清風77号 (21.8.1発行)

1項
仏様のものさし

過般の仏教講演会では、ひろさちや師の「仏さまのものさし」という題でのお話しでした。私のものさしは努力して成果を求めるという方向です。仏さまのものさしは、努力して成果が得られなくても、その存在を認めていこうというものです。

 師は講演のなかで北野禅師の逸話を紹介されていました。
 永平寺に昔、北野禅師という人がいた。その人は実家が福井県で、東京で修行していた。あるとき母親が病気になったので一時帰省して、看病をした。それで母親の病も癒え、いよいよ再び修行に出るときに母親にこう言ったそうです。

「お母さん、もし私が破戒坊主になって堕落したら、二度とこの家の敷居はまたぎません。その覚悟で修行してきます」
すると母親は、「バカなことを言うんじゃない。お前が立派な高僧になって世間の人がちやほやしてくれるようになったら、こんな家などさっさと忘れなさい。でも、もしお前が堕落して、人から後ろ指をさされるようになったとしたら、そのときこそ戻っておいで。玄関から入ってくるのが恥ずかしければ、窓ガラスを破ってでも帰っておいで。お母さんはいつでも待っているから」と言ってくれた。
その言葉が励みになって北野禅師は修行に励んだのだそうです。
 この世の中に努力しても報われないことが山ほどあります。その努力しても報われなかったことも認めていこうとするところに一つも道があります。

 浄土真宗のお経には、人の生き方が示されていません。人の生き方ではなく、どうあってもあなたを捨てることのない仏がいると阿弥陀如来の存在が告げられています。それは北野禅師の母のように、人びとから見捨てられる存在であっても、かけがえのない存在として慈しんでいける、ここに慈悲の心があります。
 阿弥陀さまが、私に生き方を示されなかったのは、人のものさしで私をご覧になったのではなく、仏さまのものさしで私を見て下さったのです。その仏さまのものさしに開かれ生きていくことが浄土真宗という仏道です。

2項 おかげさまが見える

渋谷のザミュージアムで開催されている「奇想の王国だまし絵展」が人気を博している。
だまし絵とは、角度を変えて見ると絵が変化したり、見た瞬間、そこに本物があるかのように見える静物画などさまざまです。
 だまし絵の代表に「老婆と貴婦人」がある。老婆だと思ってみると老婆に、貴婦人だと思って見ると貴婦人に見える絵です。
 見えない人に少し解説をすると、老婆に見えるときに目の部分は、貴婦人に見えるときは耳に見えます。老婆の口に見える部分は、貴婦人の首に見えます。貴婦人のあごが老婆の大きな鼻です。
 
 ものの見え方が、表の部分と影の部分がチェンジする。これは私たちの人生の上にもあることです。例話で考えてみましょう。

たくわん漬けは、沢庵和尚が発明したもの。このたくわんで説明すると、なぜ、沢庵和尚の手柄になったかというと、沢庵和尚が出るまでは、糠(ぬか)は漬物に使えなかった。江戸時代以前は、ご飯は玄米を食べていたので、糠は、女性のおしろいとして用いていた。それが江戸時代となり、世のなかが平和になり、中国から殻臼(からうす)が入り普及して、白米を食べるようになる。白米を食べるので糠が豊富になった三代将軍の頃、沢庵和尚が糠に大根を漬けて、それが普及したとのこと。かくて、沢庵和尚は、沢庵漬けの創始者のごとく漬物の世界で有名となるに至った。
 国民が白米を食べ糠が豊富になる。その国には漬物の歴史があり、おのずから、糠に大根を漬け、大根漬けが生まれる。これは歴史の必然です。これが影の部分です。
 ところが、丁度その頃、生まれ合わせ、漬物に興味がった男が、糠に大根を入れてみたら、うまい漬物ができた。これは偶然でこれが表です。
 この世のなかは、必然(影)と偶然(表)の織りなす絵巻物です。ところが人は、影の部分には無頓着で、偶然のできごとを自分の手柄とします。
 ところがある時、老婆と見えていたものが貴婦人に見えるように、影と表の部分が入れ替わるということがあります。こころがより大きな世界に開かれていくことです。心の転換ともいうべきものです。
 そのためには、自分を過大評価せずに、自我を小さくしていくことです。どれくらい小さくるればいいかといえば、仏教では「空」だと教えています。空とはゼロのことです。
 浄土真宗でも「凡夫の救い」が説かれるのは、凡夫の自覚の上にすべてが「おかげさま」と開かれて行くからです。

 右の絵も、上記の老母と貴婦人ですが、写実的な分、少し怖さを感じます。
 左記の絵にも人の顔が隠されています。


3項 下段行事案内

お盆について

Q 浄土真宗での、お盆としきたりは?
A 浄土真宗のお盆の荘厳は、 各地の風習もざまざまで、迷ってしまう方も多いと思いますが、結論から申しますと、浄土真宗ではお盆用の特別の荘厳はありません。お盆独特の荘厳がないということが浄土真宗の特色、とも言えるでしょう。
  
 具体的な荘厳は
@法事に準じ、お仏壇に打敷をかけ、灯(灯明)、香(お香)、華(花)を供えます。
 お盆は奮発して絵柄つきローソクや和ローソクをお供えしてはいかがですか。
 また、この機会に夏用の打敷(三角の仏壇用テーブルクロス)を掛けてみてはいかがでしょうか。打敷には夏用と冬用があります。涼しい紗の生地や白物が夏用です。

Aお供物は餅、菓子、果物、また夏の野菜や果物などを供えます。

B精霊棚(それに供える足の付いたキュウリやナス、精進料理のお膳など)は先祖を追善供養するためのものであるので、浄土真宗では用いません。精励棚は、先祖が餓鬼道に落ちているという発想からきているからです。浄土真宗は先祖を仏様と仰ぐ宗旨です。

C従って霊がかえってくるための道明かりと考える迎え火、送り火も不要です。お盆中に、お墓へ参拝する程度で結構です。お仏壇では毎朝参拝して下さい。
 提灯は、あれば飾ってください。本来、初盆は白い提灯ですが、柄物でも結構です。こだわるようでしたら提灯の柄の部分を、白い半紙で巻いて下さい。

4項 

この人
西 久昭さん
(柏市大島田在住)

 お生まれは鹿児島県隼人。現代までの足跡を語っていただきました。

 私は高校を卒業して昭和三十六年東京へ出てきました。父が国鉄(現在のJR)に勤務していたので、家族パスを使い汽車での上京でした。昭和四十二年結婚してから、東村山、三軒茶屋、勝田、四国の徳島、そして柏市へは昭和五十年に移住し現在に至っています。
 お寺とのご縁は、鹿児島では祖母に連れられてお寺へ参ったことや、祖父母の法事くらいでした。ところが平成七年四月二十六日に、その年の十月に結婚を目前にしていた息子が、交通事故死しました。それは結納用のスーツが仕上がって二、三日後の出来事でした。それが西方寺さんとのご縁でもありました。
 何に対しても好奇心が旺盛で、仕事はもちろんですが春秋はゴルフ、夏は釣り、冬は鉄砲をやっていました。お寺とは、中国旅行などの旅行会に参加するくらいでしたが、千葉組の連続研修という学習会に参加してからは、中央研修という京都本山での三泊三日での集中研究会に参加したり、一昨年からは中央仏教学院の通信教育課程に在籍しています。
 西方寺の将来への展望としては、もっと多くの人を収用できる施設を建てたいというのが願いです。

 西さんは昭和十七年五月二日生まれ六十七歳になります。そろそろ仕事に終止符を打ち、お寺の活動などに時間を割きたいと語ってくださっています。
 平成十九年度より西方寺門信徒会会長、そして今年の一月より総代をお受け頂いております。中央仏教学院の通信教育では、会計担当となり毎回、反省会をして親交を温め、人間関係の輪が広がったとのこと。仏教を学問として学んで、仏教がより楽しくなったとも語っておられました。