2004年2月1日号(2.4.7.9.10.12月発刊)
1項 表紙
1項下段
木村無相
『歎異抄を生きて』光雲社より
じかづけに
波がヒタヒタ
うちよせる
かわいた岸に
うちよせる
かわいた砂に
うちよせる
み名がヒタヒタ
うちよせる
かわいた心に
うちよせる
かわいた胸に
うちよせる
ナムアミダブツ
ナムアミダブツ
2項 ミニ説法
「ごはんですよと、行ったらタマだった」。サラリーマン川柳の作品だったと思います。家庭の中で動物がとけ込み、動物との触れ合いで病気を治すアニマルセラピーも流行っています。
動物の親子の絆は、人間のように知性や欲望に汚染されていないだけ、純粋なものが見受けられます。イルカは、ほぼ1年お母さんのおなかにいて生まれてくるそうです。そして2年間ほどオッパイを飲んで育ちます。だから人間同様に絆が深いようです。
イルカは瞬時にその人の痛みを理解し、必要な癒しを与えてくれるといいます。現在では、そうした効用から自閉症の子供の治療に使われたり、各地でイルカとの触れ合いの場が多く設けられています。イルカと泳いだ後には、脳からは、めったに出ないシータ波がでたり、不安や悩み事が解消され、幸福な気持ちになったり、そして、心がオープンになるといいます。
イルカは、私たちと同じほ乳類で、子供は母親のお腹から産み出されます。人の子供は普通頭から産まれますが、イルカでは尾ビレから産まれます。これは水中で出産するため、頭からだと完全に生まれ出る前に呼吸を始めておぼれる恐れがあるためと、産みだされた勢いで深いほうに向かって泳ぐ危険があるからだそうです。
産後、母イルカは赤ちゃんイルカにぴったりと寄り添い、泳ぎを手助けします。しかし中には死産の子もいます。そんなときでも母イルカは、子供が死んでいるのを知ってか知らずか、口の先で一生懸命に水面の方向に向かっていとおしげに誘導するそうです。
その行為は子どもの体がある限り何日も続きます。母イルカはえさも食べず、子供を生き返らせようと努力して片時も離れません。他の動物が近づくと子供をとられまいとしてかばい、最後には自分も衰弱して死ぬ場合もあります。海には死んだ赤ちゃんイルカのそばに、やせた母イルカの亡きがらがあると言います。
水族館や動物園は、人が動物から親子愛を学ぶ施設。そうなっても不思議でない世相が続きます。
動物を仏教では畜生と言います。仏教でいう畜生は、見てくれや姿・形を示した言葉ではないようです。
「恥じらいのない者を畜生という」と【涅槃経】にあります。自分だけのエゴに閉じこもり、自分や他人を傷つけている存在を畜生と言います。
この論理から言えば、先のイルカは、畜生には当たらないようです。
「経は鏡なり」という言葉があります。自分を写す鏡を持つことが先決です。
また自分をこころみる場所がお寺でもあります。
3項 *『涅槃経』
【二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慚、二つには愧なり。慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす】
3項 QあんどA 仏壇について
Q お仏壇はいつ頃から安置されていますか。
A 天武天皇、白鳳14年詔(<CODE NUM=00D0><CODE NUM=00BA><CODE
NUM=00C4><CODE NUM=00C9><CODE NUM=00D8>)「諸国家毎に仏舎を設け、仏像及び経文を安置し持て三宝を供養すべし」(日本書紀)に起因していると言われます。そして仏像を安置する清浄な場所として、床の間の出現です。しかし一般に普及したのは、徳川時代に至り、悉く仏教各宗に所属させ仏壇を設けさせたことによります。
Q 宗派の違う実家の親の戒名や位牌を仏壇に入れても良いものなのでしょうか。
A 浄土真宗では位牌の代わりに過去帳や繰り出し位牌を用いるのが正式です。さてご質問にある違う宗派の場合ですが、入れても差し支えありません。ただ位牌をそのまま入れると、仏壇が位牌だらけになるので、どんな関係の人か記入して過去帳に書き入れてはいかがでしょうか。
Q 仏壇の置く場所や方向に制約がありますか。
A 方角から言えば規制はありませんが、部屋の上座に、だれでもが礼拝できる場所におきます。階段の下やトイレの近く、往来の激しい場所は避けます。北向きであっても、通気性がよく落ちつける場所であればかまいません。直射日光が当たる場所は避けます。
Q 仏壇は何のために置くのですか。
A 仏壇はご本尊阿弥陀仏を安置するためのものです。あわせて手を合わせる境涯に生まれ、仏縁をつくって下さった故人の遺徳に感謝いたします。
Q 仏壇に最低必要な仏具は何ですか。
A まずご本尊、次に余裕があれば、香炉と燭台(ローソク立て)と花瓶です。次に余裕があれば、仏飯器(ご飯を盛る仏具)となります。盛物でも左右対称にお供えするのがコツです。
4項 上段 集い案内
4項 下段 住職雑感
* 昨年十一月父が逝去しました。最後の3日間は肺炎で二十八日昼頃息を引き取りました。
私は午前五時から七時半まで、父と同伴しました。朝、六時四十分頃、個室の窓に朝日が昇る景色が映りました。父のベットを起こし、酸素マスクを付け荒い息の父に、「お父ちゃん、ほら、朝日だよ」と、一緒にその光を仰ぎました。
しばらくしてベットを戻し、「おとうちゃん、お朝事をしよう」と、耳元で正信偈を唱えました。丁度、ベットサイドのテーブルの上に父が東京仏教学院以来、大切にしていた聖典があったので、その聖典を父に見せ、私も六首引きは、その聖典を見てお勤めしました。私がお勤めしている間、父はパージのあっちこっちを見ていました。
正信偈が終わると、その聖典の中にあった、信心獲得章、末代無知章、聖人一流章の御文章を拝読し、歎異抄を3章まで一緒に拝読しました。と言っても私が声を出し、父と一緒にその私の声を聞くといった具合でした。
後で母に「いま、お父ちゃんと、一緒に朝日を見て、正信偈のお勤めをしてきたよ」と告げると、本当に自分が父とお勤めしたように母は喜んでくれました。私も父と一緒にお勤めできたことが嬉しかったのですが、母が喜んでくれたので、その喜びがいっそう深まりました。
今思うと、なぜもっと早く、父とお勤めすることに気が付かなかったのかと思います。八ヶ月近く声のなかった寝たきりの父です。
私にはお勤めは仏さまに向かってするものという固定観念があったのです。お勤めそれ自身が、仏との交わりそのものなのに。
その時の父は、血圧は測れないほど力無く、息荒く、酸素マスクの中での、命の相続でした。しかし、そんな状況にあっても、人(父)は人(私)に、喜びを与えることが出来る。父とのお勤めはそのことの体験でもありました。
南無阿弥陀仏