故 郷 発 見 6

2002/06/20


高家神社山門の扁額

高家神社

白峯御陵参道
 何か忘れていることがあるような気がして白峰に向かうと、麓に観音寺の看板が見えた。前からこの先の建物が気になって仕方がなかったので、バイクを下りて鳥居の扁額を見ると「崇徳天皇」と書かれていた。そうか、ここが高家神社だったのか……。
 以前、どこかのHPで、崇徳上皇の御遺体を天皇寺から白峯寺にお遷しする際、麓の高家神社で柩を下ろしたところ、台座に血が滴って血の海となったため、血の宮と呼ばれるようになったとの記述を読んでいたのだが、その神社がどこにあるのかわからなかった。白峰に登るたびに通っていながら、観音寺という看板から、無関係だと思い込んでいた。
 今、この辺りは坂出市高屋町だが、かつては高家と表記されていたのだろうか。ともかく古い神社で、ここも明治の神仏分離で観音寺と高家神社に分けられたのかも知れない。高家神社を見つけたことで、一つ謎が解け、すっきりとした気分で白峰に登り始めた。
 今日は珍しく午前中に強い雨が降り、梅雨の晴れ間を縫って出掛けてきただけあって、空はどんよりと重い。ふと平野を見下ろすと緑がない。一瞬、不思議に思ったが、何のことはない。田植えが始まったばかりの水田が光って白くなっていたのだった。地面もたっぷりと水を吸っているため、バイクで走っていても4月とはまるで空気が違う。山道の運転にも慣れ、スイスイと白峯寺に到着。
 お天気が良くないせいか、お遍路さんの姿が数人見えるだけだ。こわいほど静かな境内を歩いて頓證寺殿に行き、参道を少し引き返して杉並木の白峯御陵の参道に入った。山腹にあるので、わざわざ樹木を植えたとは思えないが、御陵の近くにはもみじの樹があって、秋には美しい紅葉が見られそうだ。
 それにしても、崇徳上皇ゆかりの地をいろいろまわってみたが、やはりここが一番迫力がある。西行法師廟参の跡もあるし、こんなに高いところまで柩を運んできたというだけでも大変なことだ。明治天皇が創建された京都の白峯神宮は能舞台もあってきれいだったが、その他の神社をも含め、崇徳上皇崩御ののち変事が続いたために、その怨念を封じ込め、菩提を弔う目的で造られた頓證寺殿や白峯御陵とは世界が違うようだ。
 日本最大の怨霊として名高い崇徳上皇だが、上皇の怨念で平家が滅亡し、安徳天皇らが瀬戸内海の藻屑として消え去ったと信じた人々は、さぞ恐れていたことだろう。それは、政敵として崇徳上皇を追いやった実弟・後白河法皇が青峰の根香寺を祈願所にしていたことからも窺い知れる。
 その崇徳上皇が流された場所について、坂出直島という二つの説がある。直島では、上皇が讃岐に配流される途中、3年間滞在されたと伝えられており、崇徳上皇神社もあるらしいので、いずれ行ってみたいと思う。

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