18.4.6日 仏教タイムス掲載原稿

医療父権主義の弊害 西原祐治

今回の人工呼吸器外しは、現代日本の医療現場の未成熟さが露見した事件だといえます。医療者個人の問題だけでは済まされない根の深い問題が介在しています。

 根の深い問題とは、医師のパターナリズム(父権主義)、すなわち、医師と患者は対等ではなく、父親が子を保護し干渉するように医療者優位の考え方です。治るという目的があれば、その目的に向かって医師の強権発動も多少は理解できます。しかし今回のように、治療の可能性を断念した患者において、その患者が何を選択するかは当事者である患者・家族の判断によるべきことは明白です。治すことが目的ではないのですから。

 この医師が患者間の支配関係は、医師と患者にとどまらず、医師と看護師の中にも存在し、医療ミスや医師の誤った医療行為を見過ごす体質を作り出していることも見逃せません。看護師がいやだと思って、医師に逆らえない雰囲気です。

こうした過ちは責任感と最後まで患者を思いやる優秀な医師ほど犯しやすい誤りでもあります。それは日本の医療現場が、人間の知性と科学万能への過信があるので、優秀な人材ほどはまり易い落とし穴です。

 そして一連の背景には、苦しみや死から目を背けるという宗教不在の大衆の価値観があります。苦しみや死から目を背ける現実が隠蔽を許す社会を作り、隠蔽された密室で患者のさまざまな不幸が起こっています。仏教者が関わらなければならないのはこの部分です。苦悩や死に不幸というレッテルを貼らず、苦しみや死を通して、人はトランスフオーメッション(質的な転換)という成長を手に入れてゆく。隠蔽を絶つには、幸福・不幸、勝ち組・負け組みといった二元論で割り切らず、不幸や負け組みといわれる状況から生み出されてくる人間の成長に光を当てていくことが重要です。