いのちの学び157号(05.6月号)
156号
1項 表紙

1項下段  今月の歌

 再び通らぬ 
一度きりの尊い道を 
いま歩いている 
               榎本栄一

 尊い道を歩いている著者の実感が伝わってくる。よく言えば希望、悪く言えば欲望は、常に未来に理想の夢を画く。、希望は、今は不足していることから起る心理でもあります。悪い言い回しで言えば、「今は駄目」ということです。人や子どもに「ああなれ、こうなれ」ということは、「今は駄目、今は駄目」と言っていることと同じです。

 高度成長期、人々は理想や希望をもって生活していました。これは常に今は不足、今は不足と歩んでいたことと同じです。尊い道とはほど遠い路を日本人は追いかけていたようです。

2項  毒の話し

 「蛇は水を飲んで毒をつくり、牛は水を飲んで乳をつくる」。栂野の明恵上人の言葉です。意味は解説するまでもないでしょうが、同じものを見ての、智慧のある人は、功徳とするが、愚者は悩みの種とする。そんなところでしょう。

 今から二十五年くらい前、仲間と上野公園へ桜見に行った時のことです。呼びかけ人である私は、午後から公園の現場に席取りに行きました。しかし時遅く、桜の木の下は既に陣取りのシートがおかれています。するとどこからともなくホームレス風の印象を与える人が来て私に相談を持ちかけてきました。

 それは相談ではなく商談でした。「桜の下のいい場所に席を確保してある。一坪二千円でどうだ」。なんと上野公園の土地分譲をしているのです。彼らは、桜見の季節、桜を見ずに、桜の下の地べたを見ていたのです。まさに「蛇は水を飲んで毒とする」です。

 さて私はといえば、上野公園の土地の分譲をどう思ったか。こうした行為に出会って、警察に通報する人もいるでしょうし、値札のついていない場所を探す人もいます。また闇のお金を払って土地を取得する人もいることでしょう。 私は、面白いことをやるもんだと感心して二坪ほど求めました。面白いことをやると思った私の根性は、上野の山の土地分譲人と同質の根性であるということです。

 一つ違う所があるとすれば、その出来事を題材としてこうしてコラムを書いているのですから、根性の曲がり具合は彼らより一つ上手かも知れません。

 でもさまざまなワクチンは、細菌毒素の毒性を弱めるか失わせ、その毒から抽出されたものですから、毒も活用の方法があるということでしょう。

 話を明恵上人に戻します。明恵上人は親鸞聖人と同じ歳に生まれた方です。 そして巻頭の言葉のように智慧のある人になろうと努力された方です。

 一方、親鸞聖人は、何を見ても聞いても毒しかつくれない愚者であると自らを「愚禿親鸞」と名のられました。実は親鸞聖人は、阿弥陀仏の働きの中に、「牛は水を飲んで乳をつくる」働きを見ていかれたのです。少し角度を変えてお伝えします。

 地球上のいのちあるもの、花から人間まで、弱肉強食の連鎖でいのちが伝承してきました。花の美しさも同じことです。人間のこころもまた、賢くあれ、美しくあれ、清らかであれという方向に成長を考えてきました。智慧ある者となれと語る明恵上人の仏道も同じです。
 しかしこの地球上のいのちの連鎖の中に、1つだけ弱肉強食でないものがあります。それは高等動物に見られる赤子を育む慈しみです。力のない赤ちゃんは、慈しみによって一人前になっていきます。その慈しみは、かよわい赤子に、あるべき姿を語るのではなく、弱いままに抱き取り、親が赤子にあわせて、こまごまと世話をやきます。親の子どもに対する慈しみの内容は、親の努力です。
 親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」の念仏は、阿弥陀仏の慈しみの姿だと見極めてくださったのです。阿弥陀仏が努力して、一生懸命になって、私に称えられる念仏となってくださった。念仏を称える中に、阿弥陀仏の働きを仰いでいかれたのです。これが他力の念仏です。

 このことを「讃仏偈」という短いお経の最後に「我行精進 忍終不悔」
(たとい身はもろもろの苦毒のうちにおくとも、わが行、精進して、しのびて悔いじ)とあります。私の毒の中で、仏さまが努力してくださったのです。

3項 下段

布団の作法

Q 座布団には前後・上下があるのでか。

A 座布団の布は長方形の布を半分の折り縫い合わせるので、縫い目のない箇所があります。それが座布団の正面です。上下は縫い合わせの折り目が上になっているのが上です。

Q 座布団の座り方は。
A 入室しても、あいさつがすむまでは座布団に座らず、下座のほうで畳の上に座って控えています。案内の人にすすめられたら、遠慮しないで座ります。その際は、相手が入室してきたところで、座布団から下りてあいさつをし、そのあと改めて座布団に座り直します。

Q 座る時の注意は
A 座るときは、自分の方へ座布団を引き寄せて座らず、また、座布団の上に立って足の裏で踏んでから座ることも厳禁です。座布団へは、下座側から入るのが基本ですが、横に空きがないときは、座布団の後ろから、正座をしてから跪座(きざ)の姿勢になり、軽く腰を浮かして膝行(しっこう)します。座布団のへりまで足指先がきたら、ややかがんで手をそろえ、静かに座布団に腰を進めて正座します。座布団から下りるときは、座り方と逆の手順です。両手を座布団について、足からおります。

Q 上座、下座はどうなっていますか。
A 和室の場合、上座は床の間を背にした場所です。床の間を背にした位置がもっとも上位の席です。床の間のない部屋では、もっとも奥まったところで、人の出入りが気にならず、庭が見える位置が上座です。

4項 上段集い案内

4項 下段
 住職雑感

* 5月3日の永代経は、60人ほどの参拝がありました。

 ご講師は、大分の田中誠証師、ご講師の話術の巧みさに、私は涙を流して笑いました。

 ご法話の中で常不軽菩薩のお姿の話しをして下さいました。柴又帝釈天のお堂の胴回りの位置に欄間があり、その菩薩を見事に掘り込んであると、常不軽菩薩のお姿の真似をされました。そのお姿が、表紙の逃げながら合掌している菩薩の姿です。
 常不軽菩薩は、俸で叩かれながら「我深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと」と言っているのだそうです。

* JRで大惨事がおきました。以前、築地本願寺に勤めていてた頃、鉄道同友会という会のお世話をしていたことがあります。
 総裁は本願寺前門主で、国鉄で開催される精神講話という研修会に講師を派遣し、また年に一度、国鉄総裁等が出席する追悼法要を主催する団体でした。大惨事となった三河島の事故や、青森の洞爺丸事故では、当会が精神的なケアをしたようでした。精神講話も年間八百回近く全国から依頼がありました。

 昭和50年以前の国鉄は、毎年、接触事故等で、百人以上の人が死亡していました。徐々に、機械化と危険な仕事は外注に出すようになって死亡者も激減しました。

 そして死亡者の減少と組合運動の盛り上がりで、精神講話も減少していきました。昔は、事故が日常的で、安全は人の力で作るものという意識があったのだと思います。