いのちの学び150号

2004.6.1発行

149号

1項 今月の歌

 一寸先は闇という
  よく見れば
  その闇は
  私の中にある  (榎本栄一)

 新聞に大学新入生の意識調査が出ていた。「若者は、24.2歳まで。おじさんは41.8から、おばさんは40.3歳から」というものです。50歳の私からいえば、おじさん、おばさんの年齢は違った評価がなされます。私という現実は、客観的な事実よりも、「思う」「思える」「思ってしまう」という所で生活しています。 その「思う」「思える」「思ってしまう」ことに光を当てず、客観的な事実だけを求め、唯一絶対なものとして追い求める。それも一つの心の闇です。その心の闇に、光を当てる教えが仏教です。

2項  ミニ説法

ゾウの公益性

 動物行動学という学問の分野に「動物の利他行動」の研究があります。何冊か出版されていますが、以前、ラジオの文化講演会で元上野動物園園長の中川志郎さんが講演されていました。

 多摩動物公園で病気になったゾウを仲間の二頭のゾウが左右から支え、一ヵ月以上にわたって看護的な行動を続けたという話しでした。

 それは中川さんが多摩動物公園の飼育課長として赴任した年、昭和五十四年五月の出来事だそうです。雄のアヌーラと雌のタカ、ガチャの三頭のゾウのうちアヌーラが原因不明の高熱を出して元気を失った。ゾウに特徴的なこととして、病気を自覚すると横になって眠るという行動をいっさいしなくなる。あれだけ大型の動物だと起居に多大のエネルギーを要するため、再起立に対する不安が、横になって寝るという行動をセーブしてしまうのだそうです。しかし、これは当のゾウにとっては眠らないことを意味しますから大変に過酷なことで体力も著しく消耗します。

 放飼場でよろよろするアヌーラを見て担当飼育係も獣医も大いに気をもんでいたところ、同居している二頭の雌が寄り添うようにして左右から支えるという行動をとり始めた。これは飼育係がまったく関与しない二頭の自発的な行動で、しかもそれが二週間も連続して行われた。アヌーラの状況が徐々に良くなってきたことが飼育係の目にも分かるようになったとき、もっと興味あることが起こったのだそうです。二頭の支え行動が一頭ずつの交代制に変わり、一日の間に何回か入れ代わる方法でさらに二週間続いた。この間アヌーラは二頭を頼りきって安心しているように見え、七月には完全に回復したとのこと。

 これら以外にも、ライオン、キリン、ワシなどについても利他行動に類するものが観察されるそうです。
 極地のペンギンがひなの集団保育をし、両親が海に彩食に出かけている間、群れの他のペンギンが世話をするという行動はよく知られています。また、カケスやウでも両親以外の仲間がひなに給餌する例は少なくありません。哺乳動物でも同様で、オオカミやリカオンなどの群れによる共同保育は普遍的ですし、さらにゾウやイルカでは出産のときに群れの中から「助産婦」が現れ母親と子どものケアをすることが観察されています。

 そうした利他行動的動物の習性は、「他者の為に」という精神文化ではなく、集団そのものが自分であるという、私、他者という垣根を越えたところに自分の存在を見出しているのだと思います。

 ふと、以前、本に書いたニューサイエンスのフリッチョフ・カプラ氏の言葉を思い出しました。カプラ氏とは、十五年前、東京に来られたとき一度お会いしたことがあります。といっても、講演を聴いただけですが。
 そのカプラ氏が語ります。『すべての形あるものを構成している最小の単位である素粒子の世界には、二つの基本原則がある。その一つは「常に変化しているという流動性」。「いくつかの関わりにおいて一つの単位を形成しているという相互依存のあり方」。この二大原理は、釈尊の説かれた無常(存在するものものは常に変化する)と縁起(すべての存在は相互依存によって成り立っている)の教えと一致する。これは驚くべきことだ』(大概)。すべてのものが相互依存によって成り立っている。素粒子から動物まで。

 仏教が語りかけていることは、けして古いことでないようです。仏教は、普遍の真理を問題としているのです。
3項 仏事アラカルト

Q 真宗のお坊さんだけ、どうして髪を伸ばしているのですか。

A 私は私服で郵便局に行き、振替用紙で送金をお願いしました。送り主は「西方寺」です。ややしばらくして「にしかたてら」さんと局員が私のことを呼びます。これは本当にあった話。有髪で私服の私は住職には見えなかったのでしょう。坊主頭と言うほどです。僧侶は坊主に決まっています。

 ところが浄土真宗の僧侶は、すべてではありませんが有髪です。

 妻帯を認め剃髪をしないのは浄土真宗だけですが、現在では他の宗派の僧侶も明治政府が明治五年に僧侶の肉食、妻帯、蓄髪を許可し公然にできるようになりました。

 それまでは法律で決まっていたのです。肉食妻帯だけではなく、江戸時代は法度で僧侶の全ての行為に規制が加えられていました。

 その他に、その年と次の年に出された法律の中には「神社や寺院の女子禁制の場所を廃し、女人禁制の山の登山も自由とする」、「女性僧侶の有髪を許し帰俗も自由とする」などがあります。

 僧侶はなぜ坊主頭にするのか。

 髪を剃ることは、世間の価値観との決別を意味します。

 なぜ世間の価値観を捨てるのかといえば、それはまず修行の環境を整えることです。仏教の修行は戒・定・慧の三学といって、規則正しい生活をし、心を安定させ、悟りを開くことを目指します。そのための第一歩が一般社会と距離を置くことです。その一つの事象として剃髪があります。

 浄土真宗の教えは、私の力を頼りとして戒・定・慧と進んでいく教えではなく、阿弥陀如来からに信心の智慧を賜り、自らの愚かさが知らされ、生活が放逸にならないよう報謝の営みを相続します。
 
 その為に悟りの前提として戒律を保つことがないのです。有髪の形態を取っているのはそうした事情です。

4項 住職雑感

● 築地本願寺で「阿弥陀仏は慈しみの如来さま」(住職執筆)という小冊子を出版しています。この度、増刷しましたが、この印刷に際して、秘話が1つあります。

 「西原さん、これはまずい」と、差し替えた例話があります。譬えの主旨は「願いが大切」というものです。では不可となった話しを披露します。

 徳川家康の逸話です。家康が初め、三河に兵を挙げたときは、負けてばかりで、とうとう数人の兵となり、菩提寺である大樹寺に逃げ込み、住職の登誉上人にかくまってもらう。その時、家康が礼を言うと、上人は「お前さんは、たいそう苦労して戦いをしているが、何の為に戦いをするのだ」と聞かれた。

 すると家康は、とうとうと、敵を滅ぼし、領土を広げ、わが力を示すことは男子の本懐…」と申し上げた。
 その時、登誉上人は、「あんた、それだから負けるんだ。敵の国をとるというのは泥棒じゃないか。なぜ志を改めて、もっと立派な志をたてんか。天下が乱れていては、国の全ての人が安んじて日暮らしができん。それで天下を平らげて、万民が安心して暮らせることを願って戦争をおやりなさい。神仏は泥棒をまもりません」といわれた。省略

 その時、上人が書いた旗が、「南無阿弥陀仏」「厭離穢土」「欣求浄土」です。

 冊子では、願いによって、力のいれ具合も異なるという内容でした。
 さて、ペケの理由は、何でしょうか。「平和のために」が、アメリカと重なるというものです。言われてみてもっともだと思った次第です。時の情勢が違ってしったことによって役に立たなくなるものは、それだけの価値しかないと言うことです。