Topページへ
藍川由美「和琴唱歌コンサート」
〜催馬楽と『源氏物語』〜

2010年10月 3日(日)19:00開演 東京文化会館 小ホール



『安名尊』 (あなたふと・呂旋)
    紫式部日記【寛弘五年】【寛弘七年正月十五日】
    源氏物語【乙女】【胡蝶】【宿木】

『美濃山』 (みのやま・呂旋)
    紫式部日記【寛弘五年十一月一日】

『席田』 (むしろだ・呂旋)
    紫式部日記【寛弘五年十一月一日】【寛弘七年正月十五日】
    源氏物語【若菜上】

『伊勢海』 (いせのうみ・律旋)
    源氏物語【明石】【宿木】

『更衣』 (ころもがへ・律旋)
    源氏物語【乙女】

『山城』 (やましろ・呂旋)
    源氏物語【紅葉賀】


入場料(全席指定)=4,000円/学生券2,000円(当日のみ)

お問合せ=オフィス小野寺 050−7511−8457


コンサートによせて
元 宮内庁楽部首席楽長 岩波 滋

 人との出会い、ご縁とはつくづく不思議なものだと感じています。
 縁あって音楽上のお付合いが深まるにつれ、藍川先生の古代歌謡と和琴に対する興味、学ぶ姿勢が半端でないことを知らされました。
 この様な出会いの中で、私も含め古代歌謡を継承する誰もが気づけなかった長い間の謎――「呂」の催馬楽の不具合を先生は解いてしまったのです。
 藍川先生の説にしたがえば、継承されてきた和琴譜はそのままに違和感なく歌うことが出来、尚和琴は伴奏の役目を十分に果たせるというものです。
 これは大変画期的なことで 雅楽の歴史の上においても すごい発見ではないかと考えます。
 その昔 殿上人が盛んに口ずさんだであろう情緒ゆたかな歌‘催馬楽’。声との相性の好い和琴の音(ね)で奏される初の試みを心から祝し、味わいたいと思います。

やまとことばと和琴
藍川由美

 『梁塵秘抄』を歌いたい――と願う私が理想的な師に出会えたのは平成18年1月、宮中歌会始の折でした。学生時代から明治の洋楽輸入後に五線譜で作曲された日本の歌をうたい続け、歌詞の発音に悩み抜いた末の出会いでした。
 母国語を歌うのに、私は「仰ぎ」の発音が「アオギ」なのか「オーギ」なのか、「歌ふ」が「ウタウ」なのか「ウトー」なのか、見当がつきませんでした。
 もっと古い日本語の発音を知りたい。母音の色は? 口の形は?
 数々の疑問を抱えて模索する中、兼常清佐博士の研究に接し、ピアノ伴奏による日本語の歌の限界を知りました。兼常博士は曲線で推移する日本語に対し、ピアノの音が階段状に移行することに着目し、大正時代に計測データを発表していたのです。
 日本語のなだらかな曲線が直線的な音とぶつかったり、分断されたりするたびに私の中で違和感がふくれ 上がりました。打楽器のようにアタックのあと急激に音が減衰するピアノがペダルで音を持続させることも 日本語の繊細な響きを制圧する危険をはらんでいます。音が緩やかに減衰する撥弦楽器の方が日本語に合うの かも知れないと感じてチェンバロ、ハープ、ギターなどと共演を重ね、外国の楽器とはいえ、 弦楽器と日本語の相性について或る種の確信を得ることができました。
 さらに岩波滋先生との出会いによって日本最古の絃楽器‘和琴’を演奏するようになり、張りつめた絹糸の 繊細な響きと曖昧な日本語の母音が、まるで表面張力のような均衡をたもつ瞬間があることを知りました。
 和琴の伴奏で歌う催馬楽の魅力は格別です。紫式部が日記に「さまばかりなれど、いとおもしろし」などと 書いたことでもわかるように、催馬楽は管絃伴奏による大がかりな御遊(みあそび)だけでなく、簡易な伴奏でも 歌われていました。また、『源氏物語』五十四帖のうち四帖の題が催馬楽の曲名からとられ、24曲(延べ58曲)とも言われる歌詞が本文に引用されたのは、催馬楽が平安貴族の嗜みであったことの証明に他なりません。
 催馬楽を知って千年前の物語を現実と錯覚しそうなくらい身近に感じるようになった私は、紫式部 が愛唱した歌を和琴伴奏で演奏したいと願い、紫式部日記にある「雨降る日、琴柱倒せ」をものともせず、雨の日も 和琴の稽古にいそしんでいます。そしてこのたび、宮内庁に保管されている明治撰定譜『催馬楽和琴譜』に よる演奏を披露させていただくことになりました。どうぞ古式ゆかしい平安の調べをおたのしみ下さい。