1項 表紙

2項 ミニ説法 

 銀座三越の屋上に「出世地蔵尊」があります。毎月7日は縁日で、三越屋上の地蔵尊の前で法話会が開かれます。8月の縁日に10年ぶりにおじゃましました。

 その折り、銀座商店組合の会長から、次のような話を伺いました。この会長は、生粋の銀ざっ子で、会長職をもう20年も務められている方です。
話しというのは、過日、外国の要人を連れて銀座の吉兆に会食に行った。その時のことで話しが盛り上がりました。まず出されたものは、蓮の葉の上に、ピンクの蓮の花びらが7.8枚置かれ、その花びらに、キャピヤなので、高級食材が盛りつけしされていたそうです。

 その会長の会話に最も力が入ったのは、最後のご飯の盛りつけでした。この会長が思わず京都出身の女将に、「おみごと!」と誉めたそうです。すると女将は「この盛りつけに10数年かかりました」とのこと。
私はこの蓮の花びらでの話を聞いて、仏さまにご飯をお供えする仏飯器のことが思われました。
仏のご飯を供える器具を仏飯器と言います。蓮華の形をしており、高級品は蓮華の花びらが彫刻されています。その仏飯器に本願寺派は、蓮華のつぼみに似せて、富士山方に盛りつけます(大派は蓮の実に似せる)。
 過去に篤信の方がお給仕する折、吉兆のように蓮華の花びらに載せたお供えもあったのでしょう。それが、真鍮で蓮華に似せた器具を作り、蓮華模様をほどこし、蓮華のつぼみに様に盛りつけてお仏飯を供えた。
 キャビアでも、食べるだけなら、皿でも、グラスでもよいはずです。ところが、吉兆では、お客様にもっと食を楽しんで頂きたいと、蓮の花びらに盛りつけてお出ししたのです。

 お仏飯も同様です。お供えするのですから、茶碗でも皿でも良いはずです。しかし、お供えすることをもっと楽しみたいと思った篤信者が、お供えの器具を、蓮華に似せ、蓮華の模様をほどこし、ご飯を蓮のつぼみに似せてお供えし、お供えそのものを楽しんだのです。

 仏飯器1つの上に、「ねばならない」と言った義務感ではなく、信仰に生きた人の貴い歴史が思われます。



3項 今月の詩

歩いたあとに 一輪の花を 咲かせたい
      《石川 洋》歩いたあとに一輪の花を「ポルス出版」

 数年前、「リトル・ブッダ」であったか、釈尊がさとりを開くまでを描いた映画があった。釈尊が、この世に誕生し、七歩歩く。足が地面から離れると、そこにポット花が咲く。そんな描写があった。

 上記の歌を見て、その映画のシーンが思い出された。映画の描写は、何か安易な作り物的な感じがしたが、考えてみると、釈尊や親鸞聖人が歩いた後には、無数の正覚の花が咲き続いている。

 自分自身振り返って、「歩いたあとに一輪の花を咲かせたい」などと願ったことがあるだろうか。いつも自分のことばかり。そんな私の上に、正覚の華を咲かせようというのだから、阿弥陀仏のご本願は、仏さまの願いというしか言いようがない。 ご和讃に「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ」とあるので、「花を咲かせたいと」きれい事は言わず、しっかりと自分の道を歩いて行けとご和讃が語りかけてくる。

3項下段 仏事アラカルト

祇園について

Q 祇園祭の祇園は、仏教ゆかりの言葉だと聞きましたが。
A その通りです。「祇園精舎の鐘の声」とあるように、お釈迦様が滞在されていたお寺(精舎)を伝えた言葉です。

Q インドの地名に祇園という場所があるのでしょうか。
A 地名ではなく敷地や施設を示した言葉です。
 「阿弥陀経」の最初の部分に出てきます「祇樹給孤独園」(ぎじゅっきっこうどくおん)が正式名です。

 この名前には由来があります。インドに舎衛城にスダッタという長者がいて孤独な貧しい人を助けるので「給孤独」長者と呼ばれていました。お釈迦様が法を説く場所を設立したいと願い、祇陀太子の森に目を付けました。譲ってくれるように交渉すると、太子はいやがり「お金を敷き詰めた場所だけ売ってあげよう」と難題を持ちかけてきました。するとスダッタ長者は、全財産を持ち出し森を金貨で敷き詰め始めます。
 驚いた太子が理由を聞き、その理由に感動し、森の樹は私のものだから、その樹でお寺を建てて下さいと申し出たのです。
 そこで、給孤独の土地と祇陀太子の樹で造られたところという意味で「祇樹給孤独園」といいます。 

Q それで「祇樹給孤独園」を縮めて祇園というのですね。
A その通りです。お釈迦様は この祇園精舎で、二十一回雨期に滞在され説法したと伝えられています。「平家物語」の冒頭の「祇園精舎の鐘の声」のお寺です。
     以上

4項 上段 集い案内

4項下段 通信

● 死ににくい時代になったという。その理由をロバートバックマン(カナダの癌に関する博士)が説明しています。

1)死を家庭で経験しない社会。
若くて感受性の強いときに家庭で死を経験しない。昔は誰もが、大家族の中で、成長し大人となり、老い、死んでいくというプロセスを感覚として刻み込み死を自然なこととしていた。今は死は生とは異質で生から分離したものと見ている。

2)健康と生への高い期待。
「医学は飛躍的に進歩している」と言った報道の中で、健康と不死への期待という欲求がかき立てられている。死者がその代償を払う。

3)物質偏重主義。
物質的な財産に高い価値が置かれている社会では、その財産から決別を意味する死は、高い代償を払うことになる。

4)宗教の役割の変化。
宗教が多種多様化し、一つの宗教的な言葉が、その人に慰めにならない時代となった。
等々です。

 では死に易くなるためには、死んでいく人と多く接し、医学への盲信を止め、物質的な財産は程ほどにして、どんなときでも安らぎを与えてくれる言葉を身につける、となります。

● 死を拒否した社会の中で死を迎える人は、もの凄い孤独の中に落ちていくことになります。
 死に際しては、死を否定せず、悲しみは悲しみとして「長いこと有り難う」ぐらい言ったら良いのではないでしょうか。小さな子どもであったら「あとから行くね」くらいが良い。必ず私も死んでいくのですから。

● 死を受け入れる文化は、無意味だと思っている現代にあって、死を受け入れる文化を発信しているのがお寺でもあります。
               合掌

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