかという疑問です。
 浄土真宗では、無量寿としてのいのちへの目覚めを説いています。私のいのちは私のいのちであるままに私のものという限定を越えた尊厳を持っているのです。
 そうした尊厳のあるいのちを、殺という形で死を自己決定する。私はこの安楽死容認の問題は、無我を説き、いのちの私物化を否定する仏教や浄土真宗の教えにはそぐわないと考えています。





安楽死 西原レポート

安楽死の定義
苦しい生ないし意味のない(と思われる)生から患者を解放するという目的のもとに、意図的に達成された死、ないしその目的を達成するために意図的に行われる「死なせる」行為。

安楽死の区分
 行為の手段に関する区分
積極的安楽死 〈死なせる(殺す)こと〉
消極的安楽死 〈死ぬに任せること 〉
大方の傾向は前者に対しては認めないか、認めるとしても厳しい条件をつけるが、後者(治療しないこと)に対しては相当許容するようになりつつあり、とくにこれを「徒な延命治療はしない」と表現するならば、理屈としては大方が認めるようになりつつあるというのが日本の現状である。

ナチスの国家的安楽死
ヒットラーは、1939年9月1日宣戦布告の日にユダヤ人を遺伝学的に無価値・有害と決めつけ、政令<慈悲による死>に署名し制定、約数十万のユダヤ人をガス室で虐殺した。アウシュビッツの大義名分に使われた言葉が<慈悲による死>=「安楽死」なのである。安楽死という言葉はナチスドイツによって、本来の意味を歪められた。戦後のニュルンベルグ国際軍事法廷で、戦犯はあくまでユダヤ人の自殺を主張したが、虐殺事件として処罰判決が出された。
  
諸外国(オレゴン州を除く)に見る安楽死の流れは、個人の尊重(自己決定権の尊重)にたっている。しかしキリスト教文化圏の中で、自己決定権は自殺まで及ばないという価値観の中で、安楽死は緊急避難的(だめだけど仕方がない)一過性のものとして、罪だけど条件を満たせば曽於罪は問わないと云う形で処理されている。それは安楽死肯定が、死を取り巻く文化の変容に及ぶものではないという歯止めのように思もわれる。
 
高瀬舟にみる安楽死
 大正五年、森鴎外は「高瀬舟」を発表している。「高瀬舟」は安楽死を扱ったもので、医者である鴎外自身、高瀬舟縁起の中で「ユウタナジイ」という言葉で、医療における安楽死の問題をして記している。もうこの時代に、医療の世界で安楽死が論じられていたのである。
 さて「高瀬舟」の内容を手短に紹介してみましょう。幼少の頃、両親を失った兄弟が、青年となり助け合って暮らすが、弟が病気となり兄ひとり西陣で働く。弟は、自分の存在が兄に負担をかけていることを心苦しく思う。ある日、兄がいつものように帰ってくると、弟は血だらけになって布団の中にいる。兄が血でも吐いたのかと聞くと、死のうとして死にきれずに苦しんでいる。「高瀬舟」からそもまま引いてみましょう。
『済まない。どうぞ堪忍してくれ。どうせ治りそうもない病気だから、はやく死んで少しでも兄貴に楽がさせたいと思ったのだ。笛(ノド)をきったらすぐ死ねるだろうと思ったのだが息がそこから漏れるだけで死ねない。…物を言うのがせつなっくていけない。どうぞ手をかしてくれ』という。兄が医者を呼ぼうとすると、『医者がなんになる。ああ苦しい、早く抜いてくれ、頼む』と恨めしそうな目付きで催促をしてやまない。ついに兄は、手を貸してのどに食い込んでいる剃刀を引き抜き、弟は、それによってこと切れるという物語である。

名古屋高等裁判所の判決
1962年にこの事件は起こった。
病気で苦しんでいた父親を息子が毒殺したのである。
これについて名古屋高裁は、判決の中で次の6つの条件を示し、それが満たされる場合には安楽死として認める場合があると判断した。
・現代医学では不治で、死が目前に迫っていること
・病人の苦痛が誰からも見るに忍びないこと
・苦しみから救うことが主な目的であること
・本人の真剣な嘱託と承諾があること
・特別な事情を除き医師の手によること
・方法が論理的に妥当なこと

東海大学「安楽死」殺人事件
1991年4月13日、神奈川県伊勢原市にある東海大学医学部附属病院で、58歳の男性が死亡した。その男性は、発病後の生存期間は2年ないし3年で効果的な治療法はまだない「多発性骨髄種」という血液ガンに冒されていた。
患者の家族は、意識のほとんどない患者自身が点滴や導尿を希望していないという理由で、それらの行為を中止するように医師に嘆願した。医師は始めは「最後まで最善を尽くすのが医者としての務め」として断ったが、家族の強い希望により、看護婦に治療の中止を指示した。患者の意識がなくなってからも家族は、苦しそうな患者を楽にするように医師に再三要請し、結果として医師が2度の効果の無い注射の後「塩化カリウム」を患者に注入して死なせたのである。
この事件においては明らかに、名古屋高裁の示した6つの条件のうちの4つ目である「本人の嘱託と承諾」が満たされていないことがわかる。そのため横浜地検が医師を殺人罪で起訴し公判が行なわれたが、患者の家族は「注射の中身を知らなかった」ということで刑事責任を問われなかった。
しかしこの事件は患者の家族の強い要請により医師がプレッシャーを感じて行動に移った結果であり、しかも医師は利害の当事者でなかったことを考えると、公平さに欠けるように思われる。
1995年4月28日、横浜地裁は、積極的に安楽死が容認される4つの要件を示した。
・患者に耐え難い苦痛がある
・患者の死が避けられず、死期が迫っている
・他に患者の肉体的苦痛を緩和する方法がない
・患者本人の意思が明確である。

[日本尊厳死協会の設立目的]
 
日本尊厳死協会は、1976年1月に産婦人科医師で、国会議員であった故太田典礼氏を中心に医師、法律家、学者、政治家などの 同志が集まって設立されました。 その目的は、自分の傷病が今 の医学では治る見込みがなく、死が迫ってきたときに、自ら「死 のありかたを選ぶ権利」を持ち、そしてその権利を社会に認めて もらおうというものです。つまり、尊厳死運動とは、人権確立の 運動なのです。

 日本尊厳死協会は、治る見込みのない病気にかかり、死期が迫ったときに「尊厳死の宣言書」(リビング・ウイル)を医師に提示して、人間らしく安らかに、自然な死をとげる権利を確立する運動を展開しております。
 リビング・ウイルとは、自然な死を求めるために自発的意志で明示した「生前発効の遺言書」です。その主な内容は
○ 不治かつ末期になった場合、無意味な延命措置を拒否する
○ 苦痛を最大限に和らげる治療をしてほしい
○ 植物状態に陥った場合、生命維持措置をとりやめてください
というものです。
 日本尊厳死協会ではこのリビング・ウイルを発行しており、入会希望者はこの書面に署名・押印し、それを登録・保管しております。登録手続きが完了すると会員証と証明済みのリビング・ウイルのコピーをお渡しいたします。
尊厳死協会の部分については、インターネット「日本尊厳死協会」より


* 2001年4月10日 オランダ安楽死を合法化

  米国オレゴン州にも、安楽死を認める法律があるが、オランダは国家レベルで初めて安楽死を合法化した。今秋にも施行される予定。