| 故 郷 発 見 7 |
![]() シャンシャン傘踊り
| 2002年夏に帰省した折、ふと父の言葉を思い出した。私が小学生の頃、宇多津には盆踊り唄の名人が居た。父は私に何度となく名人に盆踊り唄を教わって楽譜に書いておくよう言ったが、当時はクラシック音楽にしか興味がなく、そのまま年を重ねてしまった。 すでに名人はこの世を去り、宇多津の盆踊り大会もなくなってしまった。 父の言葉がひっかかっていた私は、お盆明けに亡き名人のお宅を訪ねてみた。思いがけず、名人最晩年の演奏テープ(実はこのテープは父が録音し、タイトルと日付を書いて差し上げたものだった)をお借りできたものの、30年近く前に録音された古い型のテープは専門業者に託しても再生できなかった。 しかしその後、叔母が知り合いから、盆踊り唄の断片が収録されたカセットテープを借りてきてくれたので、メロディーを採ることができた。俄か盆踊唄研究家の誕生だ。 9月1日に五色台の瀬戸内海歴史民俗資料館を訪れた際、22日に野外ステージで8つの地域の伝統芸能を見られるとの情報を得た私は、香川県内の伝統芸能の現状を知り、宇多津の盆踊り唄と他の地域の盆踊りとの関連を確かめるために、ちょっと無理をして21日に帰郷した。 白峰に寄ったため少し遅れて到着すると、スピーカーからムード歌謡調の新民謡(?)が流れてきて、げんなり……。見ると、ろくに振付を覚えていない風で極めてたどたどしい。はたして国籍不明の小道具や正体不明の振付を伝承・保存する必要などあるのだろうか。しかも一般の観客はほとんど居らず、他の演目の出演者が見ている程度。折角の休日を潰してまで見に来るようなものではないということか…と思っていたら、岡田おどりの説明が始まった。 「岡田おどりは、寛永十年の干ばつで苦しんだ旧岡田村の農民が、私財を投じて亀越池の堤防を築いてくれた岡田久次郎翁に感謝して踊ったもので、『一合まいた』『島踊り』……シナ踊りはそのシナのやわらかさに特徴があり……」 ん?……「島踊り」と聞こえたのは「シナ踊り」だったの? と、疑問を抱えたまま見ていたら、宇多津の盆踊りと同じ振付だった。それに音程は違うけれど囃子言葉も全く同じ! そういえば叔母が借りてくれたカセットテープにも「島踊り」とペン書きしてあった。ただ、本唄も囃子言葉も節回しがまるで違うため、宇多津の「島踊り」と同じ唄とは言えない。踊りが終わると、私は突撃芸能レポーターの如く、踊り手の一人に質問した。 「すみません、綾歌町は島じゃないのに、なぜ『島踊り』って言うんですか?」 「よくわからないので、先生に訊いて下さい」 先生と呼ばれた方は、かなり年輩の女性で、「もう三百年以上も踊ってきたと聞いてますが、昔は土器川沿いの地域ではみんな踊っていたそうですよ。唄は少しずつ違いますけどね」 そうか! 現在の丸亀市土器町はもと宇多津だった。宇多津は古代から瀬戸内の主要な港だったし、水戸藩と密接な関係を持つ高松藩に「鹿島踊り」が入ってきて、土器川沿いに上流に伝わったとしても何の不思議もない。「鹿島踊り」の調査には何年かを要するが、今回は取り敢えず、岡田で伝承されている「島踊り」が宇多津の盆踊りと同じ振付と囃子言葉であったことを確認できただけで満足せねばならない。 帰り途、いつものように王越を通ったら彼岸花が咲き誇っていた。 例の如くクリッパークラブでジャワロブスターを飲んで帰宅すると、うちの手前に人が集まっていた。今朝、大音響で目が覚めたので外を見たらクレーン車で杭打ちをしていたが、夕方には棟上げというわけだ。最近はプレハブ建築が多く、「餅投げ」は久しぶりなのだという。子供たちもビニール袋を手に集まってきた。この風習って、もしかして建築中に騒音を出すための「お詫び」だったの? | ![]() 瀬戸内海歴史民俗資料館
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