| 故 郷 発 見 8 (宇多津秋祭り篇) |
![]() 人垣に押し寄せてくる太鼓台 |
![]() 境内を練る太鼓台 |
![]() 宇夫階神社から見た境内の様子 |
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30年ぶりに宇多津の秋祭りに行った。わが町・宇多津の祭りの華は14台ある太鼓台の競演で、1825年に金刀比羅宮に塩を献上し、金毘羅さまを宇夫階(うぶしな)神社にお迎えした際に太鼓台を担いで練り歩いたとの記述が残っていることから、それ以前に宇多津の風物詩として存在していたと考えられている。その担ぎ方は独特で、「よのなかみごとにせい」という掛け声に合わせて、約1.5tの太鼓台をいったん地面に落としてから一気に差し上げる。地面に叩きつけるのは、邪気を祓うためだと伝えられている。 「故郷発見2」の写真でもわかるように、宇多津の宇夫階神社には塩竃神社が合祀されており、大鳥居をくぐると、右に塩竃神社、左に宇夫階神社の鳥居がある。それゆえ秋祭りは宇夫階神社と塩竃神社を併せて3日間行なわれる。ちなみに今年は25日夜に塩竃神社の宵祭(獅子舞奉納)、26日に塩竃神社例大祭(各地区に7:30に集合し太鼓台を塩竃神社へ/14:30お下がり/20時過ぎ解散)、19:30から宇夫階神社の宵祭(お神楽奉納)、27日に宇夫階神社例大祭(7:30に集合し太鼓台を宇夫階神社へ/15時お下がり/20時過ぎ解散)。お下がりの行列は例大祭・氏子祭神幸祭の後、お旅所(聖通寺か田町の神事場)へ渡御する。 さて、宇夫階神社が県社に昇格した明治27年に明文化された「盟約証」によると、お下がりの行列は、獅子、天目鑓、弓、大鳥毛、大太鼓、榊持、長刀、神馬、御膳櫃、音楽、金御幣、大白幣、大麻、神子、神職、社掌、御輿、社司、太鼓台によって構成されている。最後尾の14台の太鼓台が、昔ながらの町並みを勇壮に練り歩くさまは実に風情がある。今年は初めて英語のパンフレットを作ったためか、外国人見物客も目に付いた。 宇多津の太鼓台は、太鼓台イベント実行委員として活躍している同級生の虎ちゃん(香川虎生氏)の言によると、瀬戸内地方で最も古いといわれる小豆島や佐柳島(さなぎじま)と同じタイプで、隣の坂出市が愛媛県の新居浜スタイルを取り入れて大型化していったのに対し、昔ながらのスタイルを守り続けているという。大型化できない最大の理由は、宇多津の町並みが室町時代の門前町のままで道幅が狭いという点にあるのだが、むしろそれが幸いしたといってよい。 虎ちゃんの住む倉之前は旧高松藩の米倉に隣接する地域で、世帯数56戸ながら何千万円もかけて太鼓台を新調したそうだ。また、宇夫階は27戸、隣接する横町は21戸と世帯数が少ない中で幕の修理などをせざるを得ない上、担き手(かきて)不足のため、常に友人・知人に助けを求めなくてはならないという苦労もつきまとっている。 昨年、私が生まれ育った平山の太鼓台が40年ぶりに復活した。しかし、私の子供時代には長襦袢姿で太鼓台を担いでいたのに、今はどこの自治会も揃いのハッピ姿が普通だ。 そもそも日本には女人禁制の祭りが少なくないため、男性が女装する風習が生まれたのではないか。愛媛県川之江市には太鼓襦袢というものがあるが、かつては女物の長襦袢が主流であった。姫路や奈良や九州などにも長襦袢で参加する祭りがあるらしいが、祭りは本来、無礼講で「歌舞」くためにあるのだから、教育的見地など度外視して徹底的に「歌舞」いて貰いたい(過激かなあ?)。 また、私が生まれた頃はケンカ太鼓時代で、幕に縫いつけてある目玉を奪い合うなど、恐いくらいの迫力があったが、最近は、暴力行為が発生した時点で太鼓台を撤収するというペナルティを課したことで、トラブルが激減したという。 いずれにしても、勇壮な和太鼓の響きとともに「さあし〜ましょ」という声を聞くだけで気分が高揚する私であった。 |
![]() 塩竃神社より見た境内の様子 |
![]() 宇夫階神社前での(平山)獅子舞奉納 |
![]() 宇夫階神社から御輿のお下がり |
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